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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
今東光とアルゼンチン
今朝、仕事を始めようとした時、パソコンの前に置いといた『東光雑記』(今東光著 桃源社)を何気なく捲ってみたところ、和尚がアルゼンチンについて書いている行に目が止まった。和尚も亀さんと同じ18歳の時、リオやブエノスに行きたいと思っていたそうだが、「母親の猛烈な反対に会って十八歳の希望は潰えた」と書いてある。亀さんも同じように母親が猛反対だったんだけど、それを押し切って日本を飛び出したんだ。それを思うと、明治の母は強かったんだろうねぇ…。以下の文中にもあるように、ブエノスアイレスは本当に南米のパリというに相応しい街だったし、リオはリオでエキゾチックな街だった。リオには一週間ほど居たが、毎日コパカバーナビーチまで行って甲羅干ししていたもんだよ。尤も、亀だから、甲羅干ししていても別に不思議ではないんだけどね…。また、やはり文中にある「アンデス越え…」、亀さんはアルゼンチンのスイスと言われていたバリローチェから、バスト…、じゃなかったバスと船を乗り継いでチリに入ったんだが、雄大なアンデスの山々が目の前に迫り、圧倒されたのを今でも覚えているよ。船中、可愛いウルグアイ人の女の子とも淡い恋を体験したし、本当に南米は想い出に残る土地だよ。

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アルゼンチン

僕の父は古い郵船会社の船長だった。父の行ったところを僕の舎弟日出海が跡をふんだ。今度南米に行って、はじめて今家で誰もまだ行ったことのない土地を踏んだわけだ。

僕は中学生の頃にアルゼンチンに憧れた。何が動機でこの南米の一つの国に憧れたか想い出せない。しかしながらアンデス山脈を越えてみたい夢に駆られたのかもしれない。船乗りの父は当然のように世界を歩いてみたいと言っていた。父の希望はスエズ運河を通るようにパナマ運河を通ってみたいと語っていた。第一次世界大戦が起って父の船はパナマ運河を通過したし、南アフリカの希望峰をも見ることが出来た。しかしながら終生南米には行く折がなかった。船乗り仲間からアルゼンチンのブエノス・アイレスの街や、ブラジルのリオ・デ・ジャネロという美しい港のことを聞いたので尚更ら行きたいと思っていたらしい。そういう父の話が僕をリオやブエノスに惹きつけたのかもしれない。しかも母親の猛烈な反対に会って十八歳の希望は潰えたのだ。

二つの中学校をしくじり、一層のこと日本を去ってアルゼンチンかブラジルに渡航したいと思うのは当然だろう。その夢が無残に破れたので、自暴自棄みたいになって東京へ迷い出た。十八歳の暮だったと思う。

その僕が今回はからずも電通の吉田社長の肝煎りと産経新聞の水野社長の後援で、憧れの南米に行けたのだから、まったくこんな嬉しいことはなかった。まして産経の川島キャメラマンと電通の石川君の二人を随行させて下されたので旅に不安はなかった。水間寺の訴訟も、密蔵院の普請も、わが家の修理も何も放ったらかして飛び出した。

ブラジルで半月ほど過して待望のアルゼンチンに行った。この国の印象は一口に言うと古きスペインとパリーとが混合している。古きスペインというのは祖国スペインが今ではヨーロッパ的存在でなくなったのにアルゼンチンには依然としてエスパニヤが残存しているのだ。パリーが年々歳々パリー的でなくなっていくのに、却ってブエノス・アイレスにパリーの匂いが立ちこめているとフランス人達が懐しがるのだ。五十年に近い歳月を閲して漸く少年の日の夢を実現することが出来たのだから僕の嬉しさは想像のほかだった。

沢田大使の御紹介で有名な画家のキンキラ・マルチンと知合いとなった。その翌日、彼の招待を受け、彼の画室に通されて、製作中の沢山の作品を見せてもらった。大変たのしい一日だった。

彼の画室の前、直ぐ目と鼻の距離にメンドーサ港が見える。昔パードレ・メンドーサが神の使命を帯びて上陸したところだから彼の名を冠した港とたっているのだ。そのメンドーサ港のほとりにカミニートという街がある。キンキラ・マルチンは其所に生れ、孤児として育った。この孤児はひょっとすると捨て児だったかもしれないのだ。キンキラ夫妻に拾われ、入籍してキンキラ家の一員となった。僕は自分が家庭らしい家庭に入ることを拒否され、神戸の港町をさまよい、人の温い情を慕いながら育ったのと比べると、彼は境遇の似ているのさえ心が通うと言って悦んだ。僕はマルチン画伯に会って、本当の意味での生粋のポルテニアを見た気がした。キンキラ・マルチンはブエノス子の誇りに生きていると思った。

日本人が、とかく祖国を見喪いつつあるような気がして心もとないと思っていた僕は、彼によって何か慰めを得たのだ。僕は誇るべき何ものもないが、少くとも日本人だということを誇りと思う。
『東光雑記』p.168
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