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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
明治天皇“すり替え”説の真相 2
今夏、和歌山市の落合(莞爾)宅で行われた対談の成果である、『明治天皇“すり替え”説の真相』が完成、拙宅に届いた。ちなみに、以下の写真左が落合(莞爾)さん、右が斎藤(充功)さんである。編集を担当された学研の小塩さん、お疲れ様でした。

14082301.jpg

同書に目を通す前は、かなり広範にわたって熱い議論が交わされているものと思っていたが、実際に目を通してみると、フルベッキ写真に想像していた以上のページが割かれていた。だから、拙稿「日本人は何を考えてきたのか」で述べた、「出口王仁三郎の出自や大本教が日本近代史にもたらしたもの」について、今回の新刊本で多少は言及されているのではと密かに期待していたのだが、以下の言及のみに終わっているのを見るに、どうやら紙幅が尽きてしまったようで誠に残念である。次回を期待したい。

落合莞爾:どう思うもなにも、(堀川)辰吉郎は京都皇統の中核的人物として生を受けたわけですから、そうでなければ、実行部隊として玄洋社や後に大本教に発展する丹波の大江山霊媒衆が辰吉郎を護衛するはずがない。
『明治天皇“すり替え”説の真相』p.131


大江山霊媒衆という謎の集団については、『みち』を発行している文明地政学協会が出した、『真贋大江山系霊媒衆』(栗原茂著)に詳しい。参考までに、同書については旧ブログで読後感を書いた。関心のある読者に一読してもらえたら幸いだ。
『真贋大江山系霊媒衆』

14082304.jpg

落合:歴史にはいろいろな見方がありますが、田布施から大室寅之祐が出たことはけっして偶然ではありません。これこそ大塔政略の一部です。だからこそ、田布施の佐藤甚兵衛に大室家を保護させていたんです。甚兵衛は西行法師こと佐藤義清が全国を行脚して作り上げた荘園管理職ですが、田布施の甚兵衛は佐藤姓で、この家から二人の首相が出ましたね。岸信介と佐藤栄作です。岸が後に朝鮮半島の開発で頭角を現すことはけっして偶然ではないんです。歴史の必然です。佐藤甚兵衛が田布施に入った段階で話は決まっていたとみるべきです。
『明治天皇“すり替え”説の真相』p.182


田布施だが、亀さんは旧ブログで田布施を取り上げており、『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を著した、鬼塚英昭氏の田布施観を批判している。関心のある読者は一読いただきたい。
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』

岸信介は、まさに昭和の妖怪と云うに相応しい人物だったと思う。そのあたりは太田尚樹の著した『満州裏史』に詳しく、岸信介の凄さの一面を窺い知ることができよう。それで思い出したのが、敬愛する今東光和尚と岸信介を巡るエピソードだ。

フジテレビから日曜対談のホストになってくれって言ってきたから「第一回目に岸信介さんを出すならひき受けるぜ」って言ったら、大砲撃たれたように驚きやがって帰ってった。でも「とにかく当ってみな」と言ってやって、とうとうTVにひっばりだすことに成功したんだ。人間、何でもやってみなけりゃあわからんもんだよ。

最初中ピ連の話なんかで気分ほぐしておいてから、「ひどい世相だ。特に自民党を見ると情けない。あなたは焼土の日本を見て、これをなんとかしなくては、と作ったのが自民党じゃないですか。その精神を忘れた自民党はぶっつぶす以外にない」と言ったら、なんと驚いたことに、乗りだしてきて腕まくりしちゃって大声になってね、こう言った。

「その通りだ。いまの自民党はご破算にして、やり直さにゃいかん!」

こりゃあ大変な発言なんだよ。知人の女のコなんか「なんで岸さんを……」と言ってたのが、TV見てから「私、岸さんをすっかり見直したわ」って言ってた。この大変なスクープを新聞杜の連中は誰もニュースにしやがらねえ。ぶったるんでるよ。

『極道辻説法』p.129


それに較べ、広島の崖崩れで大勢の人命が失われたというのに、ゴルフ三昧に明け暮れていた孫の安倍晋三、すっかり見損なったわい…。
安倍首相 「天皇静養取りやめ」で慌てて帰京のミエミエ本性

最後に、落合さんからメールをいただいている。そして、読者諸氏に伝えるよう依頼をされたので、以下に述べておきたい。

一点目だが、落合さんによれば「フルベッキ写真の例の青年は、践祚前の睦仁親王だと落合さんは推測しているが、それなら青年は12~3歳であるので信じがたい」と、斎藤さんが落合さんに対して語っている行があるという。つまり、「撮影時期が慶応元年」と落合さんが信じていると、斎藤さんが思っているのではと落合さんが心配しておられた。

しかし、同書のp.144でも、「撮影時期が慶応元年」と信じているのは、松重正氏であると斎藤さんは明確に述べており、落合説は「撮影時期は明治2年2~3月」と、斎藤さんは正しく理解されているので、落合さんの心配は無用のようだ。

二点目、落合さんが以下のように書いているので、読者も注意願いたい。

私は「フルベッキ写真の問題の一つはこの青年の正体が分からないことで、あるいは睦仁である可能性もある」と言っただけで、その可能性が大きいとまでは言っていませんから、お読みになるときに、誤解されぬようお願いします。


亀さんは長年にわたりフルベッキ写真の背景を追い求めてきた。途中、当時は慶応大学で教鞭を執っておられた高橋信一先生と、合流する形で旧ブログに「フルベッキ」と題するカテゴリを設け、主に高橋先生の論文を発表してきた。その高橋先生も件の青年が誰か分からないという。それは亀さんも同様だ。今のところ、写真に写る青年は定説通り、佐賀藩の藩校致遠館の学生の一人と亀さんは思っている。ただ、写真に写るは睦仁かもしれぬという落合さんの今回の推測に接し、本当であれば凄いことになると思った。斎藤さんが以下の写真を比較鑑定の依頼を行うと、同書の中で語っておられたが、どうなることやら今から結果が待ち遠しい。

14082302.jpg   14082303.jpg
      『明治天皇“すり替え”説の真相』p.229           『明治天皇“すり替え”説の真相』p.273
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