
大分前にテレビで放送された映画「居酒屋兆治」、録画してあるのだが未だ鑑賞できないでいる。ちょうど1ヶ月後の10月26日が締め切りの仕事を抱えているからだ。
1年ほど前に道友の林廣さんから、「邦画を彩った女優たち」の「大原麗子編」のDVDをいただいたのだが、そのドキュメンタリー番組を見て、大原麗子の生い立ちを知り、「居酒屋兆治」が大原麗子に及ぼした、影響の大きさのほどを知ったのである。大原麗子演じる神谷さよが、大原麗子のその後の人生を決定づけたと、番組を見て亀さんは思った。
そんな折、現代ビジネスに興味深い記事が載った。 発掘スクープ 没後5年、大女優の「心の叫び」が明らかに 大原麗子が綴っていた「森進一との離婚」「田村正和への思い」「渡瀬恒彦と暮らした日々」
同記事を読み、彼女がギランバレー症候群を患っていたこと、さらには森進一の子を堕ろしていたことを知り、思わず22年前の出来事を思い出した。今は京都で学生生活を送る息子が、ちょうど上さんのお腹にいた時だ。
ある日、上さんが原因不明の病気で倒れ緊急入院、町の病院では原因が分からないということで、当時は所沢市に住んでいたこともあって、最寄りの防衛医科大学校病院に急遽搬送されたのである。そこで初めてギランバレー症候群であることを知った。そして、担当医の説明は重苦しいものであった。
「お腹の子を堕ろさないことには、このままでは母体が危なくなるかもしれない」
その時の上さんの言葉が今でも耳に残る。
「(たとえ我が身がどうなろうと…)この子は絶対に堕ろさない!」
その毅然とした言葉を耳にして、亀さんも覚悟を決めた。同時に、女性の持つ強さ、逞しさというものを、初めて知り得たように思う。その後は幸いギランバレー症候群を克服し、数ヶ月後に上の息子も無事に産まれている。
だからこそ、上記の現代ビジネスの記事で、大原麗子がせっかく宿した命を堕ろしたという行を読み、何とも言えない気持ちになったのである。
「姉が『子供ができた』と相談してきました。もちろん森さんとの間にできた子です。しかし姉はこのとき、あるドラマの主演が決まっており、出産は降板を意味していた。姉は『堕ろしたい。病院を紹介して欲しい』と言った。決意は固かったですね。森さんは何も知らなかった。姉が一人で決めたんです。
ただ、悩んだ末の決断だったことは確かです。というのも、姉は中絶した直後に、キャッシュカードの暗証番号を変えたんです。新しい番号は、子供を堕ろした日付でした」(政光氏) http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40454?page=3
ところが、最後の「新しくキャッシュカードの暗証番号を、子どもを堕ろした日に変えた」という行を目にして、大原麗子の胸の内が分かって救われる思いがした。
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