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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
人は分かりあえるか…
せっかくのお正月なのだから、肩の凝らないテーマをと思うんだが、物事をトコトン突き詰めないと気がすまないという性分なので、今回も肩の凝るようなテーマになってしまったなぁ…(笑)

昨日読了した『死ぬときに人はどうなる』(大津秀一著 致知出版社)に、「では、なぜ人は分かり合えないのでしょうか?」という小節がある。その小節で黒澤明監督の「羅生門」を取り上げていたので、久しぶりに「羅生門」を鑑賞してみた。同小節を本稿の最後に転載しておいたので、関心のある読者は後で目を通してもらうとして、同小節で亀さんが気になった行を取り上げよう。その行とは以下だ。

同様な事物についても、その人のかける色眼鏡(かけていない人はいない)で全く異なった印象を持ち得るのである。この眼鏡をかけていることに自覚的でなくてはいけないし、時折外そうとする努力が必要なのだと思う。


14010304.jpg
         『死ぬときに人はどうなる』

この大津氏の記述に対して、亀さんはイエスでもありノーでもあるんだ。

最初にイエスからいこう。

大津氏の云う「(色眼鏡を)時折外そうとする努力が必要」という考えに、亀さんは全く以て賛成だね。これは身近な人間関係だけではなく、正しく世界の潮流を見極める意味でも大切な〝術〟だ。このあたりについて的確に述べているのが、飯山一郎さんの「◆2013/06/26(水)  内在的観察」という記事だ。この内在的観察力を身に付ければ、鬼に金棒どころか、鬼にダイヤモンド棒となる。

次にノーである。

大津氏は、人は色眼鏡を外しさえすれば〝分かり合える〟と思っている節がある。しかし、人間という生き物は、歳をとればとるほど頑固(色眼鏡をかけているのを忘れている、あるいは忘れていないまでも外そうとしない)になるものだ。尤も、色眼鏡を忘れていたり、忘れてはいないまでも外そうとしないのは、何も年寄りだけに限らない。老若男女問わず、誰にもある性行だと云えよう。換言すれば、内在的観察力を知らない人が大半であり、仮に知っていても自家薬籠中の物にできる人は、ホンの一握りだ。これは富士山に喩えることができるだろう。富士山に登るには色んなルートがあり、素直に登っていけば最後には山頂に着くはずだが、この山頂に到達できる人は正に百年に数名ではないのか…。無論、亀さんは未だに山頂に達しているワケではなく、お恥ずかしい話だが五合目あたりでウロウロしているありさまだ。

なんか話が脱線してしまったが、亀さんが言いたいのは、人間分かり合えるなんて変な期待を持たない方がよいということだ。このあたりの実例を挙げればキリがないんだが、以下に2例だけ挙げておくことで、本稿を終わるとしよう。

■今東光
今東光が以下のように語っているが、亀さんも諸手を揚げて賛成だ。


☆☆いやな奴とうまくやる法
 俺は現在十九歳の浪人生だが、人とうちとけられなくて非幣に悩んでいる。気の合った奴とは気楽に話ができるが、自分がいやだと思う奴とはどうしても話がうまくできないんだ。人間、これから生きていく上で、人とうまくつきあえなかったら人生まっ暗だと思う。このごろはそればかりが気にかかり、勉強も手につかない状態なんだ。和尚さん、どうしたら誰とでも気楽に話ができるようになるだろうか?
(静岡県榛原郡金谷町拶歳M・M)


おめえ、阿呆とちがうか!? なんで嫌いな野郎と口きかなくちゃあいけねえんだ。オレだって嫌いな奴とだったら一分間だって口きかんよ。電車に乗っても、虫の好かねえ奴見たら、降りしなにクツ踏んづけて降りるよ。誰だってそんなもんで、世界中の人がみんな好きになってつき合えると思ったら大間違いでな、好き嫌いがはっきりしているからいいんだ。何とぼけたことぬかしやがる。

オレ、それで失敗したことがあるんだ。ある時、カアちゃんと二人で大阪から京都まで電車に乗った。三条まで行く電単で何電車とかいってたな、あれ。そうしたら、オレの向かい側に、キザな帽子かぶって、ちりめんの被服着たいやらしい坊主がいるんだ。それで医者のはくような白足袋にスリッパみたいた靴はいていやがるんだが、一目見ただけで胸クソ悪くなってきてな。そのニヤケていること、キザなこと! だんだん我慢できなくなって、カアちゃんに「おい。オレあの野郎の足踏んづけてやる」「なんで、あんた。何もケンカしてるわけじゃなし」「だけどあのザマを見ろ! 気に入らねえ坊主だ」「向こうだってそう思っているわよ」「そう思ってるんならなおさらだ」「あんた、一体、何のために電車に乗ってるの?京都へ着けばいいんでしょ?」「おまえは大体よけいなことばかり言う」「よけいたことはあんたの方でしょう……」と二人で大きな声出しちゃったんだよ。そうしたら、その野郎がひょいと顔あげてこっちを向いたんだ。そうして「おお、これはこれは今先生!」と立ってこっちにきやがる。よく見たら、オレのよく知っている坊主だったんだよ、こいつが。踏まなくってよかったよ。よっぽど「いまあんたの足を踏む踏まないで議論してたんだ」と言おうと思ったがね。

ま、とにかく、このくらい徹底してもいいんだ。嫌な野郎とは一生口きかんでもいい。なにをねぼけて悩んでやがる。

『続 極道辻説法』p.25


■寅さん
以下は「男はつらいよ」の第17作「寅次郎夕焼け小焼け」に登場するワンシーンだが、「洒落の通じない連中とさ、明け暮れ一緒にいるオレの気苦労も分かるだろう」と語る寅さんに、うんうんと頷いてしまった亀さんだ。昨年も友人関係で同じような体験をしているだけに、なおさらだった。

さくら そりゃ、悪いわよお兄ちゃんがァー、誰だってビックリするわよねえ

おばちゃん 他の人ならいざ知らず、寅ちゃんが所帯持つなんて言い出すんだもん

おいちゃん オレなんかびっくりして心臓止まりそうになっちゃったよ

一同 ハハハ

ぼたん ごめんなさい、私があかんの、変な冗談言うたりして

寅 いや、謝ることなんかないんだよォ~。この洒落の通じない連中とさ、明け暮れ一緒にいるオレの気苦労も分かるだろう

さくら 洒落だなんて~

博 兄さん、言っていい冗談と、悪い冗談があるんですよ

さくら ねえ
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/17saku.htm


14010305.jpg

最後に、以下は『死ぬときに人はどうなる』の小節、「では、なぜ人は分かり合えないのでしょうか?」(p.224)である。

では、なぜ人はわかり合えないのでしょうか?
黒澤明の『羅生門』という名作がある。ご覧になったことがある方もいるだろう。ネタばらしになってしまうが、あらすじを書いてみよう。

舞台は平安時代である。折からの雨で羅生門の門前に雨宿りしている杣売りと旅法師が座っていた。そこに雨宿りのために下人が来る。二人は以下の話を下人に語るのである。

杣売りが山に薪を取りに行き、武士の刺殺された死体を発見し、検非違使に届け出る。山道で武士とすれ違った旅法師も検非違使に呼び出された。武士殺しの犯人として盗賊の多襄丸が捕縛された。

そして関係者の証言を聞いていくのだが、それが食い違う。

まず盗賊の多襄丸が証言する。武士と一緒の妻の美しさに心乱れ、二人を藪の中に引き込んで男を縛り上げ、妻をてごめにした。妻が「生き残ったほうのものとなる」と言ったため、武士と一対一の決闘をして勝利した。だがその間に妻は姿を消していたという。

次に武士の妻が証言する。盗賊は自分をてごめにすると、すぐ逃げて行った。辱められた自分は夫に短刀で殺してくれと頼んだが、夫は冷たい目で見つめるだけだった。混乱し気を失ってしまったが、気がついたときには夫の胸に短刀が突き刺さっていたという。

ここで二人の証言が異なっている。決闘して勝ったということも含め、自分がいかに男らしいかを強調する多襄丸に対し、武士の妻は己の貞淑さを強調、誰が武士を殺したかも二人の証言は異なる。

まだ話は続く。

巫女が殺された武士を降霊し、彼に証言させる。多襄丸は妻をてごめにすると彼女を連れ去ろうとした。妻はそれに応じたばかりか、夫である武士を殺してくれと多裏丸に頼んだ。多裏丸は妻を生かすか殺すか武士が決めていいと言ってきたが、それを聞いた妻は逃亡した。多襄丸も姿を消して、自分は無念のあまり自害したと証言した。そして誰かが自分の胸の短刀を引き抜いて去っていったという。

この証言も前二者とは異なる。武士は己に非はないことや、妻の冷たい行いを強調している。

真相を語っているのは三人のうちの誰か? すると今度は、杣売りが彼の見た真実を語り出す。杣売りは真相を目撃していたというのだ。

多襄丸が武士の妻をてごめにすると、多襄丸は彼女の前に手をついて妻になってくれと懇願したが、彼女は答えずに武士の縄を切って二人の男をそそのかし、「どちらか勝者のものになる」と二人にけしかけ、決闘させた。へっぴり腰な二人が斬り合いの末、ほうほうのていで多襄丸が武士をやみくもに斬ったというのが真相なのだという。そして妻は多襄丸の手を振り払って逃げ去ったと言うのである。

なるほど、当事者ではない杣売りが語っているのだから、いよいよ真相かと思う。

第三者の話だから正確だろうと。しかし話を聞いていた下人は言う。

そういう杣売りも短刀を盗んだのではないか。だから今話したような真実を検非違使に申告できないのだろう、と。

羅生門の裏側から捨て子の赤ん坊の泣き声が聞こえ、下人はその捨て子の衣類をはぎ、それを持って走り去る。杣売りはこの捨て子を育てることにした。旅法師はおぬしのおかげで人を信じることができそうだと言って、羅生門から去る杣売りを見送りラストシーンとなる。

つまり第三者であり、観察者である杣売りも嘘つきだったのである。彼もどろぽうをしたのである。しかし、一方で捨て子をそのままにしておけないという優しさも持っている。

ちなみにこの文章を書くのに、色々な「羅生門のあらすじ」を見てみた。するとどれも「少しずつ違う」、もちろん僕が見た『羅生門』とも少しずつ、いや時には大きく違うのである。

つまり、これが人間である。

人は自分に都合が良い事実で記憶を再構成する。「人は自らが見たいと思うものだけを見る生き物である」とローマのカエサルは言ったが、これは2000年経っても何も変わっていない。

同様な事物についても、その人のかける色眼鏡(かけていない人はいない)で全く異なった印象を持ち得るのである。この眼鏡をかけていることに自覚的でなくてはいけないし、時折外そうとする努力が必要なのだと思う。

人がわかり合えないのは、自分が見た世界と他人が見た世界が異なっているからである。


14010303.jpg
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コメント
難しいですよね。。。
新年早々、いい記事をありがとうございます。

私、ずっと、人と人は、互いに話し合えば、きちんと向かい合えば、分かり合える、って思っていたんです。。。
でも、どうしても分かり合えない人もいると、最近は感じています。
分かり合えることと、認め合えることは違うので、分かり合えることはなくても、認め合えればいいのかな。。。って。。。
それさえも、成立しない人もたまにいますが・・・(笑)

それぞれの人の魂の成長の度合いが違うから、どうしても、こうなってしまうのかな・・・と。
私の今までの経験からすると、往々にして「色眼鏡」が強い人は、魂の成長度合いがまだまだなような気がします。
たくさんのさまざまな経験をして、魂が成長するにしたがって、「色眼鏡」の色が透明に近づいていくのではないかと・・・。
透明になればなるほど、視野も広がり、いろいろな角度から見れるようになって、違いも含めて他者を認める懐の深さが育つのではないかと・・・。

それでもまだ、いつか、きっと、分かり合えるって、しつこく信じている私がいます。。。
[2014/01/04 20:23] URL | ひろみ #3USpdlJ2 [ 編集 ]

中国古典
投稿有り難うございました。

人は理解し合えるものではないのは、飯山一郎さんの乳酸菌が好例で、肯定派と否定派とに別れたように、お互いに水と油で永久に交わることはありません。だから、飯山さんではないが、自分と大切な家族だけを守ることを心がけ、「放射性物質に克てるサプリメント」等を高い値段で売りつける詐欺師、世界平和を目指しましょうと募金を募る悪徳集団に引っ掛からないよう、生きていくべきですね。

現在、『ヴラジーミル・プーチン』(石郷岡健著 東洋書店)に目を通しているところですが、改めてプーチンの凄さを感じると共に、中国古典、殊に道徳経、孫子、韓非子あたりを読み直したくなりました。和書では六韜かな。
[2014/01/05 05:38] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]

はじめまして
はじめまして
突然すみません。
私もいつかはわかりあえると思っていました。
(いまもおもっていると思います・・・)
ブログを読ませていただき、色々と考えました。
いま、とても悩んでいる事にかかわっているからです。

わかりあえないと思いながらも、真剣にその人に
かかわりあっている人は、わかりあえてなくても
人としてきちんと歩んでいるのではとおもいました。

 誰でも色々な感がや想いがあるので、
自分がなにもかもわかろうとするのはおこがましいし、
大変な思いをしていると思うが
確かに、いじめやいじめを一緒に楽しむような人も存在して
モラルハラスメントのように人を操るひともいると考えています。

そのぶぶんではあきらめというのはたいせつとおもいました。

けど、わかりあえなくてもわかりあいたいという人が少しでも多い事がよいとおもいました。

まとまらなくてすみません。むずかしいです。
[2014/01/19 15:40] URL | bluewhitesnow #OQFcBVoo [ 編集 ]

秘書ほどエキサイティングな仕事はない…
投稿有り難うございました。貴ブログを拝見し、秘書を職業にされているものと判断しました。その上で、小生から何か述べるとすれば、「貴女が担当する役員の人間観察をしてやろうくらいの気持ちで、ちょうど良い」ということです。

小生の場合、サラリーマン時代は営業系と技術系が半々でしたが、会社組織にいると人間関係が非常に煩わしいですね。喧嘩もよくやったものです。その点、現在はフリーランスなので、仕事や職場の人間関係から受けるストレスがゼロになり、大変有り難いと思っています。

ちなみに、2月に『通訳翻訳ジャーナル』という雑誌に小生の記事が1ページほど掲載されますが、その中で以下のように小生は述べました。インタビューに載るかどうかは分かりませんが…。

************
翻訳者になったことで、煩わしい社内の人間関係に気を使わずに済むようになり、精神的に大変楽になったという点で良かった。サラリーマン時代は、仕事を失うと家族が路頭に迷うので会社にしがみついていた感があったが、今では日本を含めた全世界の翻訳会社を相手に仕事をしているので、翻訳料の安い翻訳会社、気にくわない翻訳会社等は、いつでも〝首〟にできるという強みがある。 
************

今後ともよろしくお願いいたします。

亀さん
[2014/01/20 07:04] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]

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[2014/05/06 16:01] | # [ 編集 ]


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