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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
東光ばさら対談 柴田錬三郎
かつて今東光が主催していた野良犬会の看板とも云うべき人物は、柴田錬三郎(以降、シバレン)だったと勝手に思っているんだが、今日紹介するのは、そのシバレンと和尚との対談だ。佐藤春夫、谷崎潤一郎らの素顔が分かるという面白い対談でもある。

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ところで、亀さんはシバレンの生き様が好きなんだが、今でも座右の銘としているのが『円月説法』であり、内容の面白さといったら、和尚の『極道辻説法』に匹敵するほどだ。

また、シバレンの歴史を観る眼は確かなものがあり、亀さんは中国語ができなかったので、仕方なく三国志は日本語に翻訳したものを読んだのだが、無論、読んだのは吉川英治の『三国志』ではなく、シバレンの『英雄ここにあり―三国志』(上中下巻)であった。

また、シバレンと云えば眠狂四郎、眠狂四郎と云えば市川雷蔵というくらいだが、冥土までの暇潰しに、もう一度シバレンの『眠狂四郎』シリーズを読み、市川雷蔵の映画「眠狂四郎」を見てみたいと思う今日この頃である。

では、今週末もゆっくりと和尚の対談記事を愉しんでくれ…。

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石坂洋次郎夫人の浮気
梶山 今先生、近々書の展示会を開くそうですが。

今 九月の二十六日から、銀座並木通りのサンモトヤマで、書と陶器の展示会をやるんだけど、それに出す屏風ね、三十万円なんだよ。それにおれが字を書いたんだが、うちのかあちゃんが「おとうちゃんが書かないほうがいいよ」というんだよ(笑い)。

柴田 汚れるっていうわけだ(笑い)。

今 それから自分で焼いた壷がいいのができたんだよ。

柴田 それは、今さん、自分で作ったんですか。

今 ウン。壷にヘラで寒山を描いたんですよ。そしたら、箒を持っているのが茶芭にサアッと出てな。自分が作っててどんなものができるか、わからないんだ。
おれが今度、非常に面白いなあと思ったのは、窯ね。あれに入れるでしょ。玄人でも、百入れると三割がパーだってね。今度は百入れたんです。入れる時に、ここまではわれわれの責任だけれども、それから先は火の神さまの仕事ですから、運否天賦でいきましょうと……。さあ、しかし、おれが少しいじったやつがあるからね。そうしたら、ツル首みたいにのびた一輪ざしがあるでしょ。あれがちょっとした、水が多くついたかどうかしたり、あるいは少し長く置いてても、おれみたいに(手首を曲げて)なっちゃうんだよ(笑い)。

柴田 ああ、曲がっちゃうんですか、あれは。

今 曲がっちゃう。土が立つというのはね、これは容易ならざる技術なんだ。だいたい柔らかい粘土だろ。それを水でぬらした手で固めていくわけだからね。茶碗でもろくろをずうっとけりながら土を立てるんだ。立つということは人生においていかに大切かというのを、まずあれからおれは学んだね。

柴田 もう遅いけど……(笑い)。

梶山 それで、その窯のほうはどうだったんですか。

今 百入れたうち、九十四あがっちった。

柴田 それは立派なもんだな。

今 これはもう、破天荒なそうだな。

柴田 今さん、津軽でしたね。津軽というのは、ほんとに不思議な入がいますね。石坂洋次郎にしても、太宰治にしても、みんなおかしいことはおかしいな、どこか。

今 いやあ、津軽には、ばかばかしくあけっぴろげな野郎と、それから陰々滅々がいるんだよ。その陰々滅々の最たるものは葛西善蔵、秋田雨雀、それから、太宰治のごときもそうだ。石坂洋次郎は陰々滅々とまではいかないんだ。“陰滅”があいつなんだよ。あけっぴろげでしょうがねえっていうのでは、おれみたいのが出ちゃうんだな。

柴田 両極端だなあ。

梶山 大宅壮一先生の説によりますと、青森、山口、それから鹿児島という、その両極端が出るのは、日本海とか、瀬戸内海とか、海の影響が…。

今 こっちは一番ひどいよな。津軽海峡で日本海と太平洋と両方からぶちかまされるから、陰々滅々となるんだよ。だから、石坂洋次郎はかなりユーモラスなものを書いても、なんか、つまり、津軽流にいうと口説き節なんだな。ぐちっぼくてね。

柴田 しかし、石坂さんは、どうして浮気を実行しなかったんだろう?

今 かあちゃんの手前、だめなんだ。

柴田 だって、かあちゃんはやっているじゃあないの。

今 かあちゃんは実行派なんだ。実行派と思索型とあって、石坂は考えているんだね(笑い)。今度やろうと思っているうちに、かあちゃんが先にやっちゃうんだ。

柴田 ところが、亡くなると全部書いちゃうでしょう。

今 それが陰滅なんだよ。陰々滅々だったら、生きているうちから書くべきだけど、やっぱり死ななきゃ書けないんだな。

梶山 こわかったですかね、奥さんが……。

柴田 こわいかあちゃんじゃなかったろうと思うし、だいいち、かあちゃんがやっているんだから、とうちゃんがやっててもおかしかない。

今 いや、かあちゃんは、それは華やかにやっちゃったんだよ。隠さねえんだから。そしてな、うちへ帰っても、知ってる人にも、わたしゃ浮気した。彼をここへ乗せた。だけど、ゴムをちゃんと入れてるからね、血はまじっていない、というんだっていうもの。血がまじったのは、おとうちゃんの洋次郎だけだっていうんだ(笑い)、どうだい。こういう説が、医学的にいいなら、おれも女房に対して、おまえの貞操は守っている。ゴム一重の付き合いは別だと、おれもいおうかと思うけど、どうだろうな。

柴田 やっぱりアレは行為だからなあ、ゴムを使おうと使うまいと関係ないな。

今 こりゃ具合悪いなあ。それじゃあいえねえや(笑い)。

柴田 だいいち、ぼくは石坂さんのかあちゃんにいわれたことあるもの。おまえは浮気がへたくそだというんだ。私なんかうまいもんで、三人は絶対にバレてないっていうんだな、とうちゃんに。それをゴルフ場に行きながらいわれたんですよ。しかし、どうも石坂さんは、それを全部知っているらしいんだなあ。かあちゃんは石坂さんが知らないと思っているらしいんだ。そこのところにあの夫婦はへんなギャップがありますね。

今 ああ、そうか。――いや、それがな、もうだいぶ前の話よ。かあちゃんがまだ達者な時分に、あのかあちゃんの女学校の東京同窓会の大会というのに講演頼まれたんだよ。うちのとうちゃんはそういうこと不得手だから、東光さんに頼もうと思って、といって。いやあ、もう、モテたの、モテたの、あのかあちゃんにね。おれをすっかり抱き込んじゃってな。席はこっちのほうとかなんとか、気味悪いほどな。もうそのころ、そろそろぜい肉がついて太りはじめてたからあったかくてな、抱かれていると(笑い)。

梶山 石坂夫人は美人だったんですか。

今 弘前でなんとか美人といわれたんだよ。津軽美人の筆頭に置かれていた、女学生時代は。

柴田 そうは見えなかったけどな。

今 おれだって、昔は黒髪がフサフサとあって、振り返るような美少年だったんだ。それ今日、このとおりだ……。

柴田 誰も見たことないから、信用できないんですよ(笑い)。

今 立証する人いねえか。

柴田 写真は見たことありますけどね。

「外房総には牛が住み」
柴田 ともかく、石坂さんというのは不思議な人だ。

今 それは不思議ですよ。

柴田 当人は大真面目なことをいうんです。ぼくがこの間ちょっと外房総へ行って来たという話をするでしょ。そうすると、「柴田君、外房総に牛はたくさんいたかア」とぼくに聞くわけですね。でも、外房総にばかり牛がいるわけじゃなし、「そんなにいませんでした」といったら、それはおかしいというんだな。これが、鉄道唱歌があるでしょ。あの中に「外房総は薄がすみ」という言葉があるのを「牛が住み」と覚えちゃったんだなあ(笑い)。鉄道唱歌だよ……。小学校の時からでしょう。それが、今だにそう信じているわけですね。津軽人というのはしつこいと思いましたね。

今 あのかあちゃん、「スパレン」というんだもの。

柴田 「スバレン」といわれたとたん、おれはゴルフがだめになっちゃう。

今 いや、小林秀雄がそうなんだ。文士でみんな行くんだろう、文芸春秋の主催やなんかで。そうすると、おれはよく知らないけど、なんか組むでしょう。

柴田 そうそう、四人で組むんです。

今 組むとね、ときどき小林秀雄とかあちゃんが当たるんだ。そうすると小林がまいった顔をして、「日出ちゃん、日出ちゃん」と日出海のところに来る。「日出ちゃん、替わっておくれよ」、「なんで替わる? 誰と替わるんだい」、「石坂のかあちゃんたんだ。おまえは同郷たんだから替わっておくれよ」、「だめだよ、おれもあのかあちゃんと組むのいやだよ」と日出海が断ると、小林がガッカリするんだって。日出海もしようがないから、「おオ、かあちゃんよ。あんまり余計な口出すな」って注意するんだって。そしたら、「ああ、わかってら、わかってら」というんだそうだ。それで小林がボールを狙っていよいよ打つという時に、パッとあげた瞬間をとらえて、「コバヤスさん、スッカリやってちょうだい」っていうんだって。そうすると小林が、パッとあげたのがニャロニャロになってね。もういけないんだって(笑い)。

柴田 その話、あるんです。実話がね。今日出海とサンケイの水野成夫とあのかあちゃんが三人で回ったことがあるんです。あの時も、やはり小林さんが替わってくれといって今日出海になったわけだ。その時、初めて水野成夫とかあちゃんは顔を合わせて、紹介されたわけです。それで回っているうちに、例によってかあちゃんがギャアギャアいったんです。だから今日出海が「楢山へ送るぞ、かあちゃん。うるせえから」といったんです。すかさず水野さんも「おれが後ろからケツ押す」といったって(笑い)。そうしたら、かあちゃん怒ったわけですよ。「今さんはいい、長年の付き合いだし、しかも同郷だ。けれども、水野さんはなんだ、私は今日初めて会った男が、後ろからシリを押すとはなんだ、今後、サンケイの新聞、雑誌には一切、とうちゃんに小説を書かせない」と宣言したくらい怒っちゃった。それ以来、石坂さんはサンケイに一文字も書いておらんね(笑い)。

今 偉いもんだね。とにかく、あのかあちゃんの話たら、なんぽ話してもキリがないだろね。柴錬、書けよ。

柴田 しかしもう、とうちゃん書いているじゃないですか、さんざん。

本気で惚れてしまう佐藤春夫
梶山 柴田さんは、佐藤春夫門下ですね。

柴田 今さんは、佐藤春夫とは昔から懇意でしたか。

今 だって千代子夫人と一緒になる前、女優の川路竜子の弟子と一緒になっていた時代だよ。何といったかな……ああ、お加代。これがまるぽちゃの可愛い奥さんでね。

柴田 お加代のほうに連れ子はいなかったんですか。

今 お加代は娘だったよ。いいことしたんだよ、あれは。文壇三バカといわれた藤森淳三というのが昔いたが、そいつが横恋慕しやがって、佐藤さんがカンカンに怒っていたことがあったよ。

佐藤春夫はあのころ、駒込の由緒深い吉祥寺の本堂や境内の見える路地の奥まったところの二階にいたよ。それが、お加代の家なんだ。猫が八匹か十匹いたかなあ、老猫ばっかり。それから、お加代のおばさんというのが五、六人いるんだよ。だから、あそこのうちはババアが五、六人いて、老いたる猫が十匹ぐらいいるんだ(笑い)。実に不気味なもんだね。谷崎潤一郎も「あれはへんなうちだね。あそこへ行くとどれがどれだかわからないけど、代わるがわる出てくるのがババアだね」といっていた。

梶山 化け猫屋敷ですね。

今 近所でも気味悪がってたって。その中で一人だけ、まるぽちゃの可愛いのがお加代ちゃんという奥さんで……。

梶山 正式に結婚していたんですか。

今 そうでしょう。一緒に住んでいたんだから。

柴田 佐藤春夫という人は浮気はしない人ですね。本気で惚れちゃうんですね。

今 それなんだよ。これは実に幼稚なほど惚れるんだよ。花柳寿美という踊りの名手がいたろう。あれに惚れちゃってな。大きなパネルを自分の部屋に置いて見ているんだよ、それでどうということもないんだよね。
だけど、戦争中、南方のジャワかどこかに行った時、ジャワの女に惚れちゃって、なんかえらくモテて帰って来た。そうしたら、また会いたくなったんだね。ところが、軍の従軍で同行したのが林房雄なんだ。それで林に「あの女の居所を君は知らないか」なんていっているんだよ。「ええ、私は関係ないし」と林が答えると、「関係なくても、先輩が可愛がった女の居所ぐらい君は調べておくべきではないか」って怒り出すんだそうだ(笑い)。林はまいっちゃって、「私は私のほうで忙しいんで、先生のほうまで気がつきませんでした。顔さえ覚えていない。まして居所とはとんでもないことでございます」。「君はそういうことだから、文壇でもあまりうまくいかないんだよ」なんて(笑い)、えらい話になっちゃった。「それでは二人で出かけて捜そうじゃございませんか」、「それなら君が案内したらいいだろう」ということになり、捜しに出かけた。あっちを叩き、こっちを叩きして、えらいもんだな、執念というやつは、見つけたそうだよ(笑い)。それでその女が出て来たら、佐藤さんはニヤッと笑って「林君、この女だったよ」というんだって。林が「ああ、ようござんした」というと、「君はもう用がないから帰ったらどうだ」だって(笑い)。

梶山 ほんとですか。

今 林がおれにそういうのだからね、責任ある話だよ。

柴田 しつこいのは、ぼくは身にしみて知ってますが、それはもう変わっているんだ。

泥吐かされた女との関係
今 あんたは、いつごろからのつき合い?

柴田 ぼくが佐藤春夫の弟子になったのは終戦直後ですが……。

今 慶応の先輩というわけじゃなかったのか。

柴田 ぼくはある女性のことをひた隠しに隠していたわけです。ところが、佐藤春夫がその女性に惚れちゃったわけです。その女性は未亡人なんですが、ものすごく惚れたわけですよ。

今 君の女にか。

柴田 ええ。それもあのしつこさで、佐藤春夫のほうが先に女を問いつめ、とうとうぼくのことを女に泥吐かせちゃったんです。今度はぼくを呼びつけて、「おまえ、やったか、やらんかったか」と問いつめてくるわけです。ぼくは相手は未亡人だし、子供もいるし、なるべく傷つけまいとして、やらんということをいっていたんですが、あの大手、搦め手から来る追及にはかなわんですね。呼び出しは毎日、速達で来るわけです、佐藤春夫のところから、ちょっと来いと。あの時、君はこう,いったけど、あれはどうも隠している節があるから、ここのところはもう一度、明らかにせよと。
だんだん問いつめられているうちにぼくも面倒くさくなって、ああ、やりました、といっちゃった。そうしたら、その状況を話せというんです(笑い)。

今 まいったね、あのおやじさんにも……。

柴田 最初はどうだった、というようなことをいうわけです。最初は、ぼくは栄養失調でインポテンツだったというようなことをいったら、そういうことはないはずだ、と問いつめて来るわけです。その時、女は実は亡くした亭主のモモ引きをはいていたんだ、冬で。おれ、泣けちゃいましてね、やりきれなくなってしまった。あのころ、終戦直後で物資不足でしょ。それでやりきれなくなってやめたというようなことをいうと、そういう話をどんどんぼくは泥吐かされたわけですよ。
そうしたら片方では、柴錬というやつは佐藤春夫のところにすわって、芥川賞をもらうためにあらゆる恥部をさらけ出しておるということになったわけですよ。そうじゃないんだ。佐藤春夫という人を知ってたら、絶対にごまかしがきかないんですよ。全部しゃべらされちゃった(笑い)。

今 そういうクセがあるのは、一つには谷崎潤一郎と闘ったせいですね。議論するんですよ、文学論を。谷崎先生のところに、佐藤春夫が行こうというもんだから二人で行くわね.やはり佐藤は芥川をライバルにしていたし、芥川の語学力にはちょっとコンプレックスを感じていた。芥川は東大だし、こっちは慶応だというコンプレックスもあった。たとえば、今月の中央公論に芥川のが出たとか……。佐藤さんは「芥川は自信のあるような話をぼくにしていたけど、ぼくはちっとも感心しないね」というようなことをぼくらの前でいい出すんだ。そうすると、谷崎先生は「いや、自信はどうだか知らないけど、そう悪い出来じゃない」。佐藤さんは「そういうこと自体おかしいね。谷崎は批評眼がないみたいだな」とからんでいく。谷崎先生がまた三歳の童子のごとくカッカとなるほうで、理路整然とやっつけ出すんですよ。しまいには、おれ見ていて、佐藤さんがくやしがって涙を流すんだから、ボロボロ。それを谷崎先生は仮借なくいじめるんだ。あの時代の作家というものは厳しいんだよ。

柴田 そういう訓練を受けたんですね。

今 だから容赦しないよ、柴錬のごときでは(笑い)。泥を吐くまでだめだよ。

柴田 とにかく、最後は東大の古畑種基博士のとこまで、ぼくを連れて行って、あそこの写真を全部出させた。それで、ぼくにその女の肉体構造が、どういう形をしてるか指摘しろというんですから(笑い)。あれにはまいったねえ。まあだいたいこういう形だっていったら、古畑博士が、男性的要素の多いほうの陰部だとか解説して、佐藤さんもやっと納得した。

原民喜自殺の一因
梶山 何ヵ月ぐらいやられたんですか。

柴田 二年ぐらいです(笑い)。いちばんよく知っているのは、もと『群像』の編集部にいた大久保房男だな。どういうわけだか、佐藤さんは、引きのばすとこれぐらいで(便せん大)、丸めると、こんなに小さくなる紙持ってるんですよ。和紙のいいやつなんだ。それになんか書いては、くるくる丸めて、千代子夫人がいないときに、ポンと大久保に渡すわけですよ。大久保がそれを読んでぼくのところに来る。これこれこういうことを解明せよということで、ぼくは、いちいちそれに答えなくちゃならんわけですよ。

今 佐藤さんは好きだけど、その女性とやってないの。

柴田 女がやらせないんです。接吻まではさせるんですが、その女、悪いやつでね(笑い)。接吻させたら、やらせたらいいじゃないですか(笑い)。

梶山 その女性は、まだ現在もお元気なわけですか。

柴田 ええ。

梶山 はその女性と原民喜さんとが……。

柴田 原民喜が惚れて結婚を申し込んだんです。その当時、原が十万円持っていた。かなり持っていたわけですね。だから自分は結婚できると思って申し込んだら、彼女がけっちゃったわけです。それが原の自殺した一つの理由にもなっているはずだ。つまり、彼女は一方で、非常に献身的にものをやってくれる人なんですよ。サルマタまで洗ってくれる人なんですよ。

梶山 能楽書林時代ですね。

柴田 そうそう、能学書林にいて、そこの片隅の部屋を一つ借りてたわけです。原という人は、世事、俗事にまったくうとい人ですからね。彼女はサルマタまで洗ってやったわけですよ。そうしたら、彼は結婚したくなったんだなあ。それをふっちゃったんだ。自殺の理由はそれにもある。

今 あんまり遊びをしない人なんか、そういうことがあるとショックだな。

梶山 まあ作品的な行きづまりとかなんとかいいますけれども……。

柴田 一番大きなものは彼女に対する失恋です。佐藤春夫にいわせれば、彼女は「女狐」ですがね。

今 佐藤は彼女を憎んじゃったの、自分にやらせないから。

柴田 いや、憎まないですよ。そのうちに彼女は十二ぐらい年下の共産党の青年と駈け落ちしてしまった。

今 みんな共産党はさらうんだな。

柴田 共産党の若い連中は、ものすごく惚れてみせますからね。いろいろ理屈をこねて。

詩人、春夫のなまめかしさ
今 しかし、佐藤春夫も、かあちゃんのお千代さんはこわかったらしいんだね。

柴田 ひところ、奥さんはもう頭に来ていましたよ。

今 佐藤はね、かあちゃんにすぐわかっちゃうもの。というのは、おれらが「ちょっと神楽坂へでも出かけよう」というと「ウーン、おっくうだからな」、「だって、だいぶ出ないんだろう」、「もう十何日ゲタはいたことないよ。庭にも出ないよ」てな調子でものぐさなんだよ。それがいったん女に惚れるとね、その女がいてもいなくてもかまわねえんだ。一日に何回とゲタはいて出かけるんだよ。だからもう、ゲタはき出したらかあちゃんにわかるよね(笑い)。出ないやつが出るんだもの。
それで、いつか、えらい夫婦喧嘩しちゃってさ、あの門のとこ、年中しまってんだろ。

柴田 ええ。

今 あの門の、石段でもないけど、あそこに佐藤春夫が着流しで、なんだかふっくらと懐をふくらませて腰かけているんだ。それでおれが「どうしたの」というと「おッ、東光、いいところへ来てくれた。かあちゃん、ねじりハチ巻きで怒っているから、ちょっとのぞいて見てくれないか」というから、仕方がない、おれは門から入るといけないから、台所口に回ってコンチハ」っていうと、「何屋さんかい」なんていって、かあちゃん、ほんとにな、ハチ巻きしてカンカンなんだよ。「なんだいその格好は、みっともない」、「いいじゃないかよ。それより東光、おやじに会わなかったか
い、往来で」、「ずうっと向こうにいたよ、ブラブラ歩いてたよ。どうしたんだ」、「ウン、出て行け、といったら、出て行ったんだよ。メガネと原稿用紙と万年筆を懐に入れて。どこかで書くんだろ」、「そんなみっともねえことないよ。ねえ、おれ呼んで来るから、もう怒りなさんな。だいいち、ハチ巻きとりなさい」、「いや、これはガンガン頭が痛い」、「あとでおれがもんでやっから、そのはげ頭」――若い時、島田結ってるから、こうはげているんだよ。「はげ頭もんでやっからな、もう怒りなさんな」、「そう、それじゃつれて来てよ。ほんとにみっともないよね」、「みっともないって。放り出したり、飛び出したりみっともないから、おれ連れて来る」というなり、裏口からまた出てね。「うまくいったぜ、もう少したってから帰ろう」といって、二人で石段のところへ腰をかけて時問をつぶしてね。さも遠方から連れて来たような顔をして(笑い)、二人でノコノコ帰った。おれはずいぶんそういう点、苦労してんだよ、オイ。

柴田 ああ、わがことのみならず、他人のも(笑い)。

今 しかし、佐藤春夫という人は面白いね。

柴田 なんかいう言葉がさえてましたよ。たとえば、人と議論になったりした時ね。舟橋聖一と議論した時、舟橋聖一が「それは佐藤さん、あんた神がかりだ」といったんです。そしたら、間髪を入れず佐藤春夫がね、「それじゃ君は下がかりだね」なんていった。そういううまさがある。

今 それはそうだね。頭の回転が非常に速い人だった。

柴田 紀州のほうから、慶応に入った学生がやって来た。これは親父が大工なんです。親父の職業のことを大工と書くのが恥ずかしいといった。佐藤さんのところへ来て、ほかの言葉はないだろうかと聞いたらね、「おまえ、大工の下に業という字を書け。そうすれば大工業になるじゃないか」って(笑い)。そういうふうな頭の回転の速さが……。

今 めずらしい人だ。

柴田 それでぼくは尊敬しちゃったんですよ。

今 だから、あの人が「車塵集」なんて書いてますね。支那の芸者の詩だとか、とくに女ばかりだ。ああいうものの翻訳は古今無類じゃないかな。

柴田 ちょっとないですね。

今 漢詩なんかね。今度のおれの展示会でも王維のものを書いたり、倪雲林の自叙伝を抜粋したりしてみると、ああ、佐藤春夫の訳は名訳だと……魚玄機といって、森鵬外が書いている女流詩人がいるんだ。それをどうやって訳していいかといったら、佐藤春夫以外にないな。そのうまさというものは、なまめかしくてね、それでいてみだらでなくて、非常にうまい。だから根本的に詩人なんだね。

梶山 言葉を大事にされるという感じは、ものすごく受けますね。

今 あれが失恋してね。自殺しようと思って、福岡まで飛んで行ったことがあるんだな。それで福岡だか佐賀だか、あの辺に何とかいう松林があるんだね。そこを泣きながら歩いている詩があるがね。

柴田 人と別るる一瞬の思いつめたる風景は松の梢のてっぺんに海一寸に青みたり――という詩だったかな。

今 覚えているね、この人。

梶山 柴田さんはね、記憶力というのはすごいですよ、こと字句に関しては。女に関しては寝た女の顔も覚えてないんだから(笑い)。

柴田 これはしょうがないや。

今 忘れるか、やっばり。おれも忘れる。

無学文盲だった奥むめお
梶山 佐藤さんは、俗に“門弟三千人”といわれるほど、いろんな方が出入りしていたんですね。

今 それでおもしろい話があるんだ。佐藤春夫と中学時代の同級で奥栄一という翻訳をする人がいた。ゴーチェだったかの翻訳をしたんだが、それを佐藤の世話で翻訳して新潮杜から出たのが、あとにも先にも一ぺんなんですよ。英語も独学でやった人でね。もっとも、ゴーチェだから仏文なんだけど、仏文できないから英文で訳した。これが貧乏でね、どうにもならなくなって……。中学時代に同級になったというのは、新宮中学で一年上級だったんですが、落第して佐藤さんと同級生になったんだね。二人共、文学が好きでね。佐藤さんのほうは懸泉堂というお医者さま。まあ、漢方医の毛のはえたような医者だったのだろうけど。

柴田 あれは藩の医者だったんでしょ。

今 そうなんだ。だから家代々漢方医だな。奥栄一という人はどんな家の人か知りませんが、あまり豊かでない。それが東京に出て来て、また佐藤にいろいろ世話になって、それで翻訳もした。それから間もなく結婚したんだよ。それが女工さんでな、目に一丁字のない女性だったんだ。その女房にもうそれこそイロハから教えたようなもんだな。文章を書くことも、演説することも教えた。それが子供ができましてね、その赤ちゃんをねんねこでしょって、メーデーの時、演説会に出して演説させたんだ。それを新聞でも、もうガッと大きく書いてねーそれが今の奥むめお女史だよ。

柴田 えッ!? 無学文盲だったわけですか。

今 無学文盲さ。だから奥栄一の傑作はね、そんなゴーチェの翻訳なんかじゃなく、奥むめおという無学文盲の女をあれだけのインテリに仕上げたことだね。それは佐藤春夫もおれも、彼の努力と誠実さというものを認めるよ。ところが、女史のほうは偉くなって来てね、社会的にいろいろ交渉ができて来ると、いかに自分の亭主がパカで無能かということが見えて来たんだね。それで別れちゃった。

柴田 それじゃ与謝野鉄幹と与謝野晶子みたいなもんだ。

今 そうよ。しかし、いまだに奥という姓は名乗ってんだよ。

梶山 それは初耳ですね。まあいろんなことを知ってるね(笑い)。

今 奥むめおがこの雑誌読んで、わたしゃあ無学文盲でなかったっていったら、じゃおれの前で対決してみろっておれいえるよ。奥むめおがまだそんな大したことになっていない時、奥が佐藤のところへ来て、いろいろ教えている教科書の話だとかしていたもの。

批評家は女を知らない……
柴田 ぼくは佐藤春夫が酒田のある女性に惚れて、ラブレターを送っていますけど、それを読んだことがあるんです。これは名文だなあ。あれで心を動かさない女がいたらどうかしているぐらい名文ですよ。その女性はまだ持っているはずです。

梶山 それは候文で書いてあるんですか。

柴田 候文ではないけど、その中に歌は入れてあるね。

梶山 錬さん、ラブレターなんか書いたことありますか。

柴田 全然書いたことない。

梶山 今 先生は?

今 おれはあるよ。

柴田 今 東光の恋文なんて、亡くなったら出て来るよ(笑い)。

今 宇野千代に書いたり、宇野千代が寄こしたりしたの、みんなねえンだからおしいねえ(笑い)。

柴田 十返肇がね、死ぬ二、三年前に女に惚れてね。ラブレターを書いていますよ。これを吉行(淳之介)が読んだら、もうあきれかえるぐらい甘ったるくてね。吉行が「おれ、絶対に評論家というのは信用しない」っていったもの(笑い)。実にへたくそらしいんだな、甘ったるくて。

梶山 いや、十返さんて純情なとこありますよ。

今 いいとこあったね、あいつ。

柴田 Hという評論家がいるでしょ。彼がぼくの知ってる新劇女優に惚れたわけですよ。どうしてもおまえと一緒になりたいということをいうが、新劇の女優のほうは鼻でせせら笑っている。Hのほうがわからなくなっちゃったんだな。それで対決しようというので、これもおかした話だけど、女房とその新劇の女優と三人で、さんざんやったわけですよ。Hが「女房と別れて一緒になる」といっているのに、新劇の女優のほうが「ウン」という返事はしない。そういうことをさんざんやっているうち、最後に妻君がケタケタと笑ってね。「Hは私と絶対に別れません」と。なぜだといったら、「結婚して二十五年間、いまだに一緒の床の中に寝てる」というんだって。

今 フーん。

柴田 女優のほうはもうあほらしくなったって。だいたい、評論家なんて中学生みたいなところあるわな。

今 そうだな。

柴田 それで男女の機微を書いた小説の批評ができるわけないですよ(笑い)。一ぺん女とバチャバチャやってみりゃいいじゃないか。それでどれほど女というものが扱いにくいものかという地獄の苦しみをやったら、はじめて小説の批評ができますよ。

“中尊寺心中”なんて書くなよ
今 だけど、生田長江という人は、偉い人だったな。佐藤春夫は、生田先生のところで食客になっていたんだ。長江さんは、はじめ夏目漱石の門を叩いたんだ。ところが、長江というのはエラ物でね。やっばり先生といえどもというので漱石批判をしたんだな。そうしたら、小宮豊隆、鈴木三重吉、こういう意地悪がみな生意気だといって、長江を村八分にしたんだよ。それで長江は一匹狼になってしまったけど、「青鞜」が出ると、平塚雷鳥なんかを応援した。そういう点は評論家として立派だよね。文明批評家というような感じがしてね。
佐藤さんの才気を長江が非常に可愛がった。これは必ず将来大を為すといって、また佐藤がペイペイの時代の「病める薔薇」というのが、長江の紹介で「中外」という雑誌に出たのですよ。それですぐに今度はおれを紹介してくれてね。だからおれらはその点、非常に長江先生の恩義を感じているんだけどね。
そこに生田春月というのが書生をしていたんです。これは先月、瀬戸内晴美にも話したんだが、この春月という男は、話もろくにしないで、なんか深刻で悲しくてな。ああいうのが恋愛すると、もう馬車馬みたいなんだな。それであれ、瀬戸内海で船から飛び込んで死んじゃったんですよ。失恋したのかなんか。ああいうのは融通がきかないんだよ。あと戻りできないんだ。義経みたいに、逆艪をつけるということができない。もう進むだけで退却ができないから、そこが深淵であろうと、断崖絶壁であろうと行っちゃうんだね。もっとも、おれなんかこの年だって、惰熱は若い人に負けないくらい持っているんだからな。おれだって心中するか、自殺するかわかりゃあしね。

梶山 中尊寺心中、なんてね(笑い)。

今 おい、そんな「中尊寺心中」なんていう小説書いてくれるなよ(笑い)。心中の名所にでもなったらかなわねえからな。

梶山 「中尊寺心中」という題がいいですよ。それで最後に金色堂を見て、心中する。

柴田 それは水上勉の世界だよ(笑い)。

今 勝手なこといいやがる(笑い)。

梶山 では、どうもこのへんで――。


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