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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
任侠心と洞察力
標題の「任侠心と洞察力」だが、その説明の前に今日、郵便ポストに入っていた以下のダイレクトメールのコピーをご覧あれ…。

15091601.jpg

15091602.jpg

実は、このチラシを目にした瞬間、咄嗟に脳裏に浮かんだのが飯山一郎さんの以下の記事だ…。
◆2015/09/14(月)  飯山一郎は朝の4時半まで語りまくる

飯山さんは以下のような事を書いている。

新井信介氏ほどの歴史家が『日本書紀』を書いた動機を明確に意識することなく『日本書紀』という「テキスト」だけをを読んでこられた…。(新井白石や本居宣長といった江戸時代を代表する歴史家たちも同じだった。)

日本人は「テキスト」を読み込むのは得意だが、「コンテキスト」を読もうとはしない。「コンテキスト」とは、情報が発せられた場所や背景、さらに社会環境や国際環境のことだ。

『日本書紀』に書かれてある表面的な文章=「テキスト」だけを読んでいては「学べば暗し」になってしまう。

「コンテキスト」つまり、『日本書紀』が書かれた背景や国際環境を読み解かなければ、歴史の真実は見えてこない。


実はコレ、亀さんが常日頃感じていたコトなのだ。亀さんが拙ブログで取り上げることの多い落合莞爾さんにしても、新井信介氏と同じくコンテキストを読もうとしないことがある。だから、亀さんは旧ブログで落合さんを以下のように叩いたことがある。
フルベッキ写真検証 落合莞爾

その後、落合さんはフルベッキ写真についての自説を撤回し、高橋信一先生の説に接近したことで、亀さんも再び落合さんとの交流を再開している(旧稿の〝サムライ〟は亀さん)。

ともあれ、飯山さんの仰せの「コンテキストを読もうとしないシトたち」の話、まさにその通りなのだ。冒頭に紹介した電子辞書の漫画にしても、単に「テキスト」の知識が豊富というだけでは、シトとしてどうしようもないのであり、そのあたりは上記の飯山さんの記事をじっくり読むことで理解できるはずだ。

ここで思い出すのが吉川英治と今東光だ。和尚は百科事典を読破したということで、己れの知識量を自慢していた吉川英治を徹底的に叩いていた(その記事を本稿の最後に転載したのでご覧あれ)。

無論、飯山さん以外にも〝コンテキスト力〟のある人間は大勢いるだろう。しかし、飯山さんのように、〝任侠心〟を併せ持つ人物は滅多にいない。このあたり、まほろば会の藤原源太郎さんや天童竺丸さんに共通しているものなのだ。だから、若いお姉さんがいなくても、未だにまほろば会に通い続けているのワケなのだ(爆)。なお、任侠心についての最近の拙稿、「プロポーズを受けたら、二つ返事でOK…」を参照していただきたい。また、任侠心について優れた最近の記事もある。
松本人志も脱帽!? 笑福亭鶴瓶のスゴすぎる”人間力”

☆☆吉川英治とその文学について
俺は非常に後悔している。それは吉川英治先生の『三国志』を読んでしまったことだ。なぜ、こんなすばらしい本をいままで知らなかったのか、という後悔と、こんなすばらしい本を、病気かなにかで退屈で死にそうな時のためにとっておかなかったか、という後悔だ。それといって特徴がある文章でもないのに、本に吸いこまれそうに魅力のある吉川文学、そして吉川英治先生について何か聴かせてもらいたい。
(京都市伏見区18歳X・Y)

彼の『宮本武蔵』の中で、沢庵和尚の道場なのに、天海大僧正の開いている道場だと説明しているくだりがあるんだ。これを読んで、オレはもうあきれてね。天海は天台宗なんだ。それを天海大僧正の開いた曹洞禅の道場と書いているんだから、物を知らないにもほどがあるよ。

『新・平家物語』でも、週刊誌に連載中、ある大学の先生が歴史的事実が間違っているのを指摘したら、その章はパッと打ち切って話を違うほうにもっていったっていうことがあったそうだ。

吉川英治の知識なんてその程度のもんでね、オレは馬鹿馬鹿しくてとても読む気しないよ。「三国志』が面白かったとしたら、それは原作が面白いからだ。彼のは単なる翻訳で、創作じゃないからね。

大佛次郎に会った時、オレに「来てくれ」と言って、無理に自分とこに連れてった。「仏書を買ったから見て下さい」っていうんだ。オレは、次々に表紙の字をさっと見て、「これは禅宗系統の本」「これは何の本」と分類してやったんだ。「ホーッ、今さんは、字みただけで全部中身がわかっちゃうんですね」「そりゃあ、オレは坊主だもの」「いや、ただものじゃない」

それで大佛は、「源実朝を書いたんだが、どうもわからないところがある」って言って、いろいろ質問したので当時の寺の組織や構成、階級なんかを詳しく説明してやったんだ。そうしたら、「私はそういうことがよくわからないから、そういう箇所は,ボカして書いちゃった。なんで私はフランス語なんかやったんだろう。仏教やっときゃよかった……」と言うんで、「じゃオレみたいに、十万冊も仏書を読むかね。それも旧漢文で」って言ってやったら、「やっばりやらないでよかった」だって。

これが大衆作家の楽屋裏でね。だから柴錬が怒るんだよ。「吉川英治が国民文学だなんて、ふざけてるね、今さん」って。オレもまったく同感だね。

『続 極道辻説法』p.246

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コメント

飯山翁もそうだが、「ヒト」を「シト」というのはやめてもらいたい。なぜ「ヒ」をわざと「シ」で辱めるのか?この点が残念です。記事は毎回楽しみにしています。
[2015/09/18 15:14] URL | 水戸の隠居 #- [ 編集 ]


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