今年に入ってから、ブログ更新が滞ることが度々となった。昨日、久しぶりにお会いした藤原源太郎さん(世界戦略情報誌『みち』発行人)からも、「最近はブログを書いてないな…」という〝苦情〟が出たほどだ(苦笑)。今年は例年以上に本業(翻訳)で多忙というのも理由の一つなのだが、実はもう一つ理由がある。それは、今の世界がとてつもない大転換期の真っ只中にあり、加えて余りにも多くのことが起こりすぎて、何をどう書けば良いものやらと戸惑っているためだ。ともあれ、当面は本業に追われているため、途切れ途切れの記事が続くものと思うが、仕事が一段落したら従来のペースで記事を書きたいと思っている。
さて、上記の藤原(源太郎)さんから色々と貴重なお話を拝聴したのだが、その中で特に藤原さんが強調されていたのが「大東亜戦争の総括」であった。つまり、もう先も長くない亀さんを含めた今の六十代以上は、次世代の若い日本人に遺すべきものこそ、「大東亜戦争の総括だ」という主張である。なぜ、総括が必要なのか…。このあたりは『月刊日本』二月号に載った、「靖国参拝は〝第二の敗戦〟の始まりか」と題する東郷和彦氏の記事がヒントになろう。藤原さんの云う「大東亜戦争の総括」を行う上で、欠かせない記事だ。
ここで、大東亜戦争を総括する上でのキーワードは二二六事件であると、藤原さんは主張する。つまり、昭和天皇が大権を発動されのが一度だけあり、それが二二六事件だ(因みに、戦争開始の詔勅および戦争終結の詔勅は大権発動にあらず)と、藤原さんは主張する。そこにこそ全ての根本があるのだが、肝心の二二六事件を研究しようにも、文献は全てGHQが持ち去ってしまっているため、現在の我々は二二六事件の背景を掴めない状況下にある。その持ち去った文献を研究したアメリカ人研究者某は、「二二六事件を仕掛けたのはユダヤ(アメリカ)である。そして見事に昭和天皇が罠に引っ掛かり、二二六事件を境に皇道派は壊滅し統制派の世になり、立憲君主制から専制君主制に変わった。ユダヤの目論見は成功したのだ」と語っている。
ともあれ、拙ブログでも折に触れて今後も「大東亜戦争を総括」に関連する記事を書いていきたい。
最後に、以下は小室直樹が著した『昭和天皇の悲劇』からの抜粋である。ご参考までに、戦争終結の詔勅は大権発動にあらずと主張する藤原さんに対して、小室直樹は「戦争終結の詔勅は大権発動である」と反対の意見を述べている。このあたりは今後の課題としたい。
1.昭和天皇と二二六事件 日本政府は消滅(斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠(じょう)太郎(たろう)教育総監を射殺。鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、陸軍省・参謀本部・国会・首相官邸などを占拠)、補弼の臣が不在という非常事態にあった。ゆえに、立憲政治に対する緊急な国権の発動としての天皇大権が発動された。
2.昭和天皇と開戦 開戦前後は補弼が立派に機能していた。すなわち、大日本帝国は立憲国家であり、天皇は専制君主ではなく立憲君主であった。ゆえに天皇は補弼する者が一致して奏上したことは、お気に召さないことでも、裁可されなければならない。したがって、いかなる決定といえども、補弼の任にあたる者(国務大臣・参謀総長・軍令部総長)に責任があり、天皇に一切の責任はない。
ここで、仮に天皇が立憲政治の緊急事態でもないのに、天皇大権を発動されたとしたら、どういうことになるか。それは、立憲の常道の否定となる。立憲政治はこれによって一挙に土崩瓦解する。ここで、立憲政治はデモクラシーの必要条件である。ゆえに、立憲政治が死ねばデモクラシーも死ぬのである。
3.昭和天皇と聖断 冒頭の「昭和天皇と二二六事件」と同様、ポツダム宣言受託か本土決戦かを巡って補弼にあたる臣の意見が両分。ゆえに、立憲政治に対する緊急な国権の発動としての天皇大権が発動された。なお、補弼は全員一致でなければならないという鉄則がある。

- 関連記事
-
スポンサーサイト
|