過日の拙稿「余命半年…」で井上ひさしの名前を出したが、実は『東光ばさら対談』で井上は今東光和尚と対談を行っている。大僧正の今東光とカトリック教徒の井上ひさしの二人による、至高の対談…じゃなくて私行の猥談を愉しんでくれ…。

十二階下の魔窟が玉の井へ 井上 先生は岩手県のほうへは?
今 こないだも行ってきたんだ。
井上 ぼくは一関にだいぶ長い間いたことがあるんですよ。ちょうど昭和二十四年ごろですが、キャサリンとかアイオンとか台風が二年続けてありまして、磐井川がそのたんびに氾濫しましてね。
今 どうしてそんなところにいたの。
井上 おふくろが、あそこで堤防工事の土建屋をやってたものですからね。
今 偉いね、女ボスじゃないの。
井上 昔、磐井川にものすごくでっかい木がありましてね。ぼくが生まれて初めて見たぐらい、直径三メートルもある木です。水かさが増しますと、その木に上流から流れてきたものがひっかかって堰止めちゃって、一関の町が水びたしになるんです。で、ある程度までくると、橋のほうがこわれて流される。それの繰り返しだったんです。ぼくが行きました時は、ちょうどその木を一ヵ月ぐらいかかって切っていました。昭和二十四年の夏ごろですね。
今 まだ拙僧が行く前だ。おいくつぐらい?
井上 中学三年ぐらいです。
今 それ以来いらっしゃらないの。
井上 同級生がいますから、五年に二へんぐらい行きます。
今 もっといらっしゃいよ。ぼくが(中尊寺の)住職してる間にいらっしゃいよ。
井上 平泉は一度も行ったことないんです。
今 何だい、これはまたひどいね。実はね、昔はずいぶん坊主が一関で飲んで遊んでたんだ。これが、おれが行ってから、ぴったり止まっちゃった。だから、料理屋や花柳界ではほんとうは困るんだけど、そう悪口もいわず、「先生が来てから、寺の風儀がよくなりました」って、評判はいいんだ。和尚は風儀は悪いんだけれども(笑い)、寺では厳しいもんだから、坊主どもはおとなしくしてる。あなた、大学のころ、まだ赤線ありましたか。
井上 ありました。
今 あなたはたいへん浅草好きなんだそうだけど、吉原は行ったことあるの。
井上 一度だけ行きました。
今 ぼくは古いんだよ。あれは明治四十年前後に大火がありましてね。徳川時代の建物が丸焼けになったの、昼火事で。ぼくアいとこに連れられて冷やかしにくっついて歩いて知ってるんだけど、いわゆる名門といわれたいいうちで、間口は広くても奥行きのないみたいなもんで、火災のあとに建たなくなっちゃったうちが、何軒かありましたよ。その筆頭が金瓶大黒といううちで、三条(実美)公とか山内(容堂)の殿様というような人が幕末から明治の初年にかけて遊んだという、たいへんなうちなんですけどね。で、そのあとに建ったやつが、ぼくらがはなはだ利用した吉原時代なんだな。それが関東大震災で丸焼けになりまして、そのあとに建ったのが、また終戦でストップになっちゃったわけですね。
井上 ぼくは浅草で働いていたんで、金を持って吉原に行く途中、あそこに千東通りがありますね、あそこの青線でみんなひっかかっちゃうんです。
今 ぼくらの時分は青線ていわないんだ。馬道を通っていよいよ行くと、猿之助横丁っていうのがある。そこから入ると、十二階下の魔窟なんだ。これもおもしろい話があってな。十二階下は吉原よりも女が多くて、たいへんな数がいたんですよ。ところが根津嘉一郎って怪物がいましてね、浅草から日光への電車つけるっていうんだ。重役はもちろんのこと株主全部反対なんですよ。日光なんて、そんなに行く客はないでしょう、その当時。今だってそんなにありゃしません。そこに電車をつけるなんて、こんなむだなことはないってみんな社長に反対をした。ところが根津は独裁者だから、何いってるんだ、あくまでもやるんだって、とうとう電車つけちゃった。 その時の警視総監が丸山鶴吉って、鬼総監といわれたやつなんだ。政治に色気があったんだな。根津に「おまえ貴族院に出してやろう、選挙費用も出してやる」っていわれて、丸山は「市内にこういう魔窟があるのは、鳳紀上はなはだおもしろくない」ってんで、断固として取り払いだよ。魔窟にいるやつは白首っていって、やかましいものなんだ。そいつらが反対やったり、おどかしたりしたって、鶴吉はサーベルに手をかけて交渉するものだから、ヤクザも何もよういえない。それで引っ越した。それが玉の井ですよ。 魔窟が玉の井に引っ越したでしょう。そうすると、客は日光行きの電車に乗るじゃないの。黒字だよ。それで、根津が「てめえたちおれに反対しやがったけど、先が見えなかったじゃねえか、このバカ野郎!」てんで、重役連中、クビのすげかえなんてやられてた。やっぱり根津さんは偉いってことになった。玉の井は根津が地所を選定して、魔窟を移転させたんです、サーペルの力で。だから、あの辺の地価は上がるし、夕方から夜にかけて客がじゃんすか乗るでしょう。もう電車は満員だよ。日光なんて、一日に一本行ってるだけだよ。
井上 玉の井線ですね(笑い)。
今 玉の井ができたろ。そうすると、ありとあらゆるところにタバコ屋、酒屋なんて店がついちゃったわけだ。これが全部、玉の井のスパイだよ。女が脱走したりすると、いち早くここから惰報が入っちゃうんだ。すると、おっ取り刀で行って捕らえちゃう。それはたいへんな組織だな。今でいうとマフィアだな。これ書きなさいよ、井上さん。ぼくはそんなもの書かない、品が悪くなるからさ(笑い)。タバコ屋でござれ、みんな組合から手当が行くんです。タバコ屋で居眠りこいてる婆アだと思って安心してると大間違い、片目あいて見てるようなやつで、寝てやしないんだ。だから、あそこの女はかわいそうなもんでしたね。吉原といくらも違わない厳重な監視の下に置かれたんだ。
井上 「新聞閲覧所」っていってたのは、ずっと前ですね。
今 十二階下の時代。それから少しやかましくなりまして、大正二年か三年ごろかな、銘酒屋(私娼窟)で軒灯をつけちゃならんてことになったんですよ。明るい灯の下で値段の交渉してるなんてけしからんていうんでね。ところがな、このほうが繁盛しちゃったんですよ。明るいと、ハゲ頭とかデブチンは嫌だよっていわれるのが、薄暗いだろ、わかりゃしないよ、シャッポかぶってりゃ。おかげで客の上がる率が高くなっちゃった。警察ってのはよっぽどバカだよな。そういうことがちっとも計算つかないんだからね。
井上 ケイソツっていうぐらいですから(笑い)。
“新宿青線”のダブルヘッダー 今 あなた、最初は新宿の赤線ですか。
井上 ぼくは初め半年ぐらい大学に行ったんですけれども、田舎の神父さんと東京の神父さんとでは、ぜんぜん違うんですね。東京のほうがインチキ臭いんですよ。で、たちまちいやになっちゃって、岩手県の釜石に帰っちゃって、国立療養所に勤めて、二年かかって十五万円ぐらい貯めました、一銭も使わないで。それでまた東京へ出て来て、復学の手続きして、新宿に映画見に行ったんです。夜遅くなって新宿高校のそば通ったら、「四つ目さん」なんていわれたんです、眼鏡かけてたものだから。「えっ」、「遊んでかない」なんてね。何のことだか、よくわかんなかったんですよ。けれども、遊んで行かないかっていうんだから、何かあるんじゃないかと思ったら、青線なんですよ。それですっかり病みつきにたりまして、二年間かかって貯めた十五万円が二ヵ月でなくなっちゃって、夏休み前にすっからかんになっちゃった(笑い)。それからアルバイトの連続だったんですけれど、サカリがつくっていうのはああいうもんですね。帰りには「もう絶対行くまい」と思うんですけど、次の夜になるとソワソワしてくるんですね。 ひどいのはですね、まだ明るいぐらいの夕方行くと安いんですよ。で、行ってすませて帰って来て、机の上に本なんか広げるんですけど、また雄心鬱勃としてくる。抑え切れずに、また八時ごろ出かけるわけです。
今 ダブルヘッダーだ。
井上 いても立ってもいられなくなるんですよ。ぼくが下宿してた家は、若夫婦が建てた小っちゃなうちで、四畳半の一番いい部屋がぼく。その隣が三畳で、そこで、若夫婦が九時ごろから始めるんです。そうすると、どうしようもなくなってくるんですよ。
今 それはそうだよ。おれは苦学してる時に神田明神の崖下の貧民窟に下宿してた。神田明神がありまして、こっち側が宮本町、その路地に入ると妻恋坂っていう有名な細い小さな坂がある。坂を下ったところが貧民窟になってるんだ。その向こうが神田の芸者街なんだ。汚ねえ貧民窟でね。そこの叩き大工が小さな二階屋こしらえて、その上にお神楽建て(建て増し)の一間こさえて三階なんだよ。そこがおいらの城。うっかりするとゆれるんだ。大きな地震だったらすっ飛んじゃうよ。ちょぼっとシャッポみたいのかぶせたような、ひでえうちだったね。立つとどたま(頭)がつかえるんだよ。だから、おれは猫背になったって怒るんだ(笑い)。二畳半か、三昼までいかない部屋でね。その叩き大工が若夫婦で、ガキ一匹いたかな。 おれは三階でガサガサと内職してね。襖に張る紙の松ボックリの模様なんてのを紙型のせて、ジャッジャッとやるんだ。何百枚こさえても、何ぽにもならないんだよ。それでも、夜も眠くなかったらやるってなもんでね、数をこなさないとメシが食えないからね。 ある晩な、おれがションベンンしに下へ行こうとしたんだ。三階の窓からやっちゃえばよかったのに(笑い)、行儀よく下の便所へ行こうと思ったら、常ならざる泣き声がするじゃないの。何だろうと思ってひょっと見たら、ガキをそっちのほうに放り出して、かあちゃんの上に大工が乗ってるわけだ。「あれ、まあ!」と、終わるまでゆっくり見てた。いまさらションベンに行かれなくなっちゃってな。そっと足音忍んで三階まで戻って、あらためて窓からしたんだ(笑い)。 あくる日、親父が出かけちゃってから下におりてったら、おかみさんが「こないだ建て増しがあって、親方のところからもらったキントンがあるから、これでお茶お飲みよ」っていうんだ。ゆンべやってもらったから機嫌がいいんだ(笑い)。それがいけなかったな、おれにキントン食わせたのが。おれはキントン食いながら、「おかみさん、ゆンベはひでえな。ションベンに下りてこようとしたら、おかみさんがあられもない声出して、ドッタンパッタンやっててね」、「あら、ま、やだよ」って、赤くなっちゃった。「ほんとにあんなの見たら吉原行きたくてしようがないけど、ゼニはなし、てめえのセガレのどたま殴って『あきらめろよ』って、ゆンベはあきらめさしたよ」、「そんなに辛かった?」、「そりゃ辛いよ」、「じゃ、お古でよかったら使っていいわよ」っていいやがるんだよ(笑い)。それじゃ使わしてもらいましょって、うまいことしちゃったよ(笑い)。
懺悔をすると身軽になる 井上 ぼくの場合も同じでしたね。
今 そうか、やっばり。
井上 見てるのがわかると、向こうもだんだん興奮するんですね。
今 向こうは気がついてたの。
井上 タバコ吸いながら見てるんですよ。廊下がありまして、ぼくの部屋の隣が三畳なんですよ。夏ですから開けてある。だから、始まると、灰皿持って廊下にすわって見るわけです(笑い)。
今 だいぶ時代が開けてるなあ。おれなんか足音忍んでるんだもの。
井上 いや、こっちも忍んでるんですけど、やっぱりタバコでもないと間が持てない。それで、蚊が飛んでくると、ピシャッとやったりしながらね(笑い)。旦那さんが映画の大道具の人で、映画の忙しいときでしたから、遅いことが多いんですよ。ある晩、「きょうはまだ始まらないかな」と心待ちしてると、且那さんは帰ってこないで、「シュークリームがあるから、いらっしゃい」っていうことになりましてね。
今 やっぱり、キントンより時代が新しくなってるわ(笑い)。
井上 「お古でもいいか」なんてこともいわれなくて、いきなりでしたよ。
今 「おいで」って?
井上 いや、ぼくのほうが「お願いします」(笑い)。それから、金はかかんないしっていうんでときどきお願いして、図々しく下宿代ためたりなんかもしまして(笑い)。旦那さんが「何であいつ下宿代払わないんだ」っていうことになったんですね。それでだんだんバレまして、ぼくは叩き出されたんです。
今 ちょっとおもしろいね。おれの時代はキントンだよ。井上君の時代はシュークリームだよ。おれのほうはセリフが入って「お古だけれどもお使い」と来たろ。こっちはお古もなにもなくて問答無用だ。だいぶ時代にズレがあるな、おい。おれはもう古いよ(笑い)。
井上 やってるうちに、だんだん自分の奥さんみたいな感じになってくるんですね。すごく癪にさわってくるんですよ、旦那がやってると。
今 図々しいよ、おい(笑い)。あんたカソリックだろ。仏教よりカソリックのほうが図々しいなあ。「汝、姦淫するなかれ」っていうぐらいだろ、おい。
井上 だから、教会に行って懺悔するわけですよ。
今 しゃべるの。
井上 しゃべらないと気もちが悪いんです。しゃべると身軽になって、また迫ったりして(笑い)。
今 それを神父さんは聞いてるの。
井上 聞いて、「それはいけません、すぐ下宿を変えなさい」なんていうんですよ。
今 ゼニはなし、簡単にいかないわな。
井上 で、なるべく日本語のわかんない外人の神父さんつかまえて、わざとむずかしい言葉でいうんです。「配偶者ある女性と姦淫の罪を犯しました」なんて。だけど、そういうことはすぐ向こうもわかるんですね。「要するに、よその奥さんとベッドインしたんですね」てなことになって、「これこれのお祈りを唱えて、二度とやらないように」。次の週は、もっと日本語を知らない日本に来たての神父さんをつかまえて、よりむずかしい言葉でいうんですけど、やっばりわかる(笑い)。
今 こわいもんだなあ。だけど、そういうとき、神父さんはお説教はしないだろう。
井上 しないですね。ただ、あるお祈りを何百回唱えろ。
今 日出海の妻君や娘たちは、みんなカソリックなんだ。で、掃除しろっていわれたけどママの言いつけに背きましたなんて懺悔すると、何とかの聖者の御名を百回唱えなさいとかいわれるんだって。それを唱えると、それでよろしい。あんたのは罪イ深いよ、庭掃除しなかったっていうのとは、だいぶ違うわな。
井上 いちおう掃除はしてるんですけどね。
今 ドブ掃除してたんだ(笑い)。
井上 ぼくの場合は、次の週また行って、この間いわれたお祈り、三分の一しか唱えませんでしたっていうと、また怒られる。それも罪なわけですよ。
花園町の親切な人 今 やっばり懺悔っていうのは、効果はありますか。
井上 すっきりするんですね。
今 身上相談なんかもそれだね。やっばり気もちいいんだろうな。
井上 ぜんぜん他人の神父さんに、「これでもか、これでもか」って、全部話しちゃうってことは、へんな快感がありますよ。マゾみたいな快感があるんですね。
今 おもしろいな。おれの寺でも懺悔制度やってやるかな。一番最初に和尚さんからやれなんて(笑い)。
井上 「衝撃の告白」って、ほんとにあれのことですね。
今 おれなんか、毎ン日懺悔しとらんならんな、若い時は。ひでえもんだ。
井上 できるだけスッと行って、サラッというのがコツなんです。あんまり考えこんで行くと、聞くほうの神父さんも、これはかなりの罪だと思うでしょう。それを悪用して、ときどきいたずらするんですけどね。
今 そうすると、あなたは青線と人妻で育ったってわけか。
井上 吉原は値段も高かったですしね。ぼくがよく行ったのは花園町(新宿)です。
今 吉原はもう寂れるのが当たり前なほど、昔流だったからね。非常に形式を踏まなくちゃいけないんだ。遊びはおもしろくないわ。後にハルピンで白系ロシアの女郎屋に行ってみたけど、これはむちゃでね。十人女がいるだろ。一日目はこのコ、二日目はおまえ、三日目あんたってことしてな、誰も文句いわないんだよ。それで十人ひと渡りずっと行ってから、一番サーピスがよくてぴったりしたコは三番目だった、てなもので行ってもいいんだよ。 ところが吉原はダメなんだ。一ぺん買ったやつはな、けたくそ悪くても替えることはできねえんだ。それをやるとひでえ目に合わされる、女どもに。おれは前に上がったうちの真ん前の妓がよくて上がったのがめっかって、女郎どもがみんな往来へ飛び出してきて、ふんづかまって張り倒されたよ(笑い)。
井上 ぼくは悩みがあったんですよ、人より小さいんじゃないかという(笑い)。たまたま花園町に行って、相手の女の人に、あたしはちょっと小さいんじゃないでしょうか、あなたはいろいろ見聞していらっしゃるんで、正直なところを教えてくださいといったら、やっぱりちょっと小さかったんでしょうね。これは普通である、しかし小太刀には小太刀の使いようがあるっていうんで、非常に勇気を得ましてね(笑い)。こんな親切な人がいるんだから、毎晩こようと思いまして、それからは花囲町ばっかりです。あそこは一晩泊まっても千二百円ぐらいで、ミカン食わしてくれたり、いろいろありましてね。
今 ああいうところの女は親切ですね。
井上 よかったですねえ。なぜああいうのがなくなったのかなあ。
今 川端(康成)なんか、大学卒業するまで童貞でしたよ。これはもう確実に童貞でした。おれが吉原でどうしてやったなんていうと、二局なんか童貞が多いから、運動場でおれを取り囲んで、目をすえて聞いてるんだな、わるいことばかり教えたよ、おれは。
井上 ぼくは下宿を追い出されて、こんどはカトリックの学生寮に入ったんです。四谷の崖の上に立ってまして、ここは夏になると下の家で“始める”のが全部見えるんですよ。それで双眼鏡買ってきて、十円とって見せるわけです、みんなに(笑い)。 ひどい寮でしてね、冬になると壁板をはじからどんどん燃やしていくんです。ですから柱だけ残りましてね。
今 どうして燃したの。
井上 ストーブで燃しちゃんうです。
今 むちゃくちゃやな、それは。
井上 鍵の字に建ってたんだけど、こっち側はすっかり燃しちゃったんです。で、傾いているものだから、部屋の入り口にリンゴを置きますと、あくる朝には必ず反対側にころがってきている。
今 こわいうちだね。おれもこわいうちに住んでたけど、も一つひどいよ。
井上 台風がくると崖がどんどん崩れ落ちていくんです。でも、そこしかいるとこがなくて、そこにいましたけど、夏の夜になるとよく見えるわけですよ。みんな明け方の四時ぐらいまで起きてましてね。係がいて「始まったっ」ていうと、ドドドッと集まってくるんです。 で、刺激されて、結局、みんなで三々五々出かけるんだけど、門限が十時なんです。寮長の神父さんががんばってるんですよ。それで、崖のほうから綱たらして這い上がったりいろいろやりました。東大生もずいぶんいましたけど、東大の人はまじめでしたね。
今 東大にはそんなやつが多いんだよ。そして四十ぐらいになって崩れるんだ。若い時にまじめってのはアテにならん。こないだ、青山学院の偉いのが事件起こしたろ。学生に手つけて訴えられたやつ。あれはまじめで有名な人なんだって。安岡章太郎に会ったら、「あの六十三の教授は、ぼくは偉いと思います」って笑ってたよ。
井上 ぼくも、勇気あると思います(笑い)。
焼き芋屋になった尼さん 今 その寮には、女のカソリックの学生はいなかったの。
井上 それはいなかったですけど、女のカトリック教徒というのは、結局、キリストと比較するんですね、男を見る時に。キリスト以下、聖パウロとか、いろんな聖人がいるでしょう。事実かなり美男子だったらしいんだけど、みんな絵を見るといい男なんです。そういうのと勝負させられちゃ、どんな男だって負けるにきまってますからね。だから、まとまるのがまとまりにくいんですよね。
今 「キリストはわが家の主人なり」なんて書いたのがあるよ。キリストの奥さんのつもりなんだな、あれは。それで、かすかに夜なんか慰めてるんじゃないかな(笑い)。
井上 「董貞さん」ていうんですね、尼さんのこと。かなりキリストを愛して、恋人っていう感じの人がいますね。
今 尼さんというのは、なかにはおもしろいのがいるんだろう。
井上 ぼくはカトリック関係の倉庫番やってたんですけど、そこに尼さんが昼間仕事にくる。残業でちょっと遅くなったりすると、焼き芋屋が通るんです。尼さんも人の子で、買って食べるんです。その尼さんが、ある日、修道会をパッとやめちゃったんです。それがなんと、その焼き芋屋と一緒になってた。夜になると来るんです。二人でリヤカー引いて(笑い)。そういうみごとな例がありました。
今 焼き芋食ってるうちに話がついたんだ。
井上 焼き芋屋をカトリックに改宗させないで、自分が焼き芋屋になっちゃったから、カトリックの損失ですね(笑い)。
今 スペインのマドリッド行ったら、坊主だらけなんだ。坊主学校ばっかしでしょう。若いのがみんな、こんな帽子かぶって街へ出て来て、あれはコネのあるうちがあるんだな、喫茶店とかね。そこで、サッと着がえて、背広になって女子のとこに行くんだよ。変わりゃしないよ、坊主も神父も。
井上 いま、カトリックでも神父さんが結婚していいかどうか、検討してますけどね。でも、スペインてとこは、いいとこらしいですね。弟が住んでたんですけれども、国立なんですってね、売春施設は。七千円出しますとステーキかなんか出て、一晩買い切りで、朝になると国立売春ナントカっていうところの車が並んでて、客の帰るところまでちゃんと送ってくれるんだそうです。いいとこだなあと思って(笑い)。
今 だから、左翼がいくらフランコ政権倒そうとしてもだめなんだ。フランコ倒したら左翼は「売春はいらん」というからな。日本もバカな話ですよ、赤線をなくして。いまはむちゃくちゃに高くなってるしな。いまの学生どもは素人の同級生とか、下級生ねらうってことになって、かえって風俗が乱れてるでしょう。ぼくはこの秋に油絵の個展をやるんですよ。で、ある女性週刊誌に、ぼくがモデル探してるって書いてもらったんだ。ヌードじゃありませんて、断り霧きしたもんだから、二百何十通来たよ、応募が。もうへこたれてしもうてな。その上電話はかかってくる、直接押しかけてくる。 なかには結婚して二週間目っていう女も来たぞ、亭主に内緒でな。ぼくはほんとはヌードが描きたいっていったら、ヌードはちょっと困るっていったけどな、どうなってんだい、おい。この人は一年もたったら、退屈してモデルどころか、よその男と寝ますわ。それから、こないだはね、朝の十一時前後にノックされたんだ。
井上 それはどこですか。
今 ぼくのアパート。ドア開けたら、髪の長い大きたコだよ」。「今先生ですか」、「そうですよ」、「モデルになりに来ました」。招じ入れて話したら、静岡の山の中から、五時間かかっていま着いたっていうんだよ。十八だって。うちに何もいわずに出てきたらしいんだ。おれの部屋を見まわしてな、「今東光っていうから、うちを一軒持ってるかと思ったら、なアんだ、こんなとこか」っていうんだ(笑い)。「こりゃ恐れ入ったけど、まったくこんなとこなんですよ、何でだい」、「今夜泊めてもらおうと思って」。ほんとに週刊誌に出てるような話ってあるんだね。それで、おれも「今日はかあちゃんいないし、あんた泊めて夜中に間違ったりするとえらいことになるから、だめだよ」って、交通公社に話して堅い商人宿かなんかに泊めてもらって、翌日帰してやったけどな。こないだから、おれは若い娘に食傷しちゃってな(笑い)。
井上 いいですね。テアトル・エコーも志願者が多くて百人に一人だけど、ぼくンところなんかぜんぜん来ないですよ。
それでも破門されない 今 女優さんになりたいって来て、裸になるのは平気かい。
井上 やっばり泣きますね、新劇の女のコですから。新劇が裸になるっていうのは、テァトル・エコーが最初にはじめたんですよ、ぼくが最初に書いた芝居(『日本人のへそ』)で。これが妙に当たりましてね。ところが、裸になったって、だれもびっくりしないんです。これからだんだん隠す方向に行こうって、こんど(『珍訳聖書』)は肉襦袢を着せたんですけどね。 女の人ってのはおもしろいんですね。ぼくら男にとっては、ペチヤパイでも裸になってくれればありがたいんですけど、女の人はどんな立派な人でも、どっかに劣等感があるんですね。それで、もう文句のつけようのないからだを持ってる女のコでも、裸になってくれっていうと泣くんです。
今 こないだどっかの週刊誌で、裸でお尻に何かつけた女が五人ぐらいで梯子を上がって行く写真があったけど、あれはどこの劇団だろう。新宿のテント劇場みたいなもんだぜ。何で、おれにああいうの知らせてくれないんだろう(笑い)。あれ(『珍訳聖書』)にはオマンコって言葉が出るそうだね。あれは何でもなかったの。
井上 警察が新聞杜に電話かけてきたとかなんとか、噂がちょっとあっただけですね。今はもう劇場には警官はこないですね。観客としては来ますけど。昔は、台本書くと警察に出したんですね、一部を。
今 それを読んでてね。それと違ったセリフをいうと、ワイセツでもなんでもないことでも、セリフが違ったぞって怒りやがるんだよ(笑い)。
井上 『珍訳聖書』っていうんで、聖書に関係あると思って、カトリックのおばさんが見に来たんです。何回も幕がしまる芝居で、客をだます芝居なんですよ。そのおばさん、見ているうちにだんだん怒り出しましてね、女の裸が出てくるから。それで、幕がしまるたんびに、「ああ、やっと終わった」って立ち上がるんですよ。そうすると、また始まるもんだから、最後にガーガー怒って帰りましたけどね(笑い)。ま、そのぐらいですね、怒った人は。まだ世の中は……。
今 おっとりしてるね。そういうことやっても、カソリックてのは共産党みたいに追放とか、除名ってことはないの。
井上 かまわないらしいですよ。人を殺したというのでもないかぎり。
今 あなたもかたり苦学したようだね。いまは十八、九っていうと、「いらはい、いらはい」で、どこ行ったって職があるけど、ぼくらの頃は、新聞配達に牛乳配達ぐらいしかなくてな。力のあるやつは人力車夫、これはえらいんだよ。少し目方のあるやつを乗せたら、カジ上がってひっくり返っちゃう。
井上 ぼくらのときも、牛乳配達と新聞配達と、ちょっとよくて家庭教師ですね。
今 家庭教師はいいほうだよ、学歴あるんだから。おれはねえんだもの、そのうちうまいこともぐり込んだのは、活動写真屋の看板の下塗りね。絵が好きだったでしょう。浅草の電気館の看板とかね。やっぱり美術学校の貧乏たれがアルバイトに来てましたよ。やつらデッサン力があるから、うまいのが描けるでしょう。ぼくらはそこまでやらしてくれない。「ここをまずこう塗って、ここはピンクに塗る」っていわれて、「へーい」、「むらなく塗るんだぞっ」なんて、ひどいんだ(笑い)。
井上 ぼくもそれやりました。下がってきたやつをこわして、紙を張りなおすっての。
今 あなたのときは、それでも内職はかなりよかったんでしょう。
井上 いや、やっぱり食えなかったですね。
今 でもな、さっきのシュークリームの話を聞くと、おれたちの時代とは、今昔の感があるよ(笑い)。

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