過日、拙ブログで「昭和35年という断層」を書き、岩村暢子の『日本人には二種類いる 1960年の断層』(新潮新書)を紹介したが、昨日見た山田洋次監督の「同胞」は、「昭和35年という断層」から15年が経った、1975(昭和50)年10月25日に公開されたことを知った。1975年秋といえば、亀さんは3年近くに及んだ世界放浪生活から日本に戻り、1975年4月に東京スクール・オブ・ビジネスの貿易科(二年制)に入学、最初は自宅通学だったが、しばらくして新宿三丁目の新聞販売店で住込みのバイトを見つけ、新聞配達をしながら同校に通っていた頃だ。だから、夕刊配達のない日曜日、新宿の映画館まで歩いて「同胞」を見た行ったのは間違いない。映画「同胞」の内容はあまり覚えていなかったのだが、なぜか同映画を渋谷か新宿あたりの映画館で観たのははっきり覚えていた。ともあれ、昨日にいたって漸く同映画を観たのは新宿であることが、これで明確となった。
「同胞」を初めて観てから39年もの歳月が流れた昨日、久しぶり観た「同胞」、こんなにも良い映画だったのかと改めて思った。同映画についての評価は、「井上高志のブログ」というブログ記事が、亀さんの気持ちに一番近かったので一読をお勧めしたい。 山田洋次監督の同胞(はらから)の映画上映会に行ってきました。
その井上氏のブログ記事に以下のような記述がある。
お金儲けとは無縁の活動だったようですが、熱いエネルギー・思いが充満し、仲間とともに生きた楽しく充実した活動だった。
これは正に「同胞」の世界そのものである。当時は終戦からちょうど30年が経ったころだったが、最早戦後ではなく、日本は日の出の勢いあったことを昨日のように覚えている。以下は、「同胞」の2ヶ月後の1975年12月27日に公開された、男はつらいよの第16作「葛飾立志篇」の「寅さんDVDマガジン」に載っていた、「第16作を観て笑った〝あの頃〟をプレイバック!」である。

1975年という時代は、望めば誰でも正社員に登録される時代だったし、当たり前の生活、人並みの生活が、誰にでも少し努力すれば手に入る良き時代であった。また、ある意味、お金さえあれば何でも買えると〝錯覚〟していた時代でもあった。そうした風潮の中、「同胞」で倍賞千恵子演じる河野秀子が、「お金のために仕事をしているわけではない」と語ったシーンを観て、当時の亀さんはどのように思ったのだろうか…。ともあれ、井上高志氏のブログにある「お金儲けとは無縁の活動」と根底で相通じているものが、河野秀子の言葉の中にある。しかし、結果として日本人は心よりも金(カネ)を選んだ。
映画「同胞」上映から30年を迎えようとする今日では、河野秀子の言う「お金のために仕事をしているわけではない」を忘れてしまった日本人が、昨今はあまりにも多い。最早、河野秀子のような存在は希有となり、我々は悪徳商法が横行する世界に生きているのである。以下のブログ記事を読み、お互いに注意して生きていきたいものだ。 『消費者被害GDPの1%、13年5.7兆円 悪質商法など』 世の中、詐欺師がイカに多いか! ダマされるタコも多いのだが…。

おいちゃん 寅、その、己を知るってのはいったいどういうことだい?
寅次郎 えー、だ、だからよぉ…。おい、博、おまえちょっとおいちゃんに分かり易く説明してやれ、え
博 難しい質問だなあ…
寅 だから分かり易くさ
博 つまり、自分はなぜこの世に生きてるのか
寅 ん
おいちゃん うん
博 つまり、人間存在の根本について考えるっていうか…
寅 根本についてか…、んん…、正しいかもしれないな…
タコ社長 そんなこと考えてなにか役にたつのかい?
博 もちろんですよ!そういうことを考えない人間は、本能のままに生きてしまうってのか、早い話が、お金儲けのためにだけ一生を送ってしまったりするんですからねえ。
寅 いやだねえ~~
社長 それで、悪いのかい?
「男はつらいよ 葛飾立志篇」
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