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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
数霊153
今日も深夜の午前3時に目が覚めた。多分、夕方の5時あたりまで仕事に没頭しているはずで、平均して14~15時間かけての仕事(翻訳)を連日のようにやっている。これが今月の28日頃まで続く予定だ。特に最も量のある仕事は、G社という翻訳会社から依頼されている3万語近くの英日翻訳で、しかも亀さんの得意なビジネス・機械・電子・自動車・半導体といった分野ではなく、契約分野なので余計に時間がかかっているのだ(笑)。契約関連の翻訳は、IBDの石上進社長と新事業を立ち上げようとしていた15年ほど前、一時は随分と契約分野の翻訳の仕事をやっていた時期があった。しかし、法律・契約分野の翻訳は寅さんの四角い顔のように、四角張った和文にしなければならないということもあって、とうとう好きになれなかったし、今でも苦手の分野だ(寅さんのエラの張った、あの四角い顔は好きなんだが…)。

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ともあれ、急がしい日々を過ごしている亀さんなんだが、それでも寝る一時間ほど前は、華奴(焼酎)を呑みながら色んな本に目を通すように心がけている。昨夜は届いた『飯山一郎の世界の読み方、身の守り方』(ナチュラルスピリット)を早急読み進めてみた。一番ビックリしたのは「私の情報源」という小節で、「ヘーッ、あの飯山さんの推薦する情報源って、何だろう…」と、興味津々にページを開いてみたところ、ナント世界戦略情報誌『みち』がいの一番に登場していたのには腰が抜けた…(p.56)。さらに、稲村公望さんが紹介されていたのも嬉しかった。『飯山一郎の世界の読み方、身の守り方』は、まだ三分の一ていどしか読み進んでいないが、最も印象に残ったのはp.68の〝鎖星〟についての行で、思わず唸った亀さんであった。これは、江戸時代と深く関わる話であり、現在の翻訳の大きな仕事が終わったら、〝鎖星〟について亀さんなりの記事を書くつもりだ。

さて、今月どころか先月の12月に配布された、まほろば会の安西ファイル、まだ記事にしていなかったので急ぎ取り上げよう。今朝は、「お金」と「大麻」の二つのテーマのうち、「お金」を取り上げたい。以下は12月度「お金」の主テーマだ(1月度も近く記事にする予定)。

(1)マイナス金利に関する一考察
(2)不透明な米金融政策
(3)究極の管理社会がやって来る
(4)パリ同時多発テロの意味
(5)数霊153と最後の審判
(6)大艱難に立ち向かう準備は整った


上記のなかで「(5)数霊153と最後の審判」が、亀さんにとって最も興味深かったので、安西さんの(5)の結語(【ポイント】)を以下に転載しておこう。

【ポイント】
・うお座の時代は物質科学を極めることが目的となっていたので、虚偽の横行が許されていた。そのため洗脳が盛んに行われてきた。また、物質を解明するために元は一つのものを善悪、美醜などの二つに分化する思考形態が常態化し、人々の意識に大きな影響を及ぼしている。
・聖書の中にも今後の嘘の時代を築く方向と、真実を隠して伝える方向の二方向が現れている。聖書の中で真実を伝えようとする人は、洗脳を目指す人と対決する形になり、本当のことを比喩や暗喩によって伝えるしかなかった。
・その中の一つの例として、『ヨハネによる福音書』の最終章(21章)に「イエスの指示によってガリラヤ湖で漁をした際に、153匹の魚が取れた…」という話がある。「153」という数字は、高度な霊界で使われる言葉(意思伝達手段)であり、あの世(多次元世界)から発せられたメッセージだ。ここにはいくつもの意味が秘められている。
・153は「三角数」(正三角形の形に点を並べたときにそこに並ぶ点の総数に合致する自然数。n番目の三角数は1からnまでの自然数の和に等しい)の17番目の数だ。17という数には、『7プラス10」という構造と、「1プラス7=8」という概念も含んでいる。7という数字には救済というイメージがあり、どの概念も救いと関係する。
・3で割り切れる数の終着点は153である。3で割り切れる数とは、あらゆる数の三分の一になるが、これはイエスとつながる人の数を暗示している。『ヨハネによる福音書』で語られている内容は、153に秘められた17、さらにこれを分解した『7+10」には、福音を受け入れる人数が7、さらに何もわからない人の群れが10人、という意味かと思いきや、実はそうではない。これは「私の言葉が心に入る者が、3分の1…、それでも私はすべての民を救う…」というイエスの言葉を暗喩にして表したものである。
・不安と恐れを手放すとき、この数霊に込められたメッセージの意味を正しく受け入れることができる。そのとき、「すでに救われているが、そのことを知らず、自分を自分で守るしかないという意識の前で、救われていることに気付かない状態」に置かれていることに初めて気が付くのである。この気付きに至る人の数は、全人類のうち三分の一なのかもしれない。その三分の一に入るのかどうかが、いますべての人々に問われている。


亀頭…、ではなくて亀さんの頭では「数霊153」を上手く解説できないので、以下のサイトを参照にしていただきたい。
聖書の数学―その驚異

上記の安西さんの【ポイント】およびサイト「聖書の数学―その驚異」は、実は〝数字〟にこだわるユダヤ教徒やキリスト教徒といった、一神教の世界と深く関わってくるのだ。関連して、拙稿「今上陛下の平和主義」で紹介した『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』からも、数字にまつわる話を引用しておこう。

さて、そろそろ仕事に取りかからないと、間に合わないぞぉ~。

八月一四日のポツダム宣言受諾は、「大西洋憲章の勝利」を意味していた
この文書を読んでなにより驚かされるのは、この共同宣言が調印された一九四一年八月といえば、イギリスはヨーロッパ戦線でドイツに連戦連敗している最中で、アメリカにいたってはまだ戦争に参加もしておらず、四カ月後にようやく真珠湾攻撃が起こる、そんな時期だということです。
それなのに八つの合意事項をひとつずつ読んでみてください。そこに書かれているのは、これから始まる現実の世界大戦についてではなく、すべて「戦後の世界」について。しかも自分たちがその戦いに勝利することを前提とした、「戦勝後の世界」についての基本構想なのです。
さらに、この共同宣言が調印された日付をご覧ください。一九四一年の八月一四日となっています。びっくりしませんか? ちょうど四年後の同じ日に、日本がポツダム宣言を受諾して第二次大戦が終わる、その同じ八月一四日なのです。
もちろん四年後の戦況があらかじめわかるはずはありませんが、一九四五年七月二六日のポツダム宣言、八月六日の広島、九日の長崎への原爆投下とつづく戦争終結計画のなかで、この日付がひとつのゴールとして設定されていたことはまちがいないでしょう。アメリカの異民族支配における日付へのこだわり、シンボル操作というものは徹底しているからです(当初アメリカ政府は、ソ連は八月一五日まで参戦しないと考えており、その前日の一四日までに日本を降伏させたいというのが、トルーマン大統領とバーンズ国務長官の「時刻表」でした)。(『暗闘』長谷川毅/中央公論新社)
すでにヨーロッパで、ドイツ対イギリス・フランスの戦いとしておこなわれていた大規模な戦争を、これから世界大戦に拡大させる。そのうえでその戦いに勝利し、戦後世界を英米同盟(the Anglo-American Alliance)によって運営していく。そのことが、この一九四一年八月一四日の共同宣言によって合意された。そして見事、四年後の同じ日、計画どおり戦いに勝利したというわけです。あまい見通しのもとに戦争に突入し、自国の兵士を大量に餓死させるような計画ばかり立てていた日本政府にくらべて、なんという違いかと思わずにはいられません。
そして恥ずかしながら、私もつい最近まで知らなかったのですが、この大西洋憲章(英米共同宣言)の理念がのちに国連憲章となり、第二次大戦後の国際社会の基礎になっていくのです。
その大きな流れのなかで、日本国憲法もまた、成立することになります。
もう一度、大西洋憲章の条文を見てください。「平和を愛する諸国民」(第八項)や、「すべての国の民族が恐怖と欠乏から解放されてその生命をまっとうできるような平和の確立」(第六項)といった言葉は、どちらもほぼそのまま日本国憲法の前文に使われています。
さらには第八項に書かれた「世界のすべての国民が、武力の使用を放棄するようにならなければならない」という基本理念が、憲法九条に受けつがれていくことになるのです。
ですから少し遠まわりかもしれませんが、いま私たち日本人が直面している大きな謎を解くためには、日米戦争がまだ始まってもいないこの時期まで歴史をさかのぼる必要が、どうしてもあるのです。
たとえば東京裁判(極東国際軍事裁判)で、A級戦犯の起訴は一九四六年四月二九日(昭和天皇の誕生日)におこなわれ、死刑判決を受けた七人への刑の執行(絞首刑)は、それから二年八カ月後の一九四八年一二月二三日(当時皇太子だった明仁天皇の誕生日)におこなわれています。さらに東京裁判が開廷した一九四六年五月三日のちょうど一年後、一九四七年五月三日には日本国憲法が施行されています。
PART3でふれたドイツの基本法(事実上の憲法)も、議会評議会で可決されたのは一九四九年五月八日。ドイツが連合軍に無条件降伏した「ヨーロッパ戦勝記念日」から、ちょうど四年後の同じ日でした。ドイツは日本ほど占領軍の言いなりではありませんでしたが、こうした「日付の一致」について、アメリガ側からの圧力はもちろん存在したはずです。

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』p.197~

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