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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
鬩ぎ合い02
現在、辺野古に関する記事を山崎行太郎氏が連日のように発表している。
天皇発言と八木秀次
安倍政権と天皇の対立
昭和天皇と田中清玄
天皇と沖縄と安倍政権
菅義偉官房長官よ

翁長知事が幾度も会見を要請していたのにもかかわらず、同知事を無視し続けてきた菅官房長官が、どうした風の吹き回しか4月に入って急に態度を変え、自ら沖縄に飛んで会見に臨んだ。しかし、互いに平行線で終わったのは記憶に新しいところだ。この辺野古を巡ってどのような問題があるのかについて、拙稿「鬩ぎ合い」で大手マスコミが取り上げていない背景を簡単に紹介している。関心ある読者に一読していただいたら幸いだ。

ところで、山崎氏は一連の記事の中で、以下のように述べた。

八木秀次は、「安倍政権の改憲路線に逆らうような天皇の護憲発言」を批判しているだけでなく、皇太子や秋篠宮に関わる「天皇後継問題」にまで言及し、要するに「浩宮(皇太子)批判」まで試みようとしているようだ。八木秀次の背後には、安倍首相や安倍政権の取り巻き文化人がいるだろう。天皇が、かなりの危機感を感じているらしいことが読み取れる。


その通りである。憲法や天皇後継の問題に関しては、亀さんは山崎氏の主張に賛成だし、今後も山崎氏を支援していきたい。一方で山崎氏が取り上げた天皇メッセージ、これは一筋縄ではいかないと思う。山崎氏は天皇メッセージを「菅義偉官房長官よ」で紹介、その上で以下のように述べている。

いろいろ理由はあったにせよ、この「天皇メッセージ」は、天皇による「沖縄切り捨て」=「琉球処分」であった。そうであったが故に、昭和天皇は、沖縄に関して、「悔恨」と「感謝」・・・という痛切な思いを、死ぬまで抱いていた。


ここで、亀さんは拙稿「松本健一氏逝く」において、故松本健一氏の発言を紹介している。

松本 昭和天皇が生涯、口に出したくないと思った三人の人物がいます。それは出口王仁三郎、北一輝、三島由紀夫の三人です。三島事件が起きた日に侍従長の入江相政は天皇に報告しています。そして、翌日呼び出された入江は、「天皇は三島のことも仰せだった」と書き残しています。このことも実録に出てきません。
『月刊日本』12月号 p.55


また、別の拙稿「日本人は何を考えてきたのか」で、今上陛下の学友の言葉を紹介した。

「僕はいろんな人から御進講を受けているけど、三島由紀夫さんのお話は聞かない。三島さんの思想は、八紘一宇、国民皆兵で、天皇は私的な一家の幸せを求めるものではないと考えているんじゃないかな」


15040701.jpg

先帝および今上陛下の三島由紀夫に対する姿勢は、『小説三島由紀夫事件』を著した山崎氏も十分に承知しているはずだ。だからこそ、天皇家と三島由紀夫を巡る山崎氏の記事も是非読みたいと思う。何故なら、先帝が三島由紀夫の名を口に出したくなかったのも、「天皇メッセージ」、すなわち沖縄が深く関わってくるからだ。その三島の沖縄への想いは、『英霊の聲』に色濃く反映されているのである。



ところで、今年の歌会始の儀における今上陛下の御製は、「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」であった。明日、 天皇皇后両陛下が太平洋戦争の激戦地、パラオ共和国を公式訪問される。
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コメント
パラオ
飯山一郎さんつながりで数年前から拝読させていただいています。いつも精魂こもった記事をありがとうございます。

私はパラオの隣、正確にはグアムとパラオの間に位置する小さな島、ヤップ島に長年暮らしています。ヤップ島はパラオに比べるとずいぶん小さな田舎の島ですが、日本統治時代にはパラオ同様に多くの日本人が住み、島民子弟は公学校で日本語の教育を受けていました。もちろん戦争中は1944年から(パラオもそうです)日本軍がどっと入ってきました。幸いにペリリューのような上陸作戦を連合軍は土壇場で撤回したので、被害は少なくてすみましたが。

ところで、この記事でご紹介されているビデオ・クリップの中の、公学校の場面(日本人教師と島民の子供たち)の写真は、パラオではなくヤップ島のものです。1930年代初期に撮られたと思われる、研究者の間ではよく知られた写真です。子供たちの民族衣装はヤップ島(ヤップ本島)のものです。パラオの民族衣装とは違いますし、すでに当時のパラオでは、公学校の子供たちはみんな洋服を着ていました。

最初のほうに出てくる地図にもヤップ島が抜け落ちていますね。天皇訪問で関係者が舞い上がっておられたとはいえ、ヤップ島住民からすると、ちょっと手抜きの残念ビデオ・クリップです(笑)。


[2015/05/21 12:13] URL | suyap #sSHoJftA [ 編集 ]

初めまして
suyapさん、投稿ありがとうございました。

ヤップ島の歴史についての情報ありがとうございました。なるほど、ヤップ島に住んでいる方から見ると手抜きのビデオですね(笑)。

ところで小生の場合、ヤップ島もパラオも行ったことはありませんが、ミクロネシアあるいは近くで行った所に、サイパン島、バリ島、ルソン島、レイテ島などがあります。そうした体験があるので、飯山さんが仰せの海外移住先のロシアや中国(特に満洲)は寒そうなので、やはり移住するのであれば南の島に住みたいと思っています。

ところで、昨日『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』(斎藤充功著 学研)が拙宅に届きました。近く拙ブログで読後感をアップしますのでお楽しみに。

拙ブログは過疎のようなブログですが、またお寄りください。お待ちしております。

亀さん拝
[2015/05/22 04:31] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]


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