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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
東北さくらの旅
昨日の午後2時46分、一分間の黙祷を捧げた。忘れもしない2011年3月11日、パソコンに向かって仕事をしていた時、急にグラッと来たので、すぐに地震だと分かった。しかし、いつもの地震と違い、なかなか揺れが収まらない…。これは只事ではないと思ったので、急ぎ茶の間に降りてテレビのスイッチを入れたのだった。すると、目の前には想像を絶する光景が映し出されていた…。

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冬の上坊牧野の一本桜(岩手)

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そして、春

あれからちょうど6年が過ぎた昨夜、NHKで「東北さくら旅」という番組を放送、録画しておいたので先ほど見てみた。東北に生きる人々と桜を取り上げた、なかなか見応えのある番組であった。特に、以下のシーンが印象に残る。

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場所は岩手県釜石市根浜、そこには30年前に植えた桜並木があった。しかし、今回の津波で全滅したものと誰しもが思っていた。ところが、一本の枯れ木から芽吹いたのである。その奇跡の桜のもとを訪れた女(ひと)は、銀閣慈照寺で花方教授を務める佐野珠寶さん。生き残った一本の桜と東北人の逞しさとが、重なって見えたという。

兄貴ィ~
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現在、BS12で「傷だらけの天使」が再放送中である。ちなみに、初回の放送は1974年10月5日から1975年3月29日までの全26話だった。亀さんが三年間の海外放浪の旅を終え、帰国したのは1974年の暮れだったんだが、帰国して間もなく、テレビで「傷だらけの天使」を偶然見ている。その時、意味不明な会話がポンポン耳に飛び込んで来るので、大変戸惑ったものだ。三年近くも日本を離れていると、ニュース番組などで使われている標準的な日本語は別にして、俗語だらけの「傷だらけの天使」のような番組は、こうも分からなくなるものか…と、唖然としてしまったちゅうワケだ。それはともかく、「傷だらけの天使」で耳にこびり付いて離れないのが、弟分の水谷豊が兄貴分の萩原健一を呼ぶ時の、「兄貴ィ~」である。

当初、萩原健一の弟分として火野正平が最初に候補に挙がっていた。しかし、色々あって最終的には水谷豊が弟分をやることになったのだが、当時の水谷は「傷だらけの天使」で芽が出なかったら、故郷の北海道に帰るつもりでいたという。その「傷だらけの天使」、最初は思うように視聴率が伸びず、第3話あたりで打ち切りにしようという話も飛び出したほどだったが、結局なんだかんだで最終話では視聴率20%を勝ち取っている。その水谷が駆け出しだった高校生の頃、亀さんの近所の友人が高校の同級生の伝で水谷に会っているんだが(拙稿「座敷わらしとの〝再会〟」参照)、水谷にも売れない時代があったというワケだ。

時は流れ、今や水谷豊は押しも押されもせぬ大スターである。その水谷が出演している再放送の番組として、他に「相棒」がある。以下の写真は及川光博が相棒役を務めていた、2009年秋のseason8から2011年秋のseason10の間に撮ったものだ。水谷と亀さんは同い年なので、水谷56~59歳の頃の作品ということになる。流石に水谷も間もなく還暦を迎えるというだけに、「傷だらけの天使」に出演していた時のような、あのチャラチャラ感は消え、冷静沈着な様が画面から伝わってくる。役柄上とは云え、人間、変われば変わるものである。

それにしても、本来であれば俳優業を諦め、故郷の北海道に帰っていたはずの男が、このように大成したのを見ていると、こちらまで嬉しくなってくるのは何故だろうか…。

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「相棒」の水谷豊と及川光博(season8~10)

孤高のリアリズム
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アルバイシンの男 ~ミゲールの像~

1月22日(日)に放送されたNHKの「日曜美術館」で、「グラナダ 魂の画譜 戸嶋靖昌(としまやすまさ)孤高のリアリズム」という番組を放送していた。「日曜美術館」は美術好きな息子たちのため、毎週欠かさず録画しているのだが、今回は何となく気になったので亀さんも同番組を覗いてみた。そして、番組を見ているうちに戸嶋靖昌の人物に惹かれていく自分がいた…。

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左から二人目の白髪の男性が戸嶋靖昌、その隣で帽子を被っているのは俳優の奥田瑛二

拙稿「イチローズ」にも書いたことだが、若い頃の亀さんは漫画家を志していたほどであり、十代の頃にロンドンで生活していた時、仕事がない日や学校が休校の日は、決まって市内見学や美術館通いをしていたものである。それだけ美術には深い関心があったのだ。なぜなら、「イチローズ」にも書いたことだが、亀さんの母方の祖父は紋章上絵師、その息子(叔父)も紋章上絵師だったし、亀さんも小学生二年生の時、市が主催する展示会で入選して以来、さまざまな催しで入賞を果たしているのだ。

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さて、戸嶋靖昌の番組が放送から一週間以上も経過した今日、ふと思いついてネットで確認したところ、『孤高のリアリズム』(執行草舟著 講談社エディトリアル)という題名で、戸嶋靖昌についての本が出版されていることを知った。アマゾンで同書を読んだという読者のコメントに目を通してみて、少々高いものの同書の購入を決めたんだが、アマゾンでは品切れ…。それならと紀伊國屋にアクセスしてみたんだが、紀伊國屋でも取り寄せとのこと。一刻も早く目を通したかったので、急ぎヨドバシカメラにアクセスしたところ、幸い在庫があったので即注文した。明日届くというので今から楽しみである。

ところで、アマゾンのコメントで特に目を引いたのが以下のコメントだ。同コメントを読みながら、咄嗟に思い出したのが飯山一郎さんの「手洗い」である。飯山さんのHPに書いてあったと記憶しているが、トレイの後は手を洗うものという世の中の常識に反して、飯山さんは「豚(トン)でもない! トイレの後は手を洗うべからず}と書いていたのだ。爾来、亀さんも家の者には、トイレの後は手を洗うべからずと言っているんだが、相手にしてもらえず、いつも嗤われている…。

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花札とトランプ
飯山(一郎)さんの最新記事「トランプの一言一句に一喜一憂し…」を読んだ。

花札トランプの親分は,猪鹿蝶(イノシカチョウ)を繰り出して,何か途轍もないことをヤラかす大統領になりそ~だ.


禿同! 亀さんもテレビで記者会見を見たが、まさに、「大統領というより,ヤクザ組織の親分の噴霧器」そのものだった(爆)。




その後、掲示板「放知技」に目を転じたところ、〝あの和尚〟が話題に…。

青森出身の もぅとっくの昔に

亡くなられた お坊さんの話を

よくされているが・・・

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15947645/696/


また、以下のような発言も…。

人生は人性
http://ameblo.jp/souainikki/theme-10033238223.html

オマンチンさんによく似た人がいるものだ。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15958132/310/


えっ、青森のお坊さんて誰かって? 

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

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何故か、記者会見のトランプと今東光和尚が、ダブって見えてしかたがなかったんだが…。

リハビリー・バンバン
前稿「親子の情愛」で2日前に同窓会を開いたことを書いたが、その時に親子の情愛以外のテーマとして、兄弟についても話題になっている。すぐ近所に住むY君の場合、遺産相続を巡って兄弟間で言い争いとなり、ついには法廷で争うに至ったという話をしてくれた。以降、一度割れた茶碗を元の状態に戻すことが出来るわけもなく、他の兄弟との絆は断ち切れたままだとY君は語るのであった。そうしたY君の赤裸々な体験を耳にし、Y君も人知れず苦労をしてきたんだなと分かったものである。

Y君らと酒を酌み交わしていた丁度その頃、BS朝日の「ザ・インタビュー」でビリー・バンバンがゲストとして登場、それを録画しておいたので翌日見たのだが、ビリー・バンバンも兄弟同士の諍いが過去にあったようで、一時は互いに一切口も利かなかったようだ。幸い、その後はお互いの蟠りも消え、ビリー・バンバンを再結成、今日に至っているようだ。そうしたビリー・バンバンの過去はともかく、亀さんは若い頃に耳にした「白いブランコ」、実に心に染みる歌だと思っているし、その他のビリー・バンバンの歌も同様の意味で好きだ。



再結成後は順調に見えた兄弟の人生だったが、2年前に弟の菅原進が大腸ガンで手術を受けたかと思うと、今度は兄の菅原孝が脳出血で倒れ、左半身不随になったということを今回初めて知った。その後の孝は懸命にリハビリに取り組んだこともあり、車イスの状態ながらもビリー・バンバンの復活を果たしている。「ビリー・バンバンじゃなくて、リハビリー・バンバンって言うんだよ」と弟の進が言った時、インタビュアの宮嶋泰子が思わず吹き出してしまったのが印象的であった。

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BS朝日の「ザ・インタビュー」は、毎週土曜日と日曜日の夕方に放送しているが、さまざまなジャンルの人たちがゲストとして招かれている。1時間近くのインタビューだけに、時にはゲストの人間性がモロに出ることもあり、人間を学ぶという意味で実に良い番組だと亀さんは思っている。

りりィ逝く
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1975年2月当時のりりィ、23歳

元シンガーで女優のりりィこと鎌田小恵子さんが、逝去したという新聞記事が目に飛び込んできた。1952年2月17日 (64歳)というから、ちょうど亀さんより一歳年上の姐さんだった。死因は肺ガンだったという。出演番組で最も印象に残っているのが、深夜食堂の第九話「アジの開き」で、ローズ美千代という粋な婆さん役で出演していた。

合掌。



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太田出版
映画脚本家・笠原和夫の考える昭和天皇および瀬島龍三について、今回取り上げるつもりでいたのだが、その前に『晩歌』を出版した太田出版、および翻訳者Yさんが提供してくれた人肉食の情報について、それぞれ筆を進めたい。最初に太田出版について取り上げる。

亀さんは昨日の拙稿「日本映画の悲惨な現実」で、以下のように書いた。なお、絶版本とあるのは、太田出版の『昭和の劇』(笠原和夫著)のことである。

1ヶ月前まではアマゾンなどで新刊を入手できたのに、どうして急に絶版になったのか、そのあたりの経緯は不明だ。


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実はこの太田出版、神戸事件の少年Aの手記『絶歌』の出版元でもあるのだ。そして、以下の記事を一読すればお分かりのように、最初は幻冬舎が出版するはずだったのに、急に太田出版が出版することになった、曰く付きの本でもある。1ヶ月ほど前に読んだ何処かのネット記事で、幻冬舎の見城徹社長が太田出版に圧力をかけ、『絶歌』を出させたとする記事を読んだ記憶があるのだが、『昭和の劇』のような硬派の本を出す太田出版らしくなく、何か裏がありそうだとその時は単に思ってやり過ごしていた。そこへ来ての『昭和の劇』の絶版、気になったので調べてみたところ、以下の記事を掘り当てたのである。
ナメクジだらけのHPよりもスゴい中身…少年Aが『絶歌』出版から逃げ出した幻冬舎・見城徹社長の裏切りを告発!

同記事は見城徹社長の人間を暴いた優れた記事であり、同時に見城社長は太田出版の岡聡社長と親交があることを知った。そして、何よりも亀さんが注目したのは以下の記述である。

 つまり、遺族の感情を考慮すれば絶対にあり得ない事件現場の写真掲載を、見城氏本人はノリノリで指示していた、ということになる。ちなみに、Aの手紙によれば、〈「これ(写真掲載)はやめたほうがいいな」と僕にアドバイスしてくださったのは、本当は太田出版の岡社長です〉という。


遺族の感情を慮る岡社長に対して、遺族の感情など念頭になく、少年Aの手記本を売ることしか考えていなかった見城社長とでは、人間として雲泥の差があることを見事に浮き彫りにした行である。

ともあれ、同記事を読んで見城社長の人間については、やはりなと思ったていどだったが、一方で岡社長はなかなかの人物と見た。だから、上からの圧力ていどで、『昭和の劇』を絶版にするはずがないことを、改めて確信したのである。だから、今回の絶版は単なる資金繰りの問題で、出版不況の今日にあって再版が困難なだけなのだろう。ちなみに、今朝アマゾンで確認したところ、昨日の拙稿「日本映画の悲惨な現実」で、『昭和の劇』取り上げたのが効いたのかどうか分からないが、ナント、ベストセラーになっていた…。

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、ここまでは、少年Aが神戸事件の犯人という前提で筆を進めてきたが、実は、少年Aは冤罪の可能性が極めて高いことを指摘しておこう。亀さん同様に冤罪だと確信しているのが、『神戸事件を読む』を著した熊谷英彦氏である。亀さんは同氏と幾度かメールのやり取りをしており、そのメールの一部を本人の了解を得た上で、以下に公開している。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/06/post_9f14.html

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なお、拙ブログでは数ヶ月前、『絶歌』について拙稿「堀の中の少年たちで紹介している。併せて一読いただければ幸いである。

世界中どこでも
飯山一郎さんのHPの最新記事を読んだ。ついに、中国が福島原発事故の実態を発表、安倍内閣がどのような反応を示すのか、世界が注目するところとなり、まさに安倍首相にとってはまな板の鯉といった心境だろう。ともあれ、事故から5年以上が経過、ようやく事態が大きく動き出す。

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http://grnba.com/iiyama/index.html#zz06101

もう、いくら安倍内閣や日本のマスコミが必死に隠そうとしても、大勢の日本人が原発事故の実態を知るのは時間の問題だ。そして次は、人間が住めなくなった日本列島を、大勢の人たちが去っていくだろう。だが、人間到る処青山ありという諺があるではないか、なぁに、人間生きていこうと思えば、世界中どこでも生きていけるから大丈夫だ。昨日の東京新聞夕刊に、以下のような面白いエッセイが載っていた。香港人の逞しさを我々も見習いたいものだ。

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過日の拙稿「45年という歳月の重み」を執筆していた時、久しぶりに44年前のアルバムを眺めていた。以下は3ヶ月ほど働いていた、イタリアンレストランの裏口で撮った写真である。場所はオックスフォード・ストリートに面していた所で、このストリートはロンドンどころか、ヨーロッパで最も人通りが多いストリートなのでR。そのストリートに面したショッピングモールの一角に、亀さんがバイトをしていたイタリアンレストランがあった。レストランには、亀さんをはじめとする、世界各国の若者がバイトをしていたのであり、まさにインターナショナルな職場であった。

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(写真左)ショッピングモールで働く陽気な仲間たち。前列の二人は左から亀さんの働いていたレストランのイタリア人マネージャー、右は同じショッピングモールにあるファッション店のマネージャー。後列の二人は左からコロンビア人のダリオ、その右がアルゼンチン人のホルヘ。ホルヘは後に亀さん家で草鞋を脱ぎ、半年間居候している。
(写真右)プレイボーイなファッション店のマネージャーを囲む、亀さんと同じレストランで働くウェイトレスの女の子たち。ちなみに、左の女の子が亀さんのアルゼンチン人ガールフレンドだ。拙稿「Sさんへの返信」に登場するSさんも、亀さん家で彼女に会っている。

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(写真左)やはり同じショッピングモールの何処かの店のマネージャー。確かイタリア人だったと記憶している。仕草から想像できるように、大変面白いオヤジだった。
(写真右)太めの女の子は正真正銘のパリジェンヌ。その娘(こ)を囲んでいる二人はジャマイカ出身で、亀さんと同じレストランで働いていた。亀さんにとって、ロンドンの〝兄貴〟的な存在だった。

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(写真左)職場の仲間たち。亀さんの横にいるのが左からコロンビア人のダリオ、右は亀さんの後釜で入ってきたエジプト人の若者(名前失念)。それにしも、改めて鏡に映る自分を見るに、髪の毛に白いものが大分混じるようになり、後頭部が寂しくなってきている上、おでこには深い皺が刻まれるようになった。やはり、44年間という時間が経ったのだなと、つくづく思った次第でR。まぁ、「スミカスミレ」のように、若返ることができないのが人生だ。
(写真右)太めのパリジェンヌと。彼女からは本場のフランス語を教わった。お礼に、亀さんも本場の日本語を教えたんだが、一度、仕事中に日本語で「Aishiteru!」と言われたことがある(爆)。

45年という歳月の重み
昨日の拙稿「日本のラテンアメリカ化?」で、1972年9月にチリの首都サンチャゴを散策していて、アジェンデ大統領のパレードに遭遇したことを書いた。遠方から接近してくるオープンカーから、大勢の大衆に向かって手を振るアジェンデ大統領が、接近してきた刹那お互いに目と目が逢った。その時、同大統領の身体からオーラのようなものが出ているのを感じ取れたのだし、何よりも同大統領の身体全体に人としての温もりを感じ取れのである。今にして思えば、実に貴重な体験であった。

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サンチャゴの街から望むアンデス山脈

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アジェンデ大統領 殺害される数時間前の演説

1972年というと今から44年前で、当時の亀さんは19歳、1972年3月23日に大勢の親戚や友人に見送られて、羽田からモスクワを経由してコペンハーゲンに飛んでいる。コペンハーゲンでは観光を兼ねて数日間ほど滞在した。最初、隣の国スウェーデンに文通相手だった同い年の女の子が、ストックホルムに住んでいたので会いに行くつもりでいたが、取り敢えずロンドンでバイトをして旅行資金を貯めながら、英会話学校に通って英会話を身につけ、3ヶ月ほどしたらヨーロッパを1~2ヶ月ほどかけて一周、スウェーデンにも寄ってガールフレンドに会い、その後日本に帰国するつもりでいた。

では、どうして半年後の1972年9月にチリのサンチャゴなのかと言うと、バイトをしていたロンドンで知り合った、可愛いアルゼンチン人の女の子を追いかけ、南米に飛んだというわけだ。彼女のことは拙稿「寅さんのことば 第2部 11」にも少し書いた。

ここで、テレビドラマ「スミカスミレ」で印象に残るワンシーンがある。それは、人生をやり直したいと切望していた、70歳の如月澄が最後の最後に夢を叶え、45年前の25歳の姿になり、新しい人生を歩み出すというシーンだ。そんな如月澄の心からの笑顔を見た化け猫の黎(れい)は、以下のメッセージを残して如月澄の家を後にするのだった。

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それにしても、45年と云えばほぼ半世紀だ。1972年当時の亀さんには実感がまったく湧かなかったが、漸く今になって45年という時の重みが分かった。それにしても、亀さんの45年なんて、アッという間だったワイ…。

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ウルグアイ人のガールフレンド、アナベールと
※ アルゼンチンのバリローチェからチリのプエルトモントまで、船とバスを乗り継いでアンデス山脈を横断した時に知り合い、サンチャゴまで一緒に旅をした同い年の女の子。44年が経った今でも、時々メール交換をしている。

我が良き友へ
拙稿「人生、なめんなよ」に「拍手」してくれた読者の中に、拙ブログがきっかけで、「深夜食堂」に〝嵌まってしまった〟ちゅう、てくのぱぱさんというブロガーが名乗り出てくれた。E-機会なので紹介させていただこう。ブログ名は「我が良き友へ」。

ちなみに、同ブログで深夜食堂について取り上げているのは、「深夜食堂に嵌ってしまった」という記事だ。亀さんのことも書いてあった(爆)。

てくのぱぱさんのコメントで、飯島奈美というフードスタイリストが、深夜食堂に一役買っていたということを初めて知った。亀さんはニューヨークのレストランや、東京の居酒屋で板前の仕事をしていたので、料理の難しさも十分に分かっているつもりだが、一度機会があれば目を通してみたい本だ。

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『深夜食堂の料理帖』(飯島奈美著 安倍夜郎イラスト)

てくのぱぱさん、今後とも4649

【追伸】
てくのぱぱさんのブログでも紹介されていたが、映画「ペコロスの母に会いに行く」が、最近テレビで放送されたので見た。実に、心温まる映画であった。また、放送されるカモョ…。

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【追伸2】
てくのぱぱさんの描く漫画、素晴らしい! で、以下に無断転載(笑)。

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