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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
東光ばさら対談 野坂昭如(1)
敬愛する野坂昭如が、一昨日の9日に逝去したことを新聞で知った。

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野坂さん、あなたが今東光和尚から引き継いだ「仄」の件、微力ながら今度は亀さんが引き継ぎますので、どうか安らかにお眠りください。


仄云々と言っても、読者には何のことかサッパリ分からないと思うが、以下に転載した今東光和尚と野坂昭如の対談を一読してもらえれば分かる。なお、今東光和尚と野坂昭如の対談は『東光ばさら対談』からのもので、和尚の対談相手は全員が「野良犬会」の連中ばかりである。明日上映される山田洋次監督の「母と暮せば」と深く関係する井上ひさしも『東光ばさら対談』に登場しているし、それ以外に柴田錬三郎、藤本義一、永六輔らと和尚との対談もあり、いずれ取り上げるつもりだ。なお、参考までに以下の二人の対談記事は既にアップ済みなので、関心のある読者に一読してもらえたら幸いだ。
東光ばさら対談 瀬戸内寂聴
東光ばさら対談 平岩弓枝

ところで、今東光の三島由紀夫に対する評価が低いのは昔から知っており、そのあたりは拙稿「今東光と三島由紀夫」にも書いた。そして、今回の野坂昭如との対談記事をOCRしたことで、初めて和尚が三島を評価していない理由を知った次第である。なお、『東光ばさら対談』には野坂昭如との対岸記事がもう一本あるので、「東光ばさら対談 野坂昭如(1)」とした。「東光ばさら対談 野坂昭如(2)」は、いずれ気が向いたらアップしよう。

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焼け跡闇市派からムショ派へ
今 あんたのこと、おれは野良犬といっているんだ。おれだの、梶山(季之)だの、みんな野良犬なんだよ。血統をずっと洗えば神々の末孫だけどな。そこまでいかなくても、野良犬でけっこうだ。戸川昌子、あれはメスの野良犬(笑い)。それから黒岩重吾、みんな野良の出だよ。しかし立派だね、野良がいばってんだから。……ところで、きみの起訴問題(『四愚半襖の下張』事件)、どのあたりまでいっている?

野坂 ぜんぜん何もいってこないんです。

今 おれ、特別弁護人になるといってくれたか、あんたの弁護士さんに。

野坂 いや、一人でやろうと思いまして、野良犬らしく。

今 弁護士も頼んでないの? ひどいもんだね(笑い)。だけど、それはだめなんだよ。規則で官選弁護人つけられるんだよ。

野坂 ですから自分で六法を勉強しましてね。官選の弁護人はほったらかして……。

今 おまえはおまえでいけ、おれはおれでいくと。けど、特別弁護人は申請できるんだ。おれを入れろよ。長広舌をふるってな、ポルノ礼賛をやってやるから(笑い)。

野坂 逆効果になると困る(笑い)。

今 坊主があのとおり迷っているようでは、いよいよ禁じなきゃならんというのか。

野坂 今先生が「あれはチンポが立たない。だから芸術作品である」といっても、もう七十四歳なら立たないのがあたりまえだと(笑い)。

今 いやなこというなよ。

野坂 ぼくはわいせつ物頒布人ですから、特別弁護人として応援していただくのも……。

今 それで、被告席からおれに「だまれ!」というんだよ。それであんたが一人で滔々とやってさ、おれが最後に「以上のとおりであります」ということにしたらおもしろいんじゃないかな(笑い)。

野坂 ぼくは三月ぐらい刑務所にはいっても、モトはとれるように思いますが。焼け跡闇市もタネ切れだから、ムショ派を新しくおこします。はいって赤裸々な刑務所の生活を、どこかに書かせていただいて……。

今 おれは終戦直後に刑務協会の相談役をやったことがあるんだよ。そのときに坂口安吾がたずねて来たんだ。めずらしい奴が来やがったなと思ったら、じつは税金を払わないで起訴されそうになったと……。

野坂 坂口安吾が、小田原にいたときですね。

今 おう、それであいつは牢屋に行く覚悟はできたというんだな。それについてちょっとお願いがあって来ました。なにも牢屋にはいることはないだろうというと、じつは国税局長宛に手紙を書いてみたんだがといってね。見せてもらったら、巻き紙を何本かついだ十間ぐらいの長さの手紙だよ。ここからこれだけゼニがはいって、これだけ使った。このカネは女にやった、友だちにくれてやったとか克明に書いてね。ところが初めから最後まで税金を「払う」という二言もないんだよ。これじゃだめだ。払う意思はあるんだけども、かくかくしかじかでゼニがなくなったというんなら、向こうも多少はくみとるけど、十間もある長い手紙を書いてもおめえは初めから払う意思がない。だから起訴になったんだといったら、なるほどいわれてみるとぼくは払う気はなかったというんだ。それじゃ、いったいお願いは何だと聞くと、中で酒とタパコをのませてくれると、静かだし原稿が書けるんで非常にいいと思う、あんたは刑務協会の顧問なんだからそれをひとつお願いしたい(笑い)。おい、無茶いうなって。牢屋の中で酒を飲みながら、タパコを吸いながらじゃ、おれだってはいりたいよ。おい、文壇にはえらいのがいるぞ。

野坂 ぼくはもう少しで子どもが生まれるから、ちょうどそのあたりにはいっちゃったらうるさいときにいなくていい。出てきたら、「おうおう、大きくなったねえ」って(笑い)……。

喧嘩は小学生時代から
今 あんたも神戸育ちだね。

野坂 ものごころついたときには神戸にいました。灘区のはずれのほうで植民地みたいなところなんです。つまり日本がいろいろと大陸に拡張していって、神戸は大陸に行くための基地みたいになったんですね。だから近代重工業が神戸に発達して、本社が東京にある会社がみんな支社を置いたわけです。

今 そういえば、このあいだ、おれが放り出された中学だけど、豊岡の高等学校、丸焼けになった。大阪の朝日放送が東京の宿へ電話をかけてき、すぐ放送するんで一言感想をいってくれ。なんか大阪の夕刊には大きく出たそうだ、「今東光の母校焼ける」いうてね。
それがおかしいんだ。これも退校処分になった関西学院の中学部が、ぼくを放り出して三年ぐらいして焼けちゃった。そのとき、おれ電報うったよ、「おめでとう」ってな。それから五十年ほどたって、こんどは第二の母校の豊岡が焼けた。おれを放り出した学校、二つとも丸焼けなんだ。

野坂 もうすぐ、議事堂が焼けますよ(笑い)。

今 おれがもう放り出されるもんだと思うとる。それでおれは、なつかしい母校が焼けたのは非常に悲しいことです、それにつけても関西学院中学部といい、豊岡といい、つらつら考えるに、わるい学生でも退校なんかさせんほうがいいようでござんすねえ、というてやった。放送局の奴がいやもうよろこびやがってな(笑い)。
豊岡に円山川という川がありまして、ボートをこいでずっと行くと玄武洞がある。玄武洞の次は城崎なんです。おれはおなごを連れて城崎に行ったり、あるいは一人で行くと城崎で芸妓を抱いたり……。

野坂 これはもう議事堂焼けますよ(笑い)。

今 野坂さんのときは、神戸に波止場できてたかい。

野坂 できていました。いまちょっとわかんないくらい変わっちゃったけど、六甲山から見ると四本ぐらいできていたように思います。

今 ぼくらのときは何もないですよ。メリケン波止場って、イボみたいのがちょこっとあった。だからぼくのオヤジの船がヨーロッパから帰ってくると横づけできないのよ。沖掛かりでメリケン波止場からランチでお客を送り迎えしていた。

野坂 大正の初めごろですか。

今 明治から大正にかけてだ。その楽しいことって、学校なんか行くテないんだよ。メリケソ波止場には中島というじいさんがいて、おれのオヤジに「船長!」なんて、こんなこと(敬礼)するくらいだから、船長のぼんぼんがいくと、「きょうは何ですッ」、「ランチ出してくれ」。じいさんが指笛でピューッとやると一艘出てくる。きょうは沖の何番に何丸が来ているというのでそこへ行く。みんなオヤジの子分でしょう。だからその船に乗りこんで泥棒だよ、タパコだ、ウィスキーだ、なんだかんだって。そうするとランチの船長から水夫までが、何もらってきてくれ、かにもらってきてくれでね。しまいに税関のチクショウまでが、「ぼんぼん、わいは葉巻やで」とか「タバコを頼むぞ」なんていう。おれはそれをみんな持ってな。昔、将校マントってあったろう。あれを着て、その中に入れるから、相撲取りぐらい太って出てくるんだ。それで税関に「これはおめえの」、「これはおめえの」とやるから、おれはもうフリーパスだよ。船の奴は船の奴で、「これ降ろしてくれたら、なんぽやる」なんてな。おれは何回か上がったり降りたり使い走りやって、だいぶ金儲けできた。これはいまでいうと密輸入だな(笑い)。

野坂 そのころから喧嘩が強かったですか。

今 パラケツじゃ、うるさいほうやったな。

野坂 どういう喧嘩の仕方をしたんですか。足が速かったんですか。

今 あ、あんた、キックやるから足だと思っている。おれはものを持つんだよ。小学校のときからいろんな学校の連中からねらわれていた。だから、ちゃんといい武器をこしらえていたんだ。ドスなんか持つと重大問題になるから、昔、電灯のコードに木の玉がついていたでしょう。あれを手に入れちゃってな。その玉を芯にしてコードを巻きつけていき、余ったコードを二重に輪にして、常にふところに入れて歩いていたんです。

野坂 学生服ですか。

今 いや、着物です。小学校でしたから。それで、「おい、今がいる」というんで、何とか学校の悪たれが五人、十人と連れてくるんですよ。「なんでえ」、「おんどれやな、今いうのは。かまわん、どついたれ」なんて、相手がパッと手をあげたときには、もうそれをピユーッとふりまわしている。これが当たるともう泣き叫ぶんだ。向こうはゲタでおれのドタマなぐっても、おれ不死身で、カーン、カーン音するけどなんともねえんじゃ。そのうちに相手がみんな屈服してしまって、泣いてしまうんだわ。

二十年前なぐられたやつを…
野坂 弟さん(今日出海氏)はおとなしかったんですか。

今 これはもうまじめなもんじゃ。秀才やからね。だけど、いうことが大げさだよ。なんぞというと兄貴になぐられるから、「なにッ」ときたときにはパッと逃げ出し、おかげで短距離の選手になれたというんだな(笑い)。

野坂 今先生の青年時代の写真を見ると、たしかに美男子で、なんか華奢な感じがするんですけど、強かったんですかね。

今 それがいいんですね。東京に行ってからも、カフェーなんかいくと女の子にもてるんだよ。それでバンカラ連中なんかやきもち焼いて、「あの野郎、軟派だからどつきあげろ」てなことで、喧嘩売りにくるんだね。「なんでおれのツラを見たんだ」なんてくだくだいっているうちに、「ここでは迷惑かける。やるんなら表に出てやりましょう」、「よし、おい、なぐったれ」。もうおれは出したにどつきあげるんだ(笑い)。しかし、嫌いな奴なんかどつきたいね、議会なんかでも。

野坂 これはとてもかなわないという感じで、喧嘩やめちゃうということはありませんでしたか。

今 なかには、そんなのいますよ。中学一年のとき、県立一中の五年生で柔道の強い奴なんかに会うとね。それはもう逃げるにしかずで、ゲタもほったらかしてハダシで逃げ出した。けがするとつまらないから。そのかわり敵討ちゃ。学校の帰りをねらって、小太刀の木刀でね、シッチャカメッチャカにしてやるんですよ。だから、あいつしぶといといわれたんです。水泳で会うと、おれは水泳がうまかったから潜っていって、ぐんぐん沈めて水をがぶがぶ飲ませて降参させたり。春なぐられると、夏までおいては利子つけて返すんだ。

野坂 ぼくは二十年ぐらいおぼえています。小学校のときなぐられた男を、二十年目になぐり返した(笑い)。

今 おれはおぼえがないんだけど、稲垣足穂にある人が「東光のところに遊びに行こうやないか」いうたら、「あいつのとこは行かん、中学のとき、あいつになぐられた」というたそうな。おれはなぐったおぼえはないんだけど、人がいうのには、なぐった方は忘れているけど、なぐられた方は忘れんというわな。

野坂 だから、ぼくが「今先生はいろんなことをよくご存じで、もの書きに珍しくほんとに学問がある」といったら、稲垣さん、もう鼻でせせら笑っていましたね(笑い)。

今 無学だっていうだろう。あいつは言いたい三昧ぬかしやがるんだ。それで、いまだに敵討ついうてた。稲垣に会ったら、おれはなぐったおぼえねえぞって、いうてくれよ。

野坂 そういう対談を一ぺんやったらどうですか。七十すぎた方で、「おまえ、なぐったろう」、「いや、おれはなぐらない」(笑い)。

今 だけど、あんたはなかなか、からだいいわな。運動、若いときやったの?

野坂 まあ、とにかく軍国主義時代に育ちましたから。

今 基礎的なからだはできているわね。

野坂 ぼくは先生とちがって気が弱いんですよ。すぐ泣いてしまいますよ。

今 神戸には何年ぐらいいたの?

野坂 生まれてから十四歳まで。焼けたときが十四です。

今 十四のときに、女のことなんか知っていたか。

野坂 十四のときそれに近い経験がありました。といったって、昭和二十年当時はできるわけないですよ。ただ、焼けちゃったあとあるところに行ったら、そこに二つ年上の女性がいまして、向こうはぼくをかわいそうに思い、ぼくはぼくで家族がいなくなったからその人に甘ったれている、という恰好ですね。ですから、いまでも二つ年上の方を見ると、とても他人には思えない。

今 物騒だね。

野坂 田辺聖子さんなんか見ると、ほんとに「おねえさん! といいたくなっちゃう(笑い)。

もの書きも自主独立できない
今 きみはずいぶんひどい近眼なのかい。

野坂 大近眼の乱視です。最近は老眼が加わりました。しかもこのめがねは度がついていて、しかも色がついてて、苦心の作なんです。

今 これは小説に書いた話だけど、大正時代、都新聞(現東京新聞)に松崎天民という軟派の記者がいましてね。「浅草十二階探訪」を書いた。これがおそらく探訪物のはしりだろうな。当時、社会部の記者は軟派といって馬鹿にされて、硬派という政治部記者でないと幅がきかないんだ。法科出が政治記者になって生意気にやっていたんだよ。それで松崎の野郎がカッカときちゃって、「よオし」というんで十二階の女たちを取材した。これが洛陽の紙価を高からしめてね。こんどは政治部が小さくなって、軟派のほうがえばっちゃったんだ。

野坂 都新聞といったころですね。以来、都新聞がそれ専門の新聞になっちゃう。

今 そうなんだ。田村秋子さんのお父さんとか、伊原青々園とか、長谷川伸とか、当時の錚々たる記者が都新聞にがんばっていた。ある日その松崎天民が女を抱いてな。女が夜中に目がさめて、枕元のコップの酔いざめの水を飲もうとしたら、コップの中に目玉があってな。ギロッとにらんでいるんで「ギャアッ」とはねあがって、すっばだかで逃げたのよ。それでドタドタと階段から落ちて気絶しちゃったんだ。天民は片方の目が義眼だったんだ。昔の奴はじつにそういう珍談をつづけて暮らしていた。いま、文壇にそういうおもしろい人間いないね。野坂さんはべつにして、なんだかみんな保険外交員みたいのが多いね。

野坂 いま、たとえば天民みたいなことをやって、ファッションモデルがマンションから落っこって死んだりしたら、これは単なるスキャンダルじゃなくて、もっと大きな騒ぎになっちゃう。まず新聞が「もの書きだからといって、そんなことをしてもいいのだろうか」といってくるにきまってますよ。その次は週刊誌が冷やかすでしょう。女性週刊誌が家族をやりますね。二重、三重と検非違使みたいに書きたてられたら……。もの書きだって女房、子どももいるわけですからね。そこにもカセがあって、まず子どもの先生がいるし、それから女房というものは学校と非常によくつながっているものだから、学校にいくとぐあいがわるいということになるでしょう。だから、もの書きが自主独立した人格として世の中を生きていくことはできたくなっていますね。女房に足をひっぱられる、子どもに足をひっぱられる、いろいろしごかれますねえ。しかし、どうも大新聞のきめつけ方は、一方的で癪にさわりますねえ。

今 それはけしからんね。

野坂 先生はけしからんなんていって、いま割り箸を割ってるけど、こっちはこれからそれをやろうというんですから(笑い)、そう無責任なことをいわないでください。まあしかし大新聞が何をいおうと気にしなきゃいいようなもんだけど。

チンポの大きい人を国会へ
野坂 今先生がどこかで何をやったなんて書かないのは、参議院議員だからです。日本という国は政治家がわるいことしたって、いろいろいわれないでしょう。政治家のスキャンダルといえば汚職しかないもの。嘘ついたって、女だましたってどうってことはない。

今 再来年、おれは出ないというと、これから叩かれるね。積もり積もった六年間!

野坂 でも、議員はやめても前官礼遇みたいのがあるらしいから、まだ大丈夫ですよ。

今 このあいだ、めずらしく山本有三さんに会ったの。それで、「選挙が近づいてきたから、みんなあんたに応援を頼みに来てるだろう。絶対に行くなよ。あいつら、頼むときだけは人のからだも考えずに頼んで、当選すれば知らん顔だ。やるもんじゃありませんよ」と、えらい注告してくれてね。「もちろん、私はこんどは行きませんよ」といった。
おれの選挙のときは、この人(野坂氏)なんか頼んだけどね。応援演説で「チンポの大きい奴は偉いにちがいない。今さんも大きいから、こういう人を出さなくちゃいけない」とか、二千人も集まった浅草の大会堂で、おれのチンポ見たことないくせにチンポ論をやり出したんだよ(笑い)。

野坂 ふざけたわけじゃないですよ。昔、「文芸春秋」で直木三十五が文壇の品定めをやったときに、今先生は学識の面でもって芥川(龍之介)に次ぐと書いた。皆さんは助平な小説を書いているようにお思いになるかもしれないけど、これほど学識のある方はいらっしゃらないんで、いまの無学無教養な国会の中に今先生を出さなくちゃいけない、というふうにぼくはいったわけですよ。そのあと、いうことがなくなったから万事チンポの世の中で、チンポの小さいやつは、もともと悪いことをする。ヒットラーも小さかったし、東条英機も小さかったぽく、ほんとは知らないけどね(笑い)。そこへいくと今先生のチンポは大きい。やはりチンポの大きい人に物事はまかせなきゃいけないと、教養とチンポの二本立てでいったんです(笑い)。そりゃ見ちゃいませんや、先生のチンポ。見たらウソはつけないもの(笑い)。

今 こんなひどい応援演説で当選したんだから、日本人というのはもの好きだね。えらい連中ばかりが応援してくれたんだよ。おれが立ったら、みんなウワッと笑うんだ。

野坂 その頭を見れば、だいたい大きいような気がしますよ(笑い)。いまは功なり名とげた感じでわりと人相がよくなられたけど(笑い)。

なぜ芸術院会員になりたがる
野坂 しかし、今先生を見ていると、やはり文士の一つの典型をみるような気がしますね。つまり喧嘩するとか、論争するとか、結果的に女をだまくらかすことになっても女遊びをするとか、そういうのが文士だという感じがとても強くしますね。戦前、今先生が本郷通りをネズミに首輪をはめて引っばって歩いたことがたしかありますね。

今 犬のかわりにな(笑い)。

野坂 それから資生堂でもってライスだけとって、人が残したおかずを全部持ってきて食べたことがあった(笑い)。

今 昔だよ、そんなこと。

野坂 当時の本を読むと、ちゃんと書いてある。ぼくはそのまねしたわけですよ。資生堂ではできなかったけれども、渋谷食堂に行きまして、よそのテーブルをじつと見ていて、ウェイトレスが片づけようとするのを「ちょと待ってえ」と持ってきちゃってね。二十年ぐらい前ですけどね。そういった一種のダンディズムみたいなことを、とてもやりたいという気がしましたね。
もの書きというのは、もともと何も生産と結びつかない存在でしょう。それをへんにへりくだったりする必要はないけれども、こういう管理化された社会になってきますと、かなりの無理をしてもいいから歌舞伎ぶりをやった方がいいように思うんですよ。そこでせいぜいぼくなんかシャッポをかぶりましてね(かぶってみせて)、これはちょいとアラブゲリラ風でございまして、なかなかカッコいいと思って……。
今先生はもはや参議院議員で、バッジをつけていらっしゃる方ですから、こういうえらい方はべつとして、ぼくらはソフトとかバッジとか直木賞とか、そんなものにとらわれないで、文士劇に出たら周囲を困らせるようにやるとかね(笑い)。そういうふうにやらなきゃだめだと思うんです。くだらなきゃくだらないでいいと思う。だけど、そういう存在がなければ、ぼくみたいなもの書きの意味ないですよ。日本には私小説の伝統があって、生活そのものが小説だというけれど、あれ、うそばっかり書いていると思うんです。それよりも生きている杜会のなかで、もっと無茶苦茶にならなきゃだめですよ。

今 そういう意味じゃ、ひと昔前の無頼派といわれた坂口安吾、太宰治というのは無頼派じゃないね。

野坂 太宰は無頼派じゃないですね。

今 やっぱり、あんただよ、日本のほんとうの無頼派は。無頼派の文学を開拓したし、人間そのものも無頼派だよな。

野坂 やっぱり幼女姦をやるとか、そこまで徹底しないとだめですよ。いま、幼い娘をやったら、これ、人非人でしょう。だけど、やりたいと思うでしょう、十二、三の女の子とちょっとやってみたい気がするでしょう。

今 うん、する。

野坂 それをやってしまって、それでだめになっちゃうのがもの書きだと思いますね。それなのに芸術院とか参議院とか……(笑い)。

今 参議院、すぐ持ち出すなよ。

野坂 今先生が議員になって参議院のイメージが低下したということについては非常にいいですよ。なんかもの書きってえらくなりすぎていますね。もの書きって、もっと助平でどうしようもないものですよ。ちょっとえらくなると深刻そうにかまえて、こんどは芸術院会員だなんて、あれはおかしいと思うけど、この発想はまあ月並ですが。

世の中ももの書きも悪くなる
今 いまの作家は体制の中でやっと生きているという感じがするなあ。先輩とあんまり喧嘩せんし、同僚ともやり合わないしね。切薩琢磨の形がねえじゃない? 昔、尾崎紅葉の門下に四天王といわれた泉鏡花、小粟風葉、柳川春葉、広津柳浪がいた。その小栗風葉の弟子が真山青果なんだ。ある夜、編集者が原稿をもらいに小粟風葉の家へ行ったら、門の前で二人の男が上になり下になり、なぐり合い、蹴とばし合いして、とっくみ合っているんだって。それで編集者が「こんなとこで、何しているんだ」と分けてみたら、それが酔っばらってはいたけど小栗風葉と真山青果だった。弟子と師匠がくんづほぐれつの喧嘩をしたというんだから美談だと思うんだ。弟子の薫陶もここまでいきゃたいへんなもんだけれど、そういう奴はいないでしょう。いまその点じゃ、こういうことがあったな。いつか(今)日出海が「おれ、このあいだ外套損しちゃった」というんだ。のちに小林秀雄に会ったら、「おれも外套損しちゃった」。で、どうしたんだと聞いたら、東京のどこかで飲んで議論して、結論が出なくて、電車で鎌倉についてもまだ結論が出たい。それで駅前のオデン屋で議論つづけて、しまいに店が看板になって追い出されて、八幡さまの鳥居のところまで来ても結論が出ないんだ。それでどっちがいい出したのか知らないけれども、「これはもう、なぐり合いしか結論は出ないな」、「そうだなしというわけで、ポカポカなぐり合ったり、とっくみ合ったりして、二人とも八幡さまのドブに落ちて外套から洋服からドブドブにしてパアにしちゃった。そういう文学に対する熱情というのは、いまはないでしょう、第三の新人以降。
なんだかみんな上手にお互いにほめ合って、痛いところに触れられないようにしてやっているような気がしてね。ぼくはいまの批評家が仮におれのことを批評しても、おれは信用できないんだ。こんちくしょう、おれになぐられるのをおもんばかってこんなこといっているんじゃないかと、年寄りになったらひがみっぽくてな。それよりも「どう考えてもてめえのハゲ頭ぶりが気にいらない。一つなぐらせろ」ぐらいの意気でかかってくるとか、そこまでいくような情熱がいまの文壇に見られない。稼ぎ第一主義になったのかしりませんけどね。気をつけなくちゃいけないね。
今度の秋のシンポジウム(日本文化研究国際会議)でも、世界からいろんな人を招いて、てめえが世界的名士になったつもりでやっているのは、チャンチャラおかしいね。てめえらの作品が十年後、二十年後にいったい残ると思っているのか、この野郎!といいたくなるようなのが、なんかしたり顔でいっているじゃない。

野坂 あの、五千万円だかなんだか、国からもらうというのは汚職じゃないのかなあ。まあ表でもって喧嘩するという形での文壇の切瑳琢磨もあると思うし、もう一つ、おれはこいつは認めない、こいつから何をいわれようといっさい関心はないという恰好でやっていくきびしいやり方もあるわけですよ。吉行(淳之介)さんなんか、それやってらっしゃいますね。だから、ぼくは吉行さんは文士だと思うんですよ。まあ、もの書きなんてもともと太鼓持ちみたいな一面もあるから、大きなパトロンにくっついてやっていたっていいですよ。お金たっぷりもらって、こっち側でいい作品書いておけばいいわけですよ。だから総理大臣の朝食パーティに行くのもいいと思う。それから、書斎にじっといて喘息かなんかでゴホンゴホンわるあがきしながら、こいつだけは許さない、そいつとは絶対につき合わたいからという人も文士だと思うんですね。
ところが、そうじゃない場合が多いんです。なんか喧嘩はするけども、なぐり合いにまでは至らない。朝食パーティに行くときは、めしさえ食ったらそれでおしまいだといいながら、けっこう体制的なことをやってしまう。おれは許さない、許さないといいながら、それぞれの関係から推薦文なんかヒョロッと書いちゃうというような、そういう中途半端な世渡りをやっている人間がいま多すぎることは多すぎますね、まあぼくも含めましてね。
どう考えても、もの書きというのは根本的に無頼の徒ですよね。その無頼の徒の片々でも残している分には、まだいくらか望みがあると思うんですよ。ところが、どうもいまはもの書きの杜会的地位が高くなって、しかも稼ぎが多くなっているものだから、夜郎自大になってしまっていると思う。書いているものも、夜郎自大でものが書けるわけがないからつまらなくなっているし、世の中全部がわるくなっているけれども、もの書きもそれにつれてわるくたっているような情けなさがありますね。世の中がわるくなればなるほど、もの書きはいい立場に立つわけですがね。だって、わるくなっていく時代を見たがら書いていればいいんですよ。ほんとにいい時代なら、もの書きなんて存在するわけがない。みんたが幸せになっている世の中なんて、なにを書いたらいいかわかんないです。もの書きにとっていまは書きやすい時代であるにもかかわらず、何も書いていないんですからね。

けなされた批評は読まない
野坂 今先生は好奇心の権化で、学問がどれほど深いか、ぼくみたいな浅い器でははかりしれないけれども、一緒に旅行していて何を聞いても知らないということがないですね。「あの木は何ですか」、「あれはなんとかかんとかで……」ほんとうかどうか知らないけれども(笑い)、ちゃんと教えてくださる。三島由紀夫さんの「豊饒の海」の中の、「暁の寺」など大僧正の眼からごらんになるといかがです。仏教の「阿頼耶識」とかいうのが出てくるけれど……。

今 阿頼耶識とか末那識とか、これは仏教の唯識論にはいるんです。いうならば認識論だろうな。だけど、それは信念的な認識論で、情が裏づけした意識じゃなくちゃならん。ところが三島君のはそういうシロモノじゃないよ。いいたくないんだけど、おれが昔ある小説を書いた。それに比叡山の写本を引用したんです。これは門外不出の写本で、天海大僧正が集めた蔵書でな。天海蔵といって、一般には見せないんですよ、国宝級の本ばかりだから。その中でも、とくに門外不出の写本が一本ある。おれはそれを夜こっそり行っては寒い文庫で写しとってきたんだ。それを三島がある小説のなかに引用して、自分は比叡山の秘庫を開いてこれを読んだと書いてある。しかし、ぼくでさえ貸し出してもらうこともできないものだよ。それを三島が見せてくれといっても、絶対見せませんな。おれの小説のを引用しているんだ。そういうときには、礼儀として今東光のこれこれから引用したと書くべきですよ。それをおれの名前も出さないし、天海蔵であることも書いてないんだね。でたらめもはなはだしい。だから、ぼくは三島の小説、信用しないんですよ。「金閣寺」はこれは臨済禅だけれども、そういうところを探求しているわけでもないんでしょう。仏教用語なんかも使っているけれども、ほんとうにわかっていらっしゃるのかどうか。

野坂 まあ、あの場合頭脳明晰だけに、一種の受験勉強小説になっちゃったのかな。

今 そうそう。これを書くためにこういうものを集めたという形はありますね。

野坂 ただ短篇のなかには、かりに受験勉強小説であるとしてもいいものがあると思うんですけれども、不思議でしょうがないのは、「豊饒の海」というのはあれだけ騒がれた最後の作品でしょう。それをまともに取り上げたまともな批評家がだれもいないんですよ。箝口令がしかれているわけでもあるまいし、なぜいいんならいい、わるいんならわるいといわないんですかね。

今 彼もそう論じてほしかったろうね。だけど、おれは批評家というのはあんまり信用しないな。

野坂 ぼくはけなした文章は読まないんですよ。ほめられると信用するんです(笑い)。

今 えらい男だね。見直したよ、おめえを。おれもこれからほめたのだけ信用しよう。

野坂 ほめているのを見ると、この人はいい人だと思う。ジョニ黒でも送りましょうと(笑い)。一度読んだあと、酒飲んでまた読みたくなっちゃってね。もう一度読んで、「おれ、そんないいこと書いてたかな」……ついには自分の小説を読みなおします(笑い)。けなしてあるやつは読まない。おっ、おうと閉じちゃうものね。

万葉学者も何も知らない
今 あんたと初めて会ったのは、ずっと前に青島(幸男)君と一緒にだったな。おい、おまえはえらくなっちゃって、青島はもう「野坂の話になると頭にくる」というんだよ。こんなに自分と差がついちゃったって。そんなこといわずにおまえも小説書いたらいいじゃないかといったら、「うーん、野坂が生きている間はどうにもならねえ」って。おまえ殺されるぞ、うっかりすると(笑い)。青島は自分も書きたかったんだ。それがいまや野坂は大家になって、彼は議員かもしらんけど二院クラブの親方ぐらいじゃどうにもならんからね。政治のセの字にもならん。

野坂 ぼくら、なまじっかテレピでもって脚本書いていますからね。いかにテレビとはいえ、書くのは字を書くわけでしょう。字を書くのは小説が本来のものであると思う世代なんですよ。だから青島でも、大橋巨泉でも、永六輔、前田武彦、野末陳平、みんな活字の仕事ではヒョイとかまえるんですね。たとえば巨泉は「週刊朝日」の「真言勝負」でしゃべるときは、まじめ一本やりでしょう。永六輔は逆に開き直って、私はとても活字の世代じゃないよという恰好で書いたのが「芸人とその世界」でしょう。野未陳平は出版社をやっちゃってるしね。テレビで覇をとなえていれば、直木賞もへったくれもないんだけれども、彼らの世代からいえばやっぱり活字だけで育ってきたわけですからね。

今 しかし、テレビでどれほど何をしたって、あれはアワの如き存在ですよ。

野坂 だけど、ぼくも娯楽小説書いてタレントみたいなもんですからね。存在はアワの如きでいいと思うんですよ。

今 そんなことないわな。

野坂 ぼくは自分が無学のせいかわかんないけど、今先生ぐらい学問をした人間でないと、人間のほんとのところがわかんないと思うこともあります。しかしこれがむつかしいところで、余り勉強して、柔らかい心を失っちゃうとこれまた駄目なような。吉行さんなんかあらゆる意味で教養のあるほうではない。何か聞かれてすぐわからない、知らないとおっしゃいますが、人間についてはまことに通ですねえ。学があって、小説がいいというのはなかなかむつかしいような。

今 その代表的なのがいる。小島政二郎だ。英語はできるし、日本の古典は読むし、ことに芭蕉に関してはえらいんだ。慶応の芥川になりたかったのが、なりそこねたんだね。

野坂 まわりに天才がいすぎたんじゃたいですか、芥川とか、永井荷風とか。

今 学問はあるんだよ。しかし、それが彼の文学になんの光も与えていないんだよ。
だいたい、いまどきの学者と称する連中からしてひどいもんだぜ、おい。奈良県の桜井市で二、三十人の作家に万葉の歌を書かせて、碑をあちこちに建てるというんでな。おれのは海柘榴市の近所に立つというんで、海柘榴市の歌を選んだ。「紫は仄さすものぞ つばいちの八十のちまたにあえるこは誰ぞ」そうしたら佐佐木信綱をはじめいろんな学者が、「紫は灰さすものぞ」だというんだ。なぜ灰かというと、紫を染めるときに灰を使う。だから「灰さすものぞ」が正しい。おれのは間違っているというんで、大学者の間で問題になったんだ。
それでおれはいってやった。なるほど紫を染めるときには灰を使うし、酒の濁りを澄ますにも灰を使う。けれどもこの場合は染色のことをいっているんではない。海柘榴市の非常に繁華なところで、そこで行きずりに会った女の子はどこの誰だろう。それを紫が仄さしているんだ、というのがおれの解釈なんだ。昔は印刷がないから写本ですよ。伝書の際に「仄」にチョンチョンとやってしまって「灰」になったんで、おそらく誤写だと。さっきいった天海蔵の足利期の写本だの、いろんな写本を見てくると、古今集でござれ、新古今集でござれ、ずいぶん誤写があるんですよ。そこを考えろというんです。「紫は灰さす」なんて、水さすようなことぬかしやがって(笑い)。きのう桜井市の観光課長が来て、どうしたものでございましょうというから、おれの説が正しいからそのとおりにしてくれといった。

野坂 それは今先生の解釈のほうが正しい。もし先生がお亡くなりになっても、ぼくがあとをひきついでがんばりますよ、こりゃもう「仄さす」であると。

今 そうか、やっばり野良犬同士というわけか(笑い)。


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コメント
おはようございます
野坂さんの話題だったので、投稿させていただきたくなりました。

私が高校時代(と記憶しているのですが)に、学校の式典に野坂さんがいらして講演をしてくださいました。
だいぶ酔って、時間もかなり遅れて入られたので「てげてげ」な方だなと最初は思ったことを覚えています(笑)
ですが、内容を聞いているうちに、お人柄の暖かさにファンになってしまいました。
実はその当時の担任の先生が、外見も中身もちょっと似たところがおありの方で、よく職員室のポットで熱燗を
作っていて...(苦笑)
私は協調性のないタイプだったので、すごくお世話になった大好きな先生でした。

野坂さんまでも逝ってしまうなんて寂しいです。
あちらでも日本を憂いているのでしょうか。
心配せず呑気にてげてげでいてほしいな。
[2015/12/12 08:33] URL | 横浜のおばちゃん #A1vz8dvw [ 編集 ]

実は亀さんも高校の講演会に…
ご無沙汰しております。そうですか、野坂さんの講演会を聞いたのですか、それは良かったですね。多感な少女時代に野坂さんの話を聞いたことで、その後の人生は良い意味でも悪い意味でも、大きく変わったのではありませんか?

> だいぶ酔って、時間もかなり遅れて入られた

野坂さんらしいなぁ…。実は、小生も三十代の頃だったと記憶していますが、小生が十代の頃に体験した三年間の世界放浪の旅について、話をしてくれということで、埼玉のある高校の体育館で千人近い生徒さんの前で話をしたことがありました。今から思えば酒を呑み酔っ払った状態で行けば良かったかなと、今では後悔しています(爆)。
[2015/12/12 18:40] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]


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