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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
東光ばさら対談 平岩弓枝
今日の「東光ばさら対談」は、平岩弓枝だ。
近衛直麿の〝ご学友〟に
今 あなたは神主さんの娘さんだね。
平岩 うちの神社(代々木八幡)も神仏混淆だったんですよ。年に一回の大祭、つまり秋祭りですネ、このとき、お坊さんは別当職で参列するんですよ。ああいうふうにすればいいですね。
今 そうです。昔と同じで、別当でいいじゃない。昔は別当職のいる寺を神宮寺というんです。大佛次郎が実朝を書いたんです。それが本になった頃、ぽくがちょうど比叡山から下りて日出海のところに行ったら、ぼくがいるというのがわかって、大佛がぜひ来てくれというんだよ。で、でかけて行って、ご飯ご馳走になっていろんな話をしたとき、大佛が……ま、死んじゃったから言えるんだけども、「僕はどうしてフランス語たんかやったんだろう。なぜ仏教をやらなかったんだろう」と。というのは、実朝を書いたら「別当公暁に殺される」という、その別当がわからないんですよ。それでおれが、それは鶴岡八幡営の別当で、神宮寺があったところは〝神宮寺〟という地字が残っているんだということを教えたんだ。ところで、別当公暁は三井寺系なんです。同じ天台でも園城寺です。そこの阿閣梨になりまして、それで別当職になった。ですから、非常に位が高く、実朝参拝のときにあそこにいようとかまわない……だから首を刎ねることができた……てなことも話したら、「いや、そういうことはわからなかった」と、もう非常にガッカリしちゃって、実朝は書き直したいなんて言っていましたがね。文壇の人は、わりあい神社のこととか、お寺さんのこと知らないですよ。
平岩 そうですネ、特殊世界ですからね。
今 ぼくは神社の人と仲いいし、戦後すぐは原稿を書くわけじゃなし、ヒマだから春日大杜に行ってみんなに易の講義をしたんだ。それが始まりで、三輪さん、橿原神宮、稲荷さん、みんなしゃべりに歩きまわって、お寺は加寺で行くということにしてた。春日大杜の宮司は水谷川忠麿という貴族院議員の男爵で、近衛(文麿)公の実弟なんですよ。ところでナ、秀麿とこの忠麿の間に、死にましたけれども直麿というのがいたの。これを近衛文麿公がたいへん可愛がったんだよ。「あいつはしようがない野郎だけれども、天才みたいな奴だ」って、非常に可愛がった。
そのうちに、私の旧藩主の津軽家と近衛家は古い親戚なもんだから直麿を養子に貰うということになったんです。津軽英麿という人が近衛篤麿公の弟さんでして、そこへ貰われてきた。ところが貰われると、「直ちゃんが文学好きだから東光さんに預ける」って、おれに預けたんだ。その頃、おれも津軽家に預けられていたんでね。
平岩 ひどい人に預けた……… (笑い)。
今 それだもんだから、これが騒ぎでナ、吉原へ連れて行く、ね。そうすると、牡丹の丸の縫い紋の御召しの羽織に、御召しのゾロッとした袴で白タビね。おれは、なるべく素姓をバラさないようにしてましたけど、なにしろ牡丹の……。
平岩 わかりますね。
今 そうすると、おカミさんだの亭主が出てきて、米つきバッタみたいにお辞儀して、おれまでご学友になっちゃって、おれ、モテちゃうんだよ、オイ。だから、つい連れ出すというようなもんだ。津軽家と近衛家が親戚になったってのは、その昔、びっこでめっかちという近衛の娘が津軽へ貰われてからなんだ。
だからおれは直麿に、「そういう悪いのをおまえンとこでおらアのところの殿さまにくれて、おれら家来はひどい目にあったんだ」と言うと、「だって、しかたがないでしょう」なんて言いながら、おれの行くとこ、どこでもついてくるんだよ。
だけど、歌もうまかったし、文章もちょっと面白かったんですよ、永井荷風が好きで。だから、近衛家ではこの人が一番面白かったですよ。文麿、秀麿、直麿、忠麿となるんですけども、直麿は無位無官ですよ。直麿は行くとこがないから兄貴の秀麿のオーケストラに入りましてフレンチホルンを吹いていたんだよ。「文学どうしたい?」といったら、「荷風のような小説、書けない」、「おめえみたいた若いのが荷風みたいなの、無理だよ」といったけれど、荷風のような題材じゃないと意欲が起こらないっていうんだ。
とにかく直魔はそんなわけで、オーケストラの稽古をしていて、昼どきになると、今の銀座の小松ストアーの前身の小松食堂にカレーライスなんか食いに行くんだ。そのうちに、そこのエプロン掛けた女給を好きになっちゃったのよ。で、おれのところに「どうすべえ?」って相談に来たんだ。「どうすべえって、これはもう、やっちゃうよりしようがねえじゃねえか、好きなら」、「やっていいでしょうか」―――
平岩 ウフフフ。
今 それはもう堅気だけど、やっていいだろうと言ったら喜んじゃってネ、おれの許しが出たというんでね(笑い)。おれの娘じゃねえけど、ともかくやっちゃったのよ。ところがナ、シロウトの娘だから、やられたらなおさらへばりつくというようなもんだ。どうせ浮気で、悪くても金で解決がつくだろうから「やっちゃえ、やっちゃえ」って言ったのよ。
平岩 先生、悪いんですね。
今いや、悪くないんだよ。結果はいいんだから、まあ、聞いてよ。平岩さんに聞かせると、「あら、それひとつ、芝居にしましょうか」なんて言うかも知れたいけども……。結婚する気になっちゃったんだ。だけど、やっばり宮内省の許可を受けなけりゃいけないんだよ、いくら無官の大夫敦盛といっても…。でもナ、さすがに文麿さんだ。「直が好きならいいだろう」といったよ。それで、女のコの親に直麿が会う段になったんだ。「それじゃあ、話すべえ。親父、何してんだい?」と訊いたらネ、本所の横網河岸の車屋の娘だったんだよ。
平岩 ほーっ。親方の?
今 いや、親方から借り賃払って借りてる車引きで、貧民窟みたいた長屋に住んでんだ。それで、「貰いたい」といったら、「こんな阿魔はどうでもいいんだ。口べらしになっていいから、おまえさんが貰ってくれれば結構」だと……。「近衛直麿です」というと、「ああそうかい。何麿でも何でもいいよ」と(笑い)。文盲の江戸っ子のひどい奴だから、親父はなにもピンとこないんだよ。直麿も、気さくな親父だといって喜んじゃって、それで二人は付き合っていたんだ。
平岩 へーえ!
平岩好みのラストシーン
今 横網河岸をしょっちゅう巡邏するお巡りがある日、親父に会ったわけだ。「親父、働いているか」、「へい、相変わらずでさあ。ま、呑みしろが足りないけど」、「娘どうしたい」、「やっばり勤めていますよ、銀座に」、「バカだなあ。早いとこナニしないと悪い虫がつくぞ」、「いや、もう心配ないんで……。もう嫁に行くことになりました」、「ああ、それは結構だ、どんな野郎だい?」、「その野郎はこういう顔付きで、こんな野郎だい」、「職業は何だい」、「なんだかね、外国のラッパかなんか吹いてんですよ」、「こういう、真っ直なラッパか?」、「いや、丸いやつで……」とかなんとかね……ま、お巡りと車屋の話でしょう、フレンチホルンなんていったってわかりゃしねえんだから(笑い)。で、「その野郎、なんていう名前だい?」、「近衛直麿」、「なにッ?コノエ? その野郎は、インチキ野郎だぞ。これはおまえの娘、タラしているんだ。華族さんだぞ、それは」、「いや、華族のようなカッコしていないよ」、「それはえらいことになっちゃった、おまえとこの娘、傷モノになっちゃったぞ。今度、おれに教えろ。しょっ引いてやる」というわけで、親父と二人で相談になっちゃった。―――そんなことを知らずに、直麿はノタリノタリと行ったわけだ。
それでカァちゃんが「来たよ」てなことを親父にいうと,「ああ、そうかい」というなり裏から飛んで行ってお巡りに「ダンナ、来たぞ」、「ヨーシ」というんでやってきて、「おまえ、誰だ」、「婚約者です」、「ウソつけ、この女たらし野郎。何て名だ?」、「近衛直麿です」、「いよいよ怪しい。問答無用だ、ちょっと来い」と、署に引っ張っていっちゃったのよ。
そして司法主任に、「この野郎、華族の名前で娘をたらしてる。ほうぼうに被害があると思うんです」、「いっぺん、ブチこめ」というんで、留置場行きさ。
そうしたら直はビックリしちゃった。司法主任に面会だといって、「おれは目白の近衛家のものだから、ここへ電話して直麿というのがいるか、家族を呼び出して確かめて下さい」と言った……お巡りよりも司法主任の方がチイとはましだから、そう言われると確かめなきゃいけないと思ったんだ。それで司法主任自身が目白に電話かけた。「おたくに近衛直麿という若君がおられますでしょうか」、「おられます」、「おいくつで、お顔や、お召し物は?」、「髪はこういうふうにして、面長で、ちょびヒゲをはやして眼鏡をおかけになって羽織はこうで、牡丹の丸の縫い紋で……」といっているうちに司法主任、ブルッてきた。これはえらいことになってきたと(笑い)。
平岩 今だってギョッとしますけど、その時分だとたいへんなことですね。
今 それで、「さようでございますか。おたくの若君のお名前を名乗ったような怪しい奴をちょっと耳に聞いたものですから……」とか何とかごまかして電話を切って、そのお巡りを呼ぶなり、「なんだ、パカヤロー! あれはほんとの若様だ、すぐ出せ!」って。
それで娘の親父が急いで車持ってきて、それにわが婿を乗せにきたよ(笑い)。
平岩 (笑いながら)芝居になりますね、ほんとうに。
今 初期の新派だよ。それで家へ帰って、娘に「ああ、よく生け捕った。てめえ、大したものを生け捕った」って喜んでるんだ(笑い)。それが奥さんになったんです。
平岩 きちんとハッピーエンド!
今 えらいもんだよ。自分はその後、満州国で死にましてね。妻君には宮内省で雅楽を勉強させて、キチγと教育しました。
平岩 事実は小説より奇なり、ですね。
今 おれが言うと作り話みたいだけれど、歴史の中の面白い一コマだよ、オイ。場所が隅田川を背景にして、本所の横網河岸に車が何台か並んでいる。親父が「へい、いらっしゃい、どこまで?」というようなことで走っている。留置場から出てきた婿乗せて(笑い)。
平岩 ラスト・シーンとしては、まことにいいですね。花道、それで引っ込んじゃっていいんですもの。
今 平岩さんじゃなくて、井上ひさしに聞かせりゃあ、すぐ使っちゃう-…。ところで、平岩さんのところというのは、平岩さんで何代目なの?
とんだ喜劇に始まる文学修行
平岩 平岩というのはとても古いけれども、変なんですよ。両養子、両養子みたいですね。私はひとりっ子ですけど……。平岩家はもともと、平岩七之助が徳川の家来でしょう。それから父が育ったのは矢島という家でして、これはやはり徳川の乳母さんで、「矢島の局」というのがいますが、あれの家なんです。
今 それじゃあ、みんな三河やな。
平岩 ええ。それでまったく偶然に矢島家から平岩家に養子に来たんです。
今 それで神主さんだったの?
平岩 矢島の家は神主になっちゃったんですよ。結局、御一新で。ですから父のおばあさんという人は、屋敷が桜田門のそばにあった関係で、乳母さんにだっこして窓から眺めていたら、井伊(直弼)さんが殺されて、みんな雪の中を逃げてきたんですね。その話を父は、よく聞いたと言っていました。矢島家というのは、それこそ三太夫みたいな家老に「何でも、よいようにいたせ」みたいなことを言っていた、結局、典型的なパカ殿さまなんですよ。だから御一新でみんなとられちゃって、それで鳩の森神社がありますね、あそこの神主になっちゃったんですよ。父はそこの長男に生まれたんですけれども、親父が早く死んじゃって、姉が結局養子をとって跡を継ぎまして、長男としてはまことに困りまして平岩家に養子に来たんです。私はそこで生まれたというわけです。
今 あんたんとこ、代々木八幡だろ。
平岩 ええ、なんというんですか、お宮というのは世襲なんですね。それでどうしても神主のとこの娘が神主のとこに行くということになりますね。ですから、あの辺一帯、全部親戚なんです。十二社の熊野神社というのがありますね。あれは父の姉が嫁にいったところたんです。それから北沢にある北沢八幡というのは父の弟のところなんです。そういうふうに、みんななんとなく……。
今 神主というのはね、簡単になれるもんだから、ことに戦後、華族がみんな神主になったんだよ。ところで、あんた、いつごろから小説書き出したの? 誰かについて習ったのかい。
平岩 私は文学少女じゃないんですよ。それがどうしたわけか、長谷川伸先生の門下になっちゃって
今 あれっ!あんた、長谷川伸門下かい。
平岩 そうなんです。
今 それじゃあ、村上元三なんかとは兄弟弟子か。
平岩 兄弟予になります。
今 するてえと、南京虫みたいなツラをした山岡荘八も兄弟子かい(笑い)。
平岩 山岡先生は私の親父とおない年なんです。村上先生は私の姑とおない年。戸川幸夫先生と私の母親とおない年。ですから先生方は、私の前では年を隠せないんです。小説書いたのは二十五歳のときで、直木賞は三つ目なんです。だから、どうにもならないの。そのときは、長谷川伸先生にいて一年半目でした。
私の親友に勧業銀行頭取だった中村一策さんのお嬢さんで〝お神酒どっくり〟というあだなのザックパランな、さばけた人がいるんですが、彼女といっしょに私は西川流の踊りを赤坂で習っていたんです。踊りの師匠になるつもりでネ。続けていたら、こんなに太らないですんだでしょうけど…-(笑い)。でも、私(手先なんか無器用でしょう。「あんた、女子大で何してたの?」って訊かれたから「演劇の脚本やってました」って答えたんですけれども、今先生、実際は何をやっていたと思われますか?―――脚本のカットなんです。「修禅寺物語」を上演するときに、頼家が桂といっしょに歩いてはいけないんです。あの河原のくだりはラプシーンですから。そこでお年寄りの先生が、「あそこは遠慮なさいませ」たどと注意して、「ハイ」(笑い)、それが私の役なんです。それを、カッコ悪いから「脚本やってた」と言ったんです。
私の親友は、ものすごく早呑みこみの娘でして、お父さんに「何でもいいから、作家を彼女に紹介して」と頼みこみ、そのお父さんというのが銀行屋さんですから文学のブの字もわからなくて、作詩家の先生ぐらいしかご存じなかったので、まわりまわって、戸川先生に紹介されたんです。
今 めずらしいケースだな。
平岩 まだ先生は毎日新聞にいらした頃で、親友と私が訪ねて行ったらコーヒーを飲みに連れていってくれたわけです。彼女は紺のスーツを着てちゃんとしていたんですが、私はフレーヤーのいっぱいあるスカートはいて、この辺(胸)にリボンをつけて……。私が黙っていると、彼女は子供のときからの親友ですから、私になり代わって何でもしゃべってくれるんです。彼女はコーヒー飲んで、私はソフトクリームをペチャペチャ食べてました。
戸川先生が、「とにかく当分、何か書いたら持ってらっしゃい」と彼女に言ったの。そうしたら彼女が私に「ネ、わかった。書いたら持っていくのよ」って。戸川先生、びっくりして「ちょっと待ってくれ。どちらが中村さんのお嬢さんなんだ」と言われたんで、彼女が「私です」と答えると、「それじゃ、文学やりたいというのはおまえさんか」と、そのときの戸川先生の顔、忘れられないの(笑い)。ほんとにガックリして、嫌になっちゃったらしくて……。
でも、私はクソ真面目で、あきらめもしないで行ったんですね。それで、最初は先生の原稿の清書をしていたんですが、だんだん門前の小僧で書き出したんです。
今 ふーん。
世界の偉人になりそこねた
平岩 直木賞を貰ったときも、彼女と私は同じようた現象おこしたんです。文芸春秋へ行きまして、私はカッとして何もわからないから黙って坐っていて、彼女がみなさんの質問にスラスラ答えてくれていたんですが……。あとで、私が平岩弓枝とわかって、「写真が無駄にたった」って怒られてネ(笑い)。
今 それは痛快だ。戸川さんのところに行ったのは何年頃?
平岩 昭和三十年。お目にかかってガックリされてから四年目に直木賞です。私、文学少女じゃなくて、人の書いたのはいまも一生懸命みますが、自分で書くのは嫌い。賞をもらっても、実際にちょっと信じられない感じがしますね。
それからなんというんでしょうね、いまだに実感がないんです。だからとてもだめですね。私はどうしてこうだめたんだと思うぐらいだめです。素人なんです。戸川先生は昭和二十九年の受賞だったと思います。
今 おれはたいへん遅くて三十一年か。売れ残りの賞をくれやがって、おれ、行かないんだ。かわりに弟が行った。そんなことじゃないかというんで(佐佐木)茂索だの、川端(康成)だのがみんなで仲間だけで祝いをしようといってやってくれたんだ。
そのときに、議論してまで一生懸命おれを直木賞に推薦してくれた吉川英治がやってきて、おれ、初めて会ったんだよ。祝いの席で何を言うかと思ったら、「今東光さんという人は賞をとってもとらなくても同じようなもんだ、騒ぐことにおいては。ほんとうは、このへんな男につれ添ってきた奥さんを表彰すべきだというんです。そのときまでは吉川英治に会ったこともなかったし、長谷川伸も知らないんだ。あんた、長谷川伸のところでは何やってたの?
平岩 月に一回、先生の家に門下生が集まるときに行って坐ってお茶番しましてね。なにしろ、お宮のひとり娘で、世間知らなくて、可愛かったんでしょうね。やせていましたよ。でもネ、太り出して、もう踊れなくなっちゃうからって〝鷺娘〟を踊ったんですよ。西川の〝鷺娘〟って、瀕死の白鳥みたいな振りがついていて、最後に死んじゃうんですよ。でもネ、踊り終わって挨拶に行ったら、家元が「瀕死の白ブタ」だって(笑い)言うんです。口が悪いんですよ。
先生、私がお嫁にいく前に、ごいっしょに大阪に講演に行ったときのこと、覚えていらっしゃる?
今 そうだったかな。
平岩 あのとき、伊丹からいっしょに車に乗ったらデモで動かなくなって……。そうしたら先生が大音声で、「このバカども、やめろッ」って怒鳴るの。学生がのぞきに来て、「あ、今東光だ。坊主が乗ってる」と大騒ぎしたけれど、先生、少しもあわてずに「バカども、やめろッ」って。やはり、〝格〟というものを感じました。でも、こういう人に連れ添ってきた奥様、ほんとうに偉いと思うわ。
今 うちのカアちゃんは、もう、たいへんた平岩ファンなんだ。平岩さんのものは逃さず見てますよ。
平岩 目から火が出るからやめて下さい。
今 うちの家内に言わせると、あんたとか、有吉(佐和子)だとか、瀬戸内(晴美)とかいうと、「同じ人種かいな」とビックリするんだナ、才能があるんで。おれは音楽好きなんで、ヘタでもいいから歌えるヤツ貰いたかったんだけど、おれんとこのは〝おしゼミ〟で、君が代ひとつ聞いたことねえんだ。まあ理想としてはピアノなんか弾けて歌えるの貰いたかったけど、オイ、おしゼミだよ。おれんとこのパパァというのは歌舞音曲に縁のないクソパパァでね……。
平岩 あんないい奥さんにそんなこと……。
今 いや、おふくろだよ。このババアが八十八まで生きやがって、おれを苦しめやがったバパァで、あんな悪いバパアはあとにも先にも見たことないよ(笑い)。
平岩 先生のは毒舌でも愛情あるから……。
今 いや、愛情なんてねえんだ。おふくろと闘うためにこうなっちゃった(笑い)。うちの親父というのはオシじゃないかと思うほどモノを言わない人で、おふくろがうだうだ言っても何も言えないんだ。酒も呑まない、煙草も吸わない、肉食もしないっていう、聖者みたいな人でしたよ。今船長というと、インドでもバラモンの人とかタゴールと付き合いのある聖者ということで尊敬されてましたよ。このタゴールがノーベル賞貰った金でベンガルに学校こしらえたんだ。親父が「うちに、しようがない小僧がいる」と話したら、「じゃ、ペンガルの学校に入れろ。預かるから」と言うんでうちに帰って、そのことを話した。おれ、もう喜んじゃってね。そしたらババアが、「虎を千里の野に放つごとく、何をやるかわからないから絶対にだめ」だと。
平岩 うまいことおっしゃるわね。いらしてたら、先生どうなってたでしょうねえ。
今 世界的に偉くなってたかも知れねえ。惜しいことをした(笑い)。
興味つきない謎の水軍史
平岩 ところで先生、私、「新・平家物語」の脚本書いてて、後白河法皇のところなんて、フッと今先生を連想するんですよ。別に先生が権謀術数に富んでいるっていうわけじゃないですが(笑い)。あんなずるい人いないと思いますが、とても魅力ありますね。
今 義経と頼朝を喧嘩さしたのもあの人だ。本来なら頼朝が貰うべき伊予の荘園なのに、義経を伊予守にしちゃって。もっとも、弁慶はそのとき、諌止してますがね。畠山にしても、梶原にしても、和田にしても、みんな義経がいかんということになったのは、この伊予の問題なんです。
平岩 相手が上手だったんですね。大人と子供ほどの違いじゃないかと思うほど。先生、義経が奥州に逃げるとき、水軍を使っていますね。私、水軍の歴史がとても好きで、そこから「鎌倉三国志」(平岩さんの小説)も思いついたんですが。
今 北上にまで水軍が逆上った船着き場の跡があるんだよ。だから、遠く西国の水軍とも連絡があったんだ。義経があんな遠風りをして北陸を通ったというのは嘘ですね。淡路から熊野、熊野から新宮、新宮から遠州灘を通って坂東、そして香取へとくると、もう平泉の水軍と交通路が拓けている、といった具合にね。
平岩 私は八幡神杜というのは八幡からきて水軍の関係があるんじゃないか、基地になっていたんじゃないかと思ったんです。例えば熊野の杜領というのは九州の日向のあたりにすごく多い……。
今 それと宗像な。
平岩 宗像も行ってきたんですけれど、ほんとに面白いですよ。沖島ですか、女人禁制で入れてくれないけれども、奈良朝廷があそこに対して、すごく気をつかっていますね。そういうふうに調べていくと、日本史のイメージを動かしているのは、もうほとんど水軍の力で、すごかったなあという気がします。
今 もうチイと「鎌倉三国志」の話をしておくれよ。
平岩 あれはうちのお宮の話なんですよ。公暁の話になりますが、実朝が公暁に殺される前に、頼家が修善寺で殺されますね。そんな関係で、近習十三士の墓が修善寺にあるんです。その中の一人に近藤三郎是茂という人がいたんです。そのまた家来に荒井外記智明という人がいまして、後年、智明法師と名乗るんですが、私もなんかいいかげんな調べ方ですけれども、頼家があそこに逼塞している間に、結局その側近たちは三浦氏を動かして、なんとか頼家をもとに戻そうと、だいぶ画策したらしいんです。そのために、その荒井外記という人物は三浦氏のほうに使いに行ったらしいんですね。その留守に、近藤三郎以下、全部殺されちゃったんです。
残った人たちは鶴岡の坊さんたちと連絡をとりまして、それがこんど公暁を盛り立ててたんとかやろうということになったらしいんですね。ところが、その公暁が、自分たちの忠実な手じゃなくて、ついに北条氏にうまくあやつられちゃって、実朝を殺してしまったんですね。
あの時点で、もう彼らの考えていたことは全部画餅に帰しちゃったものですから、荒井外記はガッカリして出家しまして、鎌倉を逃げて武蔵野へ来たわけです。代々木野というところは、昔、鎌倉と地形がとても似ていたらしいんです、そこへ来て庵を結んで坊さんになったわけですが、ここから先がお宮の縁起になり、私の親父の専門分野になるんですよ。
私は代々木野に来たというところまでがちょっと面白かったものですから、それをヒントに……。それと、私はどうも鎌倉と京都の争いで後ろにからんでいたのは水軍だというふうに判断して、それを織りこんでこしらえた、ま、歴史小説の端くれなんです。
今 それは面白いや。とにかくその水軍は日本の歴史の中で大きな比重をもっているんだけども、どういうわけか歴史家は見ないんですよ。
平岩 見ませんね。歴史家の書いたものがないんです。ですから、私が当たったのも全部、神社仏閣の、いわゆる御神宝になっている古文書です。
今 おれ、船乗りの伜だろ。だから、水軍のことなんか、すごく興味あるんだよ。日本はね、帆掛け船というのしか発達しねえんだ。徳川時代まで一枚の帆でやってきて、西洋のようにいくつも帆をたてるという発達をせずじまいだったんだ。映画に出てくる四本マストのはクリッパー・スクーナーっていうんだよ。ついでに、ちょっと学のあるところを教えとくがね、イギリスなんかまだ沢山のスクーナーが残っていて、それに金持ちが人間のかわりにウィスキーを何百樽も積んで世界一周させるんだ。そうすると、波で揺れるからよく練れた最高のウィスキーになるんだ。
平岩 ほんとですかあ。
今 いや、白洲次郎に訊いてごらんなさい。あいつのとこにその酒があるって自慢するんだ。
平岩 やることのスケールが違いますね。
テレビをやってよかった…
今 平岩さん、あんた、テレビの脚本やっているのにちゃんと小説書いてえらいね。いつごろからテレビに関係するようになったの?
平岩 石井ふく子さんという、伊志井寛さんのお嬢さんがいますね。あの方に、十一年ぐらい前に目をつけられちゃったんです。私なんか、中途半ばでダメたんですけれども、いろんな意味で、私、テレビやってよかったと思います。
今 視聴率っての、気にするかい?
平岩 「ありがとう」にしても、「肝っ玉かあさん」にしても、私は数字がわかんない人間だから、まわりで「いいのよ」っていっても、「フーン」というぐあい。私、ほんとは去年、「ありがとう」を終わった時点で、テレビやめるつもりでいたんですけれども、やっばり理想と現実は違いますね。
今 NHKというのはバカだな(笑い)。あれはパカだよ、おれは愛想つかしているんだ。あんた、NHKの悪口言うと、何かさしさわりあるの?
平岩 いえ、私は何を言っても平気ですけども、民放と違うとこは、やっばりお役所だっていうことです。それから、これはテレビ局全体にいえることなんですが、どんなに有能なディレクターがいたとしても、ある年齢がくると管理職にされちゃって判コ押してなければならないの……可哀相ですよ。それよりも先生、仕箏といえば、これからの先生のお仕事として、どんなものをお書きになるんですか?
今 ことしでもう三年、「蒼き蝦夷の血」を『歴史読本』に連載しているんだけど、人が残していない東北の歴史1なかんずく藤原三代に材をとったものを書きたいんだよ。
平岩 さきほど先生は、神杜の人と仲がいいとおっしゃいましたが……。
今 ウン、ぼくは深川八幡の宮司の富岡さん、それから神戸の湊川神社の宮司、みんな仲がいいんだから。だからおれ、こんどはひとつ神主になろうと思うんだよ。むずかしい試験は嫌いだけど、おれに祝詞を書かせろと。
平岩 先生がお書きになったら、すごい祝詞ができますよ。
今 いま神主さんで京都でも祝詞書けるといったら八坂神杜の高原さんか……東京にも十人くらいか。
平岩 いないですね。うちの親父の祝詞は優秀ですけれども、これは一匹狼的祝詞ですから通用しませんけれども、祝詞書ける人、ほんとにいなくなりましたね。
今 祝詞をぼくらの仲間で書けるのは、ぼくを除いては京都の保田与重郎だ。おれに「先生、祝詞書けるの~」って訊くやつがいるんだよ。「バカいえ、おれは春日大社の水谷川の代理で書いていたんだぜ」って言うんだ(笑い)。
平岩 先生の祝詞は、ほんとにすごいと思うわ。
今 とにかく、おれを神主にしてくれたら日光に乗りこむ。それで、おれと東照宮と仲良くなれるでしょう。東照宮と輪王寺の百年訴訟といったらな、幕あきは家康のタヌキ親父からきてんだから、それを喧嘩することないだろうって、おれはいままで両方に言ってきたんだよ。だから、ほんとは両方兼ねるといいのよ。
平岩 そうですね、昔みたいに別当職……。
今 ぼくが東照宮の宮司になって、輪王寺の門跡になりゃあな、もう。
平岩 先生、ぜひおやりになっていただきたいですわ。いまからだっておそくないですよ。
今 いま七十五じゃ、もうおそいよ、オイ(笑い)。
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