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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
民族の劣化
月が変わった2月1日、久しぶりに国会中継を見た。偶然だが、道友の堺のおっさんも同じ日に見ていたことを後で知った。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16010080/421/

堺のおっさんの言うとおりであって、国会中継を見て、安倍晋三をはじめとする国会議員らのオツムの中は、〝時代が変わった認識ゼロ〟の状態だと、断言しても差し支えないのでR(嗤)。

かつて、亀さんの母が縫い物をしながら、ラジオの国会中継に耳を傾けているのを、まるで昨日のことのように覚えているんだが、ある日、母にどうして小難しい(と当時の亀さんは思っていた)国会中継などに、熱心に耳を傾けているのかと訊いてみたことがある。それに対する母の答えが振るっていた。

下手な落語より面白いからだよ。


その時のことを思い出しながら、一昨日の国会中継を見ていたんだが、確かに笑点を見ているようだった(爆)。尤も、本家の笑点の場合、林家三平が入ってからというもの、モー笑点を見ることはほとんどなくなった。その理由だが、渡辺正次郎氏が以下の記事で述べている通りである。
残念“笑点„春風亭春太に期待した。が。。。これで見ないと決めた!!

だから、最近までは落語を見るなら、国会中継に限ると思っていたんだが、堺のおっさんが書いているとおり、ここに来てトランプが登場、「トランプ時代の特徴はさぱ~り分かりません、という感じだ。時代が変わった認識ゼロ」という、国会のオッサンやオバハンを見ているうちに、可笑しさを通り越して、ナンカ哀しくなってきた亀さんであった…でんでん。

何故、こうも国会のオッサンやオバハンの劣化が禿しい、ではなくて激しいのか…。以下に青線を引いた、飯山一郎さんの発言が答えである。

現在の日本民族は,放射能の晩発障害によって身体どころか精神までヤラれて劣化しまくってきた…


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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16010080/434-435/



同じく赤線を引いた以下の箇所…。

日本民族は(数百万人を除いて)絶滅が,すでに完了している…


意味するところは、死の水蒸気が過去6年間近く、モクモクとタダ漏れしていた中にあって、各個人がどのような内部被曝対策を講じてきたかによって、生存を懸けたノアの方舟に乗れるかどうかが、すでに決まっているということなのである。

古事記の世界
今から6年前の2010年10月23日、亀さんは「古事記 深奥の世界」と題する記事を旧ブログに書いている。本来であれば、さらに深く古事記の世界を追求していたと思うが、同記事を書いてから半年後、あの東日本大震災が2011年3月11日に発生、直後に福島原発1号機と3号機の爆発をテレビで見て、日本の終わりを悟った。



以降、日本の終焉に向けた様々な準備に追われ、古事記研究は大幅にスローダウンしたものの、それでも少しずつ地道な古事記研究を素人ながらも重ねてきたこともあり、最近になって漸く旧稿「古事記 深奥の世界」にも書いた、古事記研究の「守・破・離」の「守」の段階から、次の段階「破」に進める見通しがついた今日この頃だ。現在、「宇宙」、「生命」、「言霊」の三分野を中心に、今までグループあるいは独学で学んできた、古事記を復習している最中である。

■宇宙
6年前になるが、宇宙という観点から古事記を読み解く手ほどきを、栗原茂さんから亀さんは数年にわたって受けている。その栗原さんが作成した古事記と宇宙に関する、一太郎形式の電子ファイルおよびハードコピーが、まだ家の何処かにあるはずなので、今度暇ができたら探し出すつもりである。また、ネットで検索したところ、古事記と宇宙とを結びつけた本として、『古事記の宇宙』(竹内睦泰 青林堂)がヒットしたので、入手して栗原論と照らし合わせつつ、同書の批判的読書を試みるつもりだ。栗原さんに言わせれば、古事記の冒頭に登場する天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、我々の天の川を指しているとのこと。以降、99柱に基づく栗原流宇宙論が展開されるわけだが、この99柱についてはPDFファイルを作成、以下にアップしてあるので、関心のある読者に一読していただけたら幸いだ。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/files/99.pdf

栗原稿を再読するにあたり、不可欠となるのが『太陽系大地図』(小学館)だ。6年前に購入した本で、長らく書架に眠らせたたままだったが、ここに至り漸く役に立つ日がきたようである。

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■生命
世界戦略情報誌『みち』で道友の中村みつぞうさんが、「みょうがの旅」と題する素晴らしいシリーズを長年にわたって連載しておられる。ここ二年ほど、中村さんは「人類の遠祖はサメである」とする説を、古事記と結びつけて展開しているが、そのきっかけとなったのが拙稿「サメの話」であった。以下は、中村さんの古事記とサメについての記述である。

●人類の祖がサメならば、『古事記』で天孫の御子にして神武天皇の御祖父、天津日高日子穂穂手見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)と本然のお姿が鰐(サメの古名)の豐玉毘賣命(とよたまびめのみこと)とが結ばれることは、他国の神話にも見られる所謂異類婚の一つと片付けるわけにはいかなくなる。人類の故郷も他の生物同様海だというだけでなく、数多の海洋生物のうち、それこそ人類の祖であるサメが、世界における最古最長の皇統初代の御祖母ということになる。人類の祖はサメであり、その人間の心は腸管に始まる内蔵に宿り、食のあり方が心身に深く影響するという自然界の情報に『古事記』が基づいているのならば、それは、わが国の皇統と『古事記』の時空を超越した、地球史的な意義と普遍性を示すものと言うこともできるのではないか。
みょうがの旅 50 おしほい 44 自然崇拝の普遍性


人類の祖先はサメであるとする説を、初めて唱えたのは西原克成博士だ。そして現在、同博士の新刊本『生命記憶を探る旅』(河出書房新社)を通読中で、読み終えたら読後感を書きたいと思っている。

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■言霊
拙稿「日本語は生き残れるか」では言霊を主テーマに取り上げたが、言霊と古事記との深い結び付きを説いているのが、同稿で紹介した『言霊はこうして実現する』(大野靖志 文芸社)である。同書も未だに通読中だが、読み終えたら読後感を書く予定だ。尤も、今のところやや辛い書評になる見込みである。それはともかく、同書が述べているのは古事記と言霊の深い結び付きだけではない。実は、量子力学も深く関与しているのである。このあたりに関心のある読者は、直接同書を手にとって確認していただきたい。

言霊=古事記=量子力学


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宇宙」、「生命」、「言霊」の三分野にわたって古事記の〝復習〟を終えたら、いよいよ古事記研究の「破」の段階に入る予定だ。どのように先人の古事記研究を〝破る〟ことができるだろうか、そして思うのは、生きているうちに「破」から最終段階の「離」に、進むことができるかどうかという点だ。人生は短い。

スミカスミレ事始め
昨日の大晦日は昨年最後の太陽凝視(30分)+日光浴(15分)を実践、今日の元旦も昼過ぎあたりから太陽凝視(30分)+日光浴(15分)を行った。こんなことができるのも、太平洋側の日本列島で生活しているからこそだ。幸い、今日は仕事も一切抱えていないので、今朝の拙稿「火の鳥の如く」に続いて、この記事を書かせていただこう。テーマは昨年放送されたTVドラマ「スミカスミレ」についてだ。これは、今日の深夜に亀さんのガラケーの携帯に、カラーの年賀状を送ってきてくれた、蓮ねさんへの御礼の意味合いもある。蓮ねさんからは、「スミカスミレ」や「男はつらいよ」の記事を多く書いてくれと、亀さんは頼まれているのだ。親子以上に年が離れているのに、亀さんに対して「亀のお兄様」と書いてきてくれるだけに(香港のお姉ちゃんや横浜のおばちゃんもそうなんだが…)、無碍に蓮ねさんのリクエストを断るわけにはいかんのだワイ。

ともあれ、昨年は「スミカスミレ」について多くの記事を書いた。若い読者から見れば、単に奇想天外な恋愛ドラマにしか映らないのかもしれないが、亀さんのように還暦を過ぎた者が観ると、実に多くを考えさせられるドラマなのである。そのあたり、簡単に以下に羅列しておこう。

■人生60年を生きて…
流石に還暦を過ぎると、人生の折り返し点は疾うの昔に通過しており、あと10年も生きれば御の字という地点に差し掛かっている亀さんであり、自分はどのような人生を歩んできたのだろうと、振り返ることが最近は頓に多くなった。つまり、亀さんが「スミカスミレ」について書く時は、45年前の自分を思い出しているのであり、当時の自分の生きてきた時代は、どのような時代だったのか、すなわち、昭和とはどういう時代だったのかを、突き詰めて考えるようになったのだ。そのあたりを理解していただく意味で、拙稿「45年という歳月の重み」を再読いただければ幸いだ。

■若者への助言
拙稿「青年よ、荒野を目指せ04」で、亀さんは「スミカスミレ」の原作者である高梨みつば女史の言葉を紹介している。

若い時は若い自分が当たり前で、有り難さも感じないのですが、すみれはその有り難さを知っています。知っているからこそ、すべての出来事に感謝することができます。桐谷さんの演じるすみれの頑張りから、今の大切さを感じ取ってもらえたらと思っています。


多分、亀さん家のバカ息子には、高梨女史の言葉の重みが到底理解できまい。否、亀さん家のバカ息子に限らず、十代から二十代にかけての若者には、頭では一応理解できても、心から高梨女史の言葉が理解できないと思う。

若い時は若い自分が当たり前で、有り難さも感じないのですが、すみれはその有り難さを知っています。知っているからこそ、すべての出来事に感謝することができます。桐谷さんの演じるすみれの頑張りから、今の大切さを感じ取ってもらえたらと思っています。


高梨女史の言葉を本当に理解できるのは、「お節介爺さんと婆さん」にも書いたように、アラカン(還暦)の年代に到達するまで待たなければならない。だからこそ、このようなお節介爺さんと婆さんの言うことにも、耳を傾けてもらえればと思って書いた次第でR。

■若者へのメッセージ
初め「スミカスミレ」について書いたのは、拙稿「申し訳ない…」であり、亀さんは以下のように書いた。

残された短い己れの余生は若者のために遣いたい、蟷螂の斧のような拙ブログであっても精力的に発信しておきたい、フクイチ(福島原発事故)のために苦しむ若者らのため、自分が若い頃に海外放浪生活で得たノウハウを、すべて伝えておきたい。


40年近くのお付き合いをさせていただいている、バーテンダーの中野博文さんのショットバーに、昨年の暮れにお邪魔しているが(拙稿「イチローズ」参照)、今の60~70代は実にE-思いをしているなと、つくづく思った次第である。つまり、我々の親の世代は赤紙一枚で戦場に駆り出されたのだし、一方で我々の息子や娘の世代は、30年近くに及ぶ平成不況に喘いでいるのだ。植木等ではないが、「はは、のんきだねぇ~」の世代というか、文字通り温室育ちの世代と言えるのが、中野さん(72歳)や亀さん(63歳)の世代だと、中野さんと意見が一致したという次第だ。

■命の尊さ
これこそ、「スミカスミレ」に引き付けられた最大の理由になるのだが、それを亀さんは「胸を張って厚かましく生きろぉ!」に書いた。

理由は幾つかあるんだが、一つは、本来なら元気に生まれてくるはずだった我が娘と、桐谷美玲演じる如月スミレが重なって見えて仕方がないからだ…。如月スミレが家の事情で通えなかった大学に通い、65年間体験することのなかった恋を体験しているシーンを見るたびに、我が娘にはそうした体験させてやることができなかったという、親としての忸怩たる思い、悲しみがある。


その意味で、今朝のBSジャパンのシネマクラッシュスペシャルで放送された、「あさひるばん」の以下のシーンを見て、何とも言えぬ悲しみが亀さんを襲うのである。


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阪元雷蔵 幸子。

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阪元幸子
 ……

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雷蔵 何も言わんでえぇ……。よう、産んでくれたな…。

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幸子 お父さん……

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雷蔵 一緒に、家に戻ろう。


■松坂慶子
亀さんを松坂慶子に会わせてくれた人こそ、数日前に書いた拙稿「イチローズ」に登場する、バーテンダーの中野文博さんであった。ブログ友のてくのぱぱさんではないが、TVドラマ「スミカスミレ」は、松坂慶子の演技があってこそのドラマだったと言っても過言ではない。

■ピュアな恋
亀さんがピュアな恋などと書こうものなら、吹き出す読者が多いのではと思うんだが、そんな亀さんにも実に純粋な若い時があったのだ。第一、始めから今のような老けた顔で生まれてきたわけではない。拙稿「初恋はカルピスの味」にも書いたことだが、如月すみれ演じる桐谷美玲は、亀さんの初恋の女の子に実によく似ているのでR。

■昭和という時代
TVドラマ「スミカスミレ」は、昭和そのもののドラマである。舞台設定もさることながら、「スミカスミレ」は昭和に生きた人たちの心情を、心憎いまでに描き尽くしていると言えよう。そのあたりは、拙稿「納豆型社会の情景」にも書いたので、関心があれば一読していただきたい。

■若者の死
TVドラマ「スミカスミレ」の第七話で、ある高校生の女の子が自殺しようとするシーンが登場する。亀さんの上の息子は同級生の死を体験しているだけに、とても他人事とは思えなかったのが第七話だ。そのあたりは、拙稿「若いってね、何にも諦めなくていいってことなんだよ」にも書いたので、この機会に一読いただければと思う。

■これから…
拙稿「45年ぶりに…」で亀さんは、以下のように書いた。

亀さんは19歳の時、日本を飛び出して数年に及ぶ海外放浪を体験している。だから、45年後となる来年、再び海外に飛び出すのでは、という気がしてきた。ナンカ、45年前に体験してきたことを、最近はアレコレ繰り返しているような気がするんだが、気のせいだろうか……。


その伝で行けば、45年目の今年は19歳、亀さんが日本を発った年に相当する。だから、もしかしたら今年の亀さんは、海外に雄飛するのではと思う今日この頃なのだ。

火の鳥の如く
平成29年という新しい年を迎えた。この新年は酉年ということもあり、思い浮かぶのが手塚治虫の『火の鳥』である。火の鳥について、ウィキペディアの解説を見てみよう。

人智を超えた存在である超生命体。炎をまとった鳥の姿をしている。100年に一度自らを火で焼いて再生(幼くなる)する事で永遠に生き続ける。人語を解し、未来を見通す。


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『月刊日本』誌の最新号(一月号)に、亀井静香と石原慎太郎の対談記事、「世界はエゴの時代に突入した」が掲載されている。豊洲盛り土問題の犯人である石原慎太郎との対談とは、亀井さんも焼きが回ったなと思いつつも、サーッと同記事に目を通してみた。すると、以下の石原慎太郎の発言に目が止まったのである。

石原慎太郎 今から40年前、ブラックホールを発見したホーキングという天文学者が来日して、有楽町で公演したことがあります。

講演後の質疑応答で、ある人が挙手して「この宇宙に地球のような、生命体が存在して文明の進んでいる惑星はいくつくらいあると思いますか」と聞いたら、ホーキングは即座に「スリーミリオン(3百万)」と答えた。

次の人が「文明を持つ惑星がそんなにあるなら、なぜ実際に宇宙人や宇宙船が地球に来ないんでしょうか」と聞くと、ホーキングは笑ってね、「地球みたいに文明が進みすぎた惑星は、自然の循環が狂って生命体が死滅し、宇宙時間でいうと一瞬のうちに滅びてしまうからだ」と言った。最後に私が「宇宙時間の一瞬というのは何年ですか」と聞いたら、ホーキングは「ハンドレッドイヤーズ(百年)」と答えました。

それから40年経った今、地球が温暖化して世界中で異常気象が起きている。だから私は地球そのものが持つか持たないか非常に心配しています。

『月刊日本』(一月号)p.43


豊洲問題の犯人である石原慎太郎が、地球の未来を心配しているというのも、ブラックユーモア以外のなにものでもないんだが(嗤)、それはともかく、掲示板「放知技」で堺のおっさんの投稿を読み、世界が破滅する運命の日が少しは延びたように思った。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15951444/648/

それにしても、堺のおっさんではないがプーチンの対応は実に見事であり、そのプーチンが健在な今年も、どうにか世界は破滅を乗り越えられるのでは思った。自国の外交官が国外に追放されたら、即座に対抗措置として相手国の外交官を国外に追放するのが、今までの世界政治の〝常識〟だったのだから、今回プーチンがとった〝対抗措置〟に、世界が「アッ!」と驚いたのも無理もない。そのプーチンが今年も世界を率いていくのだから、今年は世界の破滅をそんなに心配せずに済むだろう。

なお、フクイチ(福島第一原子力発電所)から、過去6年近くにわたって水蒸気がタダ漏れしているが、日本民族が滅ぶ程度で終わるのならともかく、全人類の滅亡にも繋がりかねない事態ともなれば、いよいよロシアが乗り出し、チェルノブイリ原発の石棺で見せたロシアの技術力で、フクイチ問題に対処していくのは間違いない。日本の国権を牛耳っているアメリカの戦争屋という存在もあるが、トランプ新政権になれば遙かにロシアも動きやすくなるはずだ。

いずれにせよ、「100年に一度自らを火で焼いて再生する事で永遠に生き続ける」という火の鳥の如く、日本民族そして人類も、「一度自らを火で焼枯れる」のを覚悟するべきなのかもしれない。そのような一人にはなりたくない、内部被曝という形で焼かれる(殺される)一人になりたくないのであれば、健康延命を図るべし

【追記 その1】
拙稿「いのちの種、奇跡のリンゴ」で紹介した野口タネ屋の野口勲氏は、手塚プロの元スタッフであり、手塚プロの許可を得て店頭に火の鳥と鉄腕アトム兄妹を描いた。なお、BSジャパンのシネマクラッシュスペシャルで、「奇跡のリンゴ」が今晩9時に放送されるので、時間があれば見ていただければと思う。
http://www.bs-j.co.jp/cinema/?p=201701012100

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【追記 その2】
100年に一度自らを火で焼いて再生する」という火の鳥と関連して、以下のYouTubeも観るとE-かも…。



日本語は生き残れるか
『月刊日本』の最新号(一月号)の「読者より」に、松野孝之氏という一読者の興味深い投稿が載っている。言霊に関する投稿であり、どのような内容の投稿であるかは、本稿の最後に掲載しておくので一読していただくとして、亀さんは概ね松野氏の主張に賛成するものである。

松野氏の投稿は、巷に氾濫している「日本はこんなに素晴らしい国云々」といった類いの本や雑誌、声高らかに「嫌韓嫌中」を叫ぶヘイトスピーチなどとは一線を画しており、特に、「個人主義に呆けさせられ、我の病にとりつかれた今の日本人がどうなるかは分らないし、知ったことではない」という行、我が意を得たりという思いであった。ちなみに、亀さんも「GHQが恐れた崎門学」という記事を書いており、一読していただけたら幸いだ。

月刊日本十二月号の記事「言葉を失った民族は亡びる」についてですが、大丈夫です。個人主義に呆けさせられ、我の病にとりつかれた今の日本人がどうなるかは分らないし、知ったことではないですが、日本語は滅びません。何故なら日本語は言霊を生む力が絶大だからです。
『月刊日本』(一月号)p.142


上記の松野氏に対して、『月刊日本』の編集部は以下のように書いている。

私の読解力不足のためにご主張の一部が理解できないのですが、日本人が滅びても日本語は残るということでしょうか。その場合、文書として残った日本語と、生言霊の関係はどうなるのでしょうか。ご迷惑でなければご教示いただければ幸いです。なお、紙幅の都合により、一部省略させていただきました。(中村)
『月刊日本』(一月号)p.143


ここで肝心なことは、言霊について正確に理解することである。幸い、『月刊日本』には、言霊の大家であった小笠原孝次に教えを受けた、同誌論説委員の山浦嘉久さんがいる。山浦さんは同誌で毎月二ページにわたり山浦史観を展開しており、最新号(一月号)は「近代という名のバビロンの終焉」(p.74~75)という記事だった。同記事を読めば、明らかに山浦さんが「歴史の背後に神の姿を見ている」ことが分かるのだ。こうした山浦史観の深奥を理解するには、小笠原孝次の一連の著作に目を通すのが一番の近道だと思う。幸い、今年に入って小笠原孝次の著作の復刊が相次いでおり、いずれも七沢賢治が監修を担当、出版元は和器出版である。

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ただ、小笠原孝次の一連の著作の場合、初めて接する人たちには難解だと思われるので、最初は『コトバの原典―アイウエオの神秘』(松下井知夫・大平圭拮著 東明社)あたりから入ると良いかもしれない。ちなみに、拙稿「乳酸菌と漫画」で志波秀宇さんの新刊本、『まんが★漫画★MANGA』を紹介しているが、同書でも『コトバの原典―アイウエオの神秘』が取り上げているのだ。

松下井知夫は日本語の魅力を鋭く分析し、『コトバの原典―アイウエオの神秘』(昭和六〇年・東明社刊/共著=大平圭拮)の著作がある。同書はNHKをはじめ多くのマスコミで教材として使用された。
『まんが★漫画★MANGA』p.123


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また、山浦さんが取り上げることの多い伯家神道についても、以下のような書籍があり、山浦史観に迫る上で一度は目を通しておきたい本である。

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拙稿「乳酸菌と漫画」の〝乳酸菌〟で思い出したが、乳酸菌を世に広めた飯山一郎さんが以下のような気になることを書いている。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15951444/531/

乳酸菌と日本人」にも書いたことだが、ここでも言霊が深く関係しているのである。こうしたことを踏まえ、では、どのような中国・ロシア進出計画を飯山さんが立てるか、今から大変気になるところだ。なぜなら、この移住計画が実現するかどうかで、日本語、すなわち言霊が生き残るかどうかが決まるからである。実現に至れば、「日本人が滅び、日本語も残らないのでは…」という、『月刊日本』編集部の心配も杞憂で終わる。

日本語は日本人の力の根源
松野孝之(62歳)

月刊日本十二月号の記事「言葉を失った民族は亡びる」についてですが、大丈夫です。個人主義に呆けさせられ、我の病にとりつかれた今の日本人がどうなるかは分らないし、知ったことではないですが、日本語は滅びません。何故なら日本語は言霊を生む力が絶大だからです。
言霊という単語には霊という文字が使われます。霊とは想念のことです。厳密に言えば想念そのものではないですが、我々が霊を感じる時は想念として感じるのですから、霊とは想念のことであると言っても取り敢えず語弊はありません。そして言霊とは言葉に宿った想念、もしくは、想念が乗った言葉のことです。たとえば「ア」と発音するその声には「明るい、赤い、熱い、開く」等々の想念が宿っています。

「心の技」を約めて声と言います。人が想いを乗せて声を発すると生きた言霊が生まれます。この生言霊は一は顕界に響きわたります。さらに心の世界である幽界にも響きわたります。そして、「正しく」発せられた言霊には幽界を浄化する力があります。どんな人も人生で一度や二度は他人の言葉に「ハッ」とさせられた経験があるでしょう。そして、この場合、人の心は無意識の領域で互いに繋がり合っているので、心が洗われたのはその言葉を聞いた当人だけではないのです。これが「幽界に響きわたる」ということの意味です。
顕界はうつし世と言って幽界が映ったものですから、幽界が浄まれば見解も自ずと浄まる道理です。顕界においては、人は肉体を持って活動できますから、汚れを処理する手段はいくらでもありますが、幽界を浄めずに顕界だけを掃除したとしても、それは徒労に終わることでしょう。幽界の汚れが形を変えてうつって来るからです。幽界が顕界にうつるというのは神律ですから、それを阻止するのは「人力の及ぶところにあらず」です。
このように「正しく」発せられた言霊には世界を浄化する力があるのです。日本語が地上から消失したとしたらどうでしょう。世界は汚れが蓄積される一方になり、ついには亡ぶことになるのではないでしょうか。日本語が滅びるときは世界が亡びるときです。言い換えれば世界が存続する限り日本語は滅びません。
日本語の言霊の力の秘密は「アイウエオ」の母音にあります。「アイウエオ」は自然界に存在しない音で、喜怒哀楽の声であり、意念の声です。今では電子技術の発達で「アイウエオ」らしき音を合成することが出来ますが、それは心に染みてきません。生言霊でないからです。これに対し子音は自然界に見出せる音です。
英語はアブジャドと言って予音を表現する文字しかない言語の系統を引いています。アブジャドを使用した場合、母音は文脈から推測するしかないと言われますが、そもそもこの文字を使っていた同族にとっては、「アイウエオ」は互いに明確に区別され得ず、言葉を発する場合、単なる膠着音としての意味しかなかったと推察されます。その証拠に英語では、たとえばaは、アと読まれたり、工、オ、エイ、アエと読まれたりして、そこに何らかの規則性があるかも知れないにせよ、一定しません。とにかく、子音優位の英語は言霊の力が弱いように思えます。
近頃海外進出を強化すると称し、社内で日本語の使用を禁じ、社員に英語の使用を強制する企業が現れているようですが、そういうのは放っておけばよろしい。そのうち活力を失くして消えていきます。
幼児が無心に遊んでいる時発する声、あれが本物の生言霊です。最近は、地域に保育所を作ろうとすると近隣の住民が反対するようになりました。子供の声がうるさいというのですが、日本人の言霊に対する耐性が弱くなっているように感じます。
また、日本には古来から御神前で連綿と奏上されてきた大祓詞(中臣祓詞)という神宝とも言うべき強力な祝詞があります。この祝詞は神主の専有物でなく、誰が唱えてもかまわないものです。心ある方には是非とも、言わば「大祓奏上運動」に参加していただいて世界の汚れを日本から祓っていこうではありませんか。祈りの活動は今日、非科学的だとか、金にならないと言って流行りませんが、そういう風潮が日本をつまらなくし、その活力を矯めているのは間違いありません。
日本はかつて言霊の幸ふ国でした。日本を取り戻すとは、日本を再び言霊の幸ふ国に戻すことだと思いますが。

■編集部より
私の読解力不足のためにご主張の一部が理解できないのですが、日本人が滅びても日本語は残るということでしょうか。その場合、文書として残った日本語と、生言霊の関係はどうなるのでしょうか。ご迷惑でなければご教示いただければ幸いです。なお、紙幅の都合により、一部省略させていただきました。(中村)


日本の運命
今日は12月10日、明日からは中旬というのに、断り切れない得意先からの仕事が次々に舞い込み、毎日回し車で全力疾走しているカメ、ではなくてハツカネズミのようだワイ…。どうやら、クリスマスイブあたりまで今の多忙モードが続きそうだ。

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回し車で全力疾走中(?)の亀さん

12月15日の〝プーチン〟の来日まで、残り一週間を切った。多分、来日するのはプーチンの影武者のはずだが、今回の来日は日本民族の運命を左右するものとなる。換言すれば、2011年3月11日の東日本大震災以来という、民族として節目の日を迎えるのである。

それにしても、戦争屋(米国軍産複合体)にとって最後の巣窟である日本に、単身乗り込んでくるのだから〝プーチン〟は胆力のある漢である。ここで、矢部宏治氏の著した『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(集英社インターナショナル)を一読すればお分かりのように、表向きには日本は主権国家ということになっているものの、実際に日本列島という領土の主権を握っているのはアメリカ、正確には上述の戦争屋だということを思い出そう。このあたり、一番良く分かっているのが沖縄の人たちだ。

なお、日本は主権国家ではないという事実については、すでに拙稿「もし、自宅にオスプレイが墜落したら…」にも書いた。

実は、亀さん家は米軍機の航路下にあるため、住宅防音工事の助成対象となっている。そして、仮に米軍機が亀さん家あるいは近くに墜落した場合、どうなるか? そのあたりが容易に推測できる行が同書に書かれている。

米軍機の墜落事故が起きたとき、米軍はその事故現場の周囲を封鎖し、日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する法的権利を持っている。
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないの』p.31


つまり、仮の話として墜落時に亀さんが外出していた場合(自宅にいたら、モー助からない)、急ぎ戻って自宅に近づこうとすると、確実に米兵に銃をつきつけられ、自宅への接近を拒まれるのだ。


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プーチンについては色々と書きたいところだが、本業に追われている身、ココまでとしたい。なお、プーチンの年次教書演説についての記事は、今後の日本、そして世界を占う上で必読である。この記事を読めば、最近NHKで放送された「プーチンの道 ~その権力の秘密に迫る~」というドキュメンタリー番組、あまりにも独断と偏見に満ちた番組であり、典型的なプロパガンダ番組であることが一目瞭然となるはずだ(嗤)

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法隆寺を科学する
日本で生まれ育った者にとって、自国の歴史で最大の謎は二つある。一つは「邪馬台国」、もう一つは「法隆寺」だ。このうち、邪馬台国については「青州で思ふ(4)」で述べたとおり、山形明郷先生が『卑弥呼の正体』(三五館)を世に問い、完膚なきまでに邪馬台国を巡る近畿vs.九州の両説を粉砕、邪馬台国は中国の遼東半島に在ったことを立証済みである。尤も、未だに邪馬台国は日本の近畿か九州に在ったと、信じ込んでいる人たちが圧倒的多数を占める日本なので、本当の邪馬台国は遼東半島に在ったという歴史的事実が、広く受け容れられるようになるまでには、まだまだ気の遠くなるような年月がかかることだろう。、ご参考までに、以下に日本で〝常識〟になっている版図を示す。

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もう一つ、日本の歴史で最大の謎である法隆寺だが、同寺が建立された経緯や、同寺に伝わる仏像や美術芸術品の出自など、未だに謎が多いとされている(亀さん注:法隆寺の仏像は北魏由来である。「青州で思ふ(3)」参照)。さらに、法隆寺最大の謎として、同寺の再建・非再建論争がある。この論争の火種は日本書紀に法隆寺が全焼したという行があるためで、それが以下の天智天皇九年(六七〇)の条だ。

夏四月癸卯朔壬申、夜半災法隆寺、一屋無余、 大雨雷震


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ところが、ここに来て従来の法隆寺再建論争とは別に、法隆寺は移建されたという新見解を示す人物が出現した。それが本稿の表題となっている、『法隆寺を科学する』(白馬社)の筆者・天野正樹氏である。天野氏はあの西岡常一(宮大工棟梁)と、法隆寺東室(ひがしむろ)の解体修理時、協同で調査を行った人物である(昭和32~34年)。

その天野氏、従来の法隆寺再建説あるいは非再建説のいずれにも立たず、法隆寺移建説を唱えているのだが、そのあたりは『法隆寺を科学する』で物の見事に立証されており、この機会に一読されることをお薦めする。加えて、同書の「序」で飯山一郎さんが、以下のような〝添え華〟を書いている。

『日本書紀』は、当時の中国の最高レベルの歴史哲学と漢語・漢文を駆使して書かれた「正史」なのであるが、このような大事業は何を目的にして為されたのか? この答えを明確に述べた知識人は皆無であった。

正解を書いておこう。
それは「大唐国が何としても殲滅したかった百済国の継承国家は日本列島には存在しない!」「日本列島に存在するのは、百済国とは全く異なる歴史を持った日本国なのである!」という『大ウソ』を、大唐国に信じてもうためであった。
したがって「法隆寺全焼!」という『大ウソ』も、「日本国は百済国の継承国家である」という真実を書けない以上、「ウソをウソで誤魔化す!」という人間性あふれる手法だったのである。

『法隆寺を科学する』p.5~6


以上を理解できれば、大転換期の真っ只中にある我々にとって、以下の飯山さんのメッセージは生きていく上での羅針盤となり得よう。

『日本書紀』だけではなく、すべからく書かれて文章は、表面的な字面(じづら、テキスト)をマトモに信じてはいけない。文章が書かれた背景や動機(コンテキスト)や「行間」を深く読みとらえなければ真実・真相は見えてこない! ということだ。
『法隆寺を科学する』p.4


ところで、『法隆寺を科学する』のp.71に示す斑鳩の里は、基本的に道路や建物が磁北よりも20°ほど西寄りの角度になっている。そのあたりの背景について特に同書では言及していないので、背景を知りたい読者には栗本慎一郎氏の『シリウスの都 飛鳥』を勧めておこう。実は、この20°のズレは「聖方位」と言い、渡来人であった蘇我氏が日本に持ち込んできたものなのである。

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『法隆寺を科学する』p.71

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駕籠を担ぐ人・造る人
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ここ関東圏は数日にわたって晴天が続いたこともあり、連日30分~1時間の太陽凝視を実施、お陰様で連日10時間以上パソコンと睨めっこという、〝苛酷な〟生活を送っているのにもかかわらず、目の疲れはまったくない。昨日のテレビの天気予報によれば、今日は雨ということで太陽凝視は久しぶりに休みかと思っていたが、どうやら昼頃までは太陽が顔を覗かせるらしい。だから、太陽が雲に隠れてしまうまでに、30分ほど太陽凝視をやるつもりだ。なお、太陽を直視している間は、今でも上半身裸で日光浴も同時に行っているので、まさに一石二鳥である。来月から師走というのに日光浴とは、「変なおっさん」と近所の人は思っているんだろうが…(爆)。

ところで、四日前に「森への誘い」をアップしたところ、てくのぱぱさんを始め、数名の読者が参加したいと申し出てくれた。5月下旬と言うと半年以上先だが、それまでに日本が保っている可能性は五分五分と亀さんは見ている。つまり、来年5月までに戦争屋vs.中露連合による核戦争、世界大恐慌、円の大暴落、あるいは関連の問題が起こる恐れが多分にあるのだが、その時はその時である。それよりも、に気づいた人たちと実際に顔を合わせることで、決して自分は独りではないという認識を新たにし、お互いの連帯感を生み出して欲しいと思うのだ。その点、読者の一人が来年の5月の集いについて、「希望の光を見出した」と書いてくれたのは嬉しかった。

その飯能で、年一回の祭りが11月5日から6日にかけて行われた。京都で学生生活を送っている上の息子が、講義の絡みで飯能まつりを取材するということで帰省、祭りの合間に近所の居酒屋で半年ぶりに酒を酌み交わした(「息子との語らい」参照)。息子は大学の文学部文化史学科に所属していることから、祭り調査を兼ねての帰省だったようだ。

酔いが回るにつれ、隣の日高市で今年盛大に行われている「高麗郡建郡1300年」に話題がおよび、拙稿「まぼろしの古都」で紹介した本、『高麗王若光物語』について言及したところ、ナント同書を著した高麗文康氏は、息子が合気道を教わった師範だったという。亀さんは息子が小学校低学年あたりまでは、上さんと交替で子どもたちを道場まで連れて行き、稽古が終わるまで道場で見守り、それから連れて帰っていたのだが、道場では二人の師範が交替で子どもたちに合気道を教えていた。だから、若い方の師範のことも良く覚えており、改めてネットで高麗師範を拝見、懐かしく思った。ちなみに高麗師範は、若光から数えて60代目の直孫であり、現在は高麗神社宮司でもある。

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http://www.mindan.org/kr/front/newsDetail.php?category=6&newsid=12839



話題が先月訪れた青州に及んだ。来年の2月上旬には卒業試験も終わり、あとは3月中旬の卒業式を待つばかりというので、卒業祝いに関空・青島往復切符をプレゼントするから、最低一週間の予定で青州に行ってこいと嗾けた。それまでに円が暴落していなければ、青州で自分の銀行口座を開設してくるようにと、アドバイスしたのは勿論である。その時期に飯山さんが青州にいるかどうかは分からないものの、野崎(晃市)博士は確実にいるはずなので、青州と日本との深い繋がりを含め、野崎博士からじっくりと青州史の講義を受けてこいと、息子の背中を押した次第である。

ところで、亀さん家では代々〝駕籠〟に関係した仕事が、何故か家職のようになっているのに、居酒屋で息子と語らいながら気づいた。亀さんの父方の祖父は運送業という駕籠担ぎを営んでいたし、父は国鉄という駕籠担ぎであった。そして亀さんは本田技研で自動車という駕籠造りに従事、今では翻訳の仕事をしているが、依頼の多くが自動車を中心とした駕籠関係の翻訳である。そして、ナント息子も駕籠担ぎの大手企業に内定、これで四代にわたって駕籠に纏わる仕事ということで、何とも不思議な気がする。そうなると、亀さんの曾祖父や高祖父の職業が何だったのか気になってきた(お恥ずかしいことに未だに知らない…)。幸い、90歳を超える伯母が元気なので、近く聞いてくるつもりだ。

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もう十分…
昨日は旧盆の入り、家族と車で菩提寺に行き、ご先祖様に手を合わせてきた。日に日に悪化するフクイチであるにも拘わらず、今年も再び旧盆を迎えることができたことは、滅法界嬉しい。

昨年の今頃、すなわち拙稿「日本最後の旧盆」を書いた当時、今年の旧盆を迎えられる可能性は極めて低く、少なくとも東日本の場合、梅雨明け頃には首都圏が麻痺、旧盆を迎える頃には原始生活に突入しているだろうと、〝最悪の事態〟を想定していたのだが、今のところ想定していたよりも〝軽傷〟で事は推移しており、表立って物流に大きな支障を来していないようだ。
今上陛下の〝奇蹟〟


夕方になって、正月以来久しぶりに兄弟が集まり、互いの半年間の近状報告を交わした。その後、今年も政治経済の話題で盛り上がったが、やがてお互いの健康についての話題に切り替わった。一人の弟は最近の検診で、身体のあちこちに20個以上ものポリープが見つかったと告白してくれた。

もう一人の弟の場合はさらに最悪で、検診でガンが見つかったとのこと。しかも、すでにステージ4に突入しており、医者からは余命数年と宣告されたようだ。その弟、「人生で思い残すはない」と、泰然と振る舞うのであった。何故か?

弟の場合、若い頃からギャンブルにのめり込み、ギャンブル好きが昂じて、ついにはギャンブルそのものを仕事にしてしまった男である。思い起こせば、亀さんが子どもの頃は家に麻雀卓が2台あり、父の同僚が大勢家に押しかけて来ては、ワイワイガヤガヤと卓を囲んでいたものである。そして、3人兄弟の中で最も熱心に父や父の同僚の麻雀を見ていたのが、今回ガンを宣告された弟だ。今にして思えば、そうした子ども時代の麻雀との出会いが、弟をしてギャンブルに目覚めさせたのだろう。

埼玉県所沢市の高校に進学してからの弟は、今度はパチンコにのめり込み、授業をサボっては、駅前のパチンコ店に通っていたようだ。その高校は県立高校だったが、当時は私服が認められていたこともあり、店員は高校生かどうかの見分けが付かなかった。たがら、堂々とパチンコ店に入り浸ることができたというわけだ。新台が入ろうものなら、その日の学校の教室は、どこもかしこも閑古鳥が鳴いていたという。

高校を卒業してからの弟は、海外を放浪していた愚兄の亀さんを見倣ってか、料理専門学校に通い、調理師の免状を取って卒業したかと思ったら、今度は国内放浪の旅に出た。旅の途中、京都で知り合ったという、小指のないヤーさんと意気投合、その後も一緒に旅を続け、最終目的地の沖縄に到着、すっかり沖縄が気に入ってしまった弟は、職を転々としながらも、そのまま沖縄に居座ってしまったというわけでである。

沖縄での弟は、バーテンダー、沖仲仕などを体験しているが、なかでも工事現場監督としての体験談は壮絶だ。一緒に働く本土からの男たちのほとんどは、本土に居られなくなって、沖縄に逃れてきた小指のない男たちであり、弟は連中と一緒に文字通りのタコ部屋で、寝起きをともにしたという。仕事の後は、連中と卓を囲むことも多かったようだが、流石に麻雀に強い連中が多く、そうした連中と卓を囲むことで、相当麻雀の腕を上げたようだ。そうした一癖も二癖もある連中を、二十代の頃に取り纏めてきたのだから、これは胆力がつくわけである。

弟は競馬にも狂った。競馬新聞は隅から隅まで目を通し、書き込みで新聞が真っ赤になったという。その後の弟は結婚をしたが、ナント新居は府中市の東京競馬場近くを選んでいる。

このように弟は、ギャンブルというものに、徹底的に打ち込んできたからなのだろう、ギャンブルを通じて、人生というもの、人間というものが、もう十分に分かったから、いつ死んでも悔いはない、とすら言い切るまでになった。

確かに弟の場合、ギャンブルを通じて徹底的に人生を楽しみ、さらには子どもたちが巣立ち、それぞれの人生を歩み始めたので、親としての務めは立派に果たし終えている。また、ギャンブルというものを通じて、徹底的に遊んできただけに、もう十分、いつ人生の最後の日を迎えても、悔いはないという心境に達したようだ。

だから、亀さんとしてもこれ以上弟に言うことは何もない。だが、来年は福島原発事故以外に弟らの病が重なり、再び兄弟が三人揃って次の旧盆を迎えることができるのだろうかと、ふと思った。

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今度、弟が再訪したら、臨終の山岡鉄舟が示した立ち振る舞いを描いた、『武士道―文武両道の思想』(山岡鉄舟・勝海舟共著 角川選書)、家の書架の何処かにあるはずなので、仕事が一段落したら探し出し、プレゼントするつもりだ。なお、ネットでも「山岡鉄舟の臨終の見事さ」と題した記事で、山岡鉄舟の臨終の様子が分かる。どのようにして漢(おとこ)は己れの人生終えるべきか、良き指針となるはずだ。

 えー、おばあちゃんは九十二歳の天寿をまっとうしたと
 伺っております。
 本日この七回目の法要に、かくも大勢の関係者が
 集まられるということで、個人の人柄が偲ばれます。


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 人間この世に生まれて来る時もたっった独り。
 そして、死んでいく時もたっった独りでございます。
 なんと寂しいことではございませんか。


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 天に軌道があるごとく、
人それぞれに運命の星というもを持っております。


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http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/32saku.htm


今上陛下の〝奇蹟〟
昨年の今頃、すなわち拙稿「日本最後の旧盆」を書いた当時、今年の旧盆を迎えられる可能性は極めて低く、少なくとも東日本の場合、梅雨明け頃には首都圏が麻痺、旧盆を迎える頃には原始生活に突入しているだろうと、〝最悪の事態〟を想定していたのだが、今のところ想定していたよりも〝軽傷〟で事は推移しており、表立って物流に大きな支障を来していないようだ。それでも、ほぼ過去一年間にわたり、〝最悪の事態〟を想定しつつ、それ相応の準備を進めてきたことは、決して無駄にはならないと確信する今日この頃である。

むろん、行ってきたのは食糧の備蓄といった物資面の準備だけではない。精神面の準備、たとえば死について真剣に考え続けてきた一年間でもあった。それだけに、明後日には旧盆を迎え、再び親戚と顔を合わせることができることの喜びは、ことのほか大きい。

前回の拙稿「平成の玉音放送」で、亀さんは以下のように書いた。

広島と長崎にそれぞれ原爆を落とされ、それが8月15日の先帝の玉音放送という聖断となったのだが、その聖断がもたらした奇蹟(詳細は『昭和天皇の悲劇』の第二部「奇蹟の陰にひそむ昭和天皇の悲劇」を参照のこと)と同等、あるいはそれ以上の奇蹟が、昨日の今上陛下のビデオメッセージ、すなわち平成の玉音放送によって、引き起こされるであろうという確信を持つに至った。


ここで、「確信を持つに至った」と書いたが、「直感的に思った」とでもした方が、より正確だったのかもしれない。そう思う理由を、近く文章化して拙ブログにアップしたいと思うが、そのためには、『昭和天皇の悲劇』の再々々読を行い、海外、とりわけロシアと中国が、どのように平成の玉音放送を受け止めたかという、確認と考察が必要となってくる。

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松本駅に到着された皇太子ご一家

そんな折、皇太子ご一家が本日の式典御臨席のため、昨日の10日に長野県松本市に到着されている。皇太子ご一家の長野ご訪問というニュースを耳にして、咄嗟に脳裏に浮かんだのが信濃の連峰、そして役小角(えんのおづぬ)であった。

その役小角だが、三峯神社を囲む鎮守の杜・秩父山地を毎日眺めている身に、三峯神社には役小角が御座すと教えてくれたのが、天童竺丸さんである(役小角は三峯神社で修行を積んでいる)。その天童さんが世界戦略情報誌『みち』(8月1日号)の「文明の原郷ツラン」に、三峯神社について以下のような興味深いことを述べていた。少々長くなるものの、一節そのまま引用しておこう。

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左より、秩父連峰、三峯神社、守護神狼

●新たな王となった英雄が同族たちの前で高らかに誓いの言葉を述べるところから引用を始めよう。
そして言うには、
「お前たちの王に私はなった。弓と盾とを手に執ろう。家紋を我らの証にしよう。蒼き狼を雄叫びにしよう。鉄の槍を林にしよう。狩り場に野馬を遊ばせよう。海と川と、太陽を旗幟に、空を砦にしよう」
と言った。(原詩九六~一〇二行)

ここで興味深いのは、「戴冠式」とも称すべき、新たに王となる神聖な儀式において、最近でこそ疎かにしているものの、われわれ日本人に非常に馴染みが深い「家紋」が登場することである。トルコ民族にとって「家紋」がどのような意味を持っていたのかは無学にして存知しないが、新王の誓いの言葉の中で「家紋を我らの証にしよう」と告げられている点を考えると、「家紋」を同じくする血族集団の結束こそが、遊牧騎馬民族の隆盛・発展の源泉であったことが推察されるのである。
また、「蒼き狼」もここで引き合いに出されている。つまり、われわれがジンギス・カンの別名として知っている「蒼き狼」は、ただモンゴル民族にのみ特有の英雄に対する尊称ではなく、テュルク系民族を含めたツラン民族一般に広く共通する「狼信仰」の表われ
と見るべきことが分かる。
例えば、突蕨は自らの民族の出自を、牝の狼と人問の男の子の交わりに求めているのである。
そして、言うまでもなく、わが日本においても、民族信仰の深層に紛れもなく「狼信仰」が横たわっており、その痕跡は大和、山城、駿河、武蔵などの古い神社の伝承に見ることができる。とくに、武蔵御嶽神社や秩父三峯神社の信仰圏の関東では、狼は神の使いとして広く信仰され、「大口真神」なる尊称を以て呼ばれている。
古代日本語、特に万葉集東歌との間にウズベク語との只ならぬ類似点を見出し、またコタツなどの生活習慣を同じくすることも勘案して両者の親密な関係を洞察したのは、初代註ウズベキスタン大使孫崎享氏の夫人孫崎紀子氏であるが、関東における「狼信仰」の奥深さもまた、ツラン民族共通の信仰の痕跡であるように思われる。
そもそも、「坂東武者」と呼ばれる武装騎馬集団がなにゆえに関東地方に特に多く発生したのか、万人を納得させるに足る研究はいまだ出ていない。言ってみれば空想的とでも言うほかない江上波夫の「遊牧騎馬民族渡来説」が確たる論証もなく独り歩きしているだけで、具体的に中央アジアのどの系統の遊牧騎馬民族が何時、どのような経路で渡来したのかについても、推測すら語られていない。
わが国中世武士団の発生は古代官牧との関連で説明されることもあるが、馬を飼育することと馬に乗って戦うことの間には密接な関係が確かにある。だが、そこには、ほんのわずかだが、決定的な飛躍がなければならない、と私は考える。
それはあるいは、かつて触れたことがある「七世紀東アジア大変動」に連動する動きだったのかも知れないが、具体的な関連を指摘する充分な準備がまだ私にはない。
ただ、わが国の歴史を主に日本列島内だけの事情で考え、せいぜい朝鮮半島や支那関内政権との関係を時に勘案するだけの「島国歴史観」では、中世末から近世まで列島全域を席捲した武士団の発生を説明することはできないという思いは強く持っている。

『みち』(通巻453号)p.13~14


陛下の平成の玉音放送が放送されたのが8月8日、その二日後、皇太子ご一家が信濃入りされた事の意義は深い。

【追記】
拙稿「平成の玉音放送」で、亀さんは以下のように書いた。

広島と長崎にそれぞれ原爆を落とされ、それが8月15日の先帝の玉音放送という聖断となった。


それに対して、聖断すなわち終戦の切っ掛けとなったのは、広島長崎に落とされた二発の原爆ではなく、今上陛下の玉音放送と同日の8月8日(1945年)、ソ連が日本に宣戦布告したことにより、先帝(昭和天皇)が日本の共産化を恐れたためとする異見もあった。それどころか、先の大戦は米国と日本の〝共同作業〟だとする記事すらあった。
長崎原爆を地上起爆させたのは江本文政か松永安左江門か?

それ以外にも掲示板「放知技」で、『天皇の陰謀』(ディビット・バーガミニ著)という、ウェブ公開の書籍を紹介してくれた親切なM・Jという御仁も登場した。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15817120/223/

それはそれで有り難いことなのだが、何故、陛下の平成の玉音放送の直後というタイミングなのか…(嗤う)。掲示板「放知技」の以下の投稿を熟読のこと。今、我々が行わなければならないことは、今上陛下の〝平成の玉音放送〟を、世界がどう受け止めたかを正確に把握し、それに対して我々はどう応えるべきなのかについて考え抜くことこそが、今や最優先事項のはずである。なぜなら、今上陛下の〝奇蹟〟を活かすも殺すも、すべて我々の肩にかかっているからだ。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15817120/201/