
斎藤充功さんの『「フルベッキ写真」の暗号』を読了した。旧ブログ【舎人学校】のカテゴリの一つである「フルベッキ」で、フルベッキ写真について精力的に発表を続けてこられた、高橋信一先生の名前が随所に登場していた。また、過去に亀さんがフルベッキ写真と絡めて叩いた、〝懐かしい〟名前も以下のように登場している。
加治将一 大野芳 鬼塚英昭 地家靖一 松重正 鹿島昇 原田実 中丸薫 山口貴生 落合莞爾
高橋信一先生と原田実氏は〝明治天皇掏(すり)替説〟否定派であり、一方で筆者の斎藤充功さんも含め、残り全員が〝明治天皇掏替説〟肯定派である。亀さんは斎藤さんや落合さんと同じく〝明治天皇掏替説〟肯定派だ。それなのに、どうして〝明治天皇掏替説〟肯定派が多勢を占める、上記の人たちを批判したかというと、大方の説に素直に頷けないからである。詳しくは旧ブログのカテゴリ「フルベッキ」で確認して頂きたいが、一例として山口貴生を取り上げておこう。同氏に関しては高橋先生が叩いている。 反証・山口貴生著「日本の夜明け」
なお、『「フルベッキ写真」の暗号』で亀さんが白眉と思ったのは、第8章「『明治維新の生贄』の虚構性」であり、斎藤さんは渡辺魁という破天荒な人物の正体を見事に浮き彫りにしていた。亀さんも同章を読み、鹿島昇氏や鹿島の〝弟子〟を称する松重正氏が偽物であることを、改めて確信した次第である。
最後に、松重正氏がフルベッキ写真に写る一人の若侍は明治天皇であると主張しているのだが、これが真っ赤な嘘であることが斎藤充功さんの今回の新著で暴かれている。ただ、明治天皇であるとされていた若侍が何者であるかは、今回も突き止めることができなかったようだ。ただ、上述の高橋先生が、「群像写真はフルベッキと佐賀鍋島藩が長崎に作った学問所(致遠館)で学ぶ学生たちの記念写真にすぎない」(p.150)と主張されているように、フルベッキ写真に写る若侍は、無名の学生の一人であると思ってほぼ間違いのではと思う。
ところで、落合莞爾さんが〝堀川政略〟との関連で、フルベッキ写真は東山道鎮撫総督府に深く関与した人物が幾人か写っていると主張している。亀さんもこのあたりの真偽について関心があり、落合莞爾さんと斎藤充功さんとで徹底的に議論してもらえたらと願っている。 謎深まるフルベッキ写真
- 関連記事
-
スポンサーサイト
|