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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
座敷わらしとの〝再会〟
昨日、意外と仕事が捗り、余裕ができたので映画を見た。尤も実際に見たのは、いの一番に見たかった「居酒屋兆治」ではなく、水谷豊主演の「愛しの座敷わらし」だった。

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「愛しのわらし」を見た理由は二つある。一つは水谷豊の主演だったからだ。実は近所にいる亀さんの中学校以来の友人が高校一年生の時、水谷が中学校の時の友人の伝で、やはり高一だった水谷豊に会っている。当時の水谷豊はテレビや映画のちょい役をやっていた程度で、大ブレークする前だったから簡単に会えたのだろう。そうしたこともあり、「傷だらけ天使」以来水谷に注目してきた。

もう一つの理由は座敷わらしだ。実は亀さんは座敷わらしに〝遇った〟ことがある。ちょうど映画に出てきたわらしと同じような年格好をした、着物姿の座敷わらしだった。夜半、障子の向こうでカサカサという音がするので怖くなり、当時健在だった祖母を起こして障子を開けてもらったところ、そこには亀さんと背丈が同じ座敷わらしが立っていたのである…。

尤も、その時の亀さんはわらしと同じ3~4歳くらいだったので、たぶん夢と現実がごっちゃになったのだろうと今では思っている。今は亡き祖母に確認すれば確実なのだが、その祖母はもはやこの世にはいない。それにしても、あまりにもリアルな記憶だ。だから、もしかしたら亀さんが見たのは戦災孤児だった可能性も残る。

ウィキペディアで確認したところ、「(戦災孤児の)保護者不在の問題は1960年代(昭和35~45)まで続いていた可能性がある」という記述が目にとまった。亀さんが〝座敷わらしと遇った〟のは昭和32年前後だったと思うから、田舎だったということもあり、近所に戦災孤児がいたのかもしれない。現に、家から歩いて数歩の神社の境内で、幾度か乞食を見たのを覚えているし、祭りの時、腕や足のない兵隊さんがいたのを今でも覚えている。そういう時代だったから、戦災孤児がいたとしても不思議ではない。

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映画「愛しのわらし」に登場する座敷わらし

話は変わるが、NHKで「本当は学びたい ~貧困と向き合う学習支援の現場から~」という番組を見た。番組の冒頭で、「日本人の子どもの6人に1人が貧困」というキャプションが目に飛び込んできた。亀さんの子ども時代は貧しかったものの、明日への希望に満ち溢れていた時代だった。亀さんの父親世代の懸命な頑張りで、少なくとも物質面では豊かな日本になったことは確かだ。ところが、いつの間にか日本は子どもの6人に1人が貧困に喘ぎ、明日への希望を見出せないという社会に変貌してしまった。

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