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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
安曇族と宗像族
飯山一郎さんの「2013/12/26(木)2  日本人なら日本書紀! (4)」という記事に、以下のような記述がある。

この安曇族と宗像族の白村江戦での貢献ぶりは,日本書紀を裏読みすれば明々白々だ.


安曇族が海洋民族であることは、昨日漸く再読を終えた『扶桑国王蘇我一族の真実』(渡辺豊和著 新人物往来社)にも明白に書いてあったので、該当する行を本稿の最後に引用しておこう。大分長い引用になったが、それは『先代旧事本紀』に隠されている、蘇我伝承が同時に炙り出されているからだ。

次に、日本書紀についてであるが、飯山さんが「◆2013/12/26(木)  書き方次第で「真相」は曲げられる」で、以下のように述べている。


歴史上,誤魔化し方が最も上手かったのは,聖書と日本書紀


同様のことを渡辺豊和氏も述べているので、以下に引用しておこう(傍線亀さん)。

(日本書紀は)まるで現代の推理小説を読むおもむきがある。どれが本当の遺言かわからない。この書の著者がきわめてすぐれた構成能力をもって、いかに事実を巧みに隠しながら真実を伝える能力をもっていたかがわかる。
『扶桑国王蘇我一族の真実』p.253


残念ながら、歴史音痴の亀さんには日本書紀の〝ウソ〟を見抜く力はないので、今後は渡辺豊和氏や飯山さんの推理を参考にさせていただくつもりである。その上で、自分なりに日本書紀に書かれている内容について、洞察できるレベル達することができればと願っている。

地名学者鏡味完二は「アズミ」「アツミ」「アズマ」はすべて「安曇」から来ていて、安曇は安曇族の居住した場所であり、「アト」は「アド」と同じで安曇を音読みしたことから起こっているとしている。安曇族は記紀によれば綿津見神を先祖としているとあり、「ワダツミ」は海のことであるから安曇族は海洋民族である。「アト」「アド」は安曇を音読みしたところから発生した名であるというから、この名の氏族、例えば跡部氏などは安曇氏の後裔氏族であることを示している。

ところが「アズミ」地名(「アツミ」「アズマ」も含む)と「アト」「アド」地名の分布を調べてみると、「アズミ」は東国に「アト」「アド」は西国にかたよっていることがわかり、そのことからすれば、物部氏は安曇族の後裔たちの航海術に頼って日本にやって来たことにでもなるのだろうか。でもそれはおかしい。物部氏は「アズミ」を使用した形跡はなく「アト」による遠洋航海というのも奇妙でもある。もし物部氏が旧事紀のいうとおり大船団による遠洋航海で日本に来たのだとするなら、安曇氏に頼って東国にやって来て、最後は河内、大和に西遷していなければ不自然である。それよりもまずは「アズミ」と「アト」「アド」の地名分布をみてほしい。以下角川書店の『地名大辞典』による。

「アズミ」は長野、新潟、富山、岐阜、山梨、大阪、岡山、奈良、和歌山、兵庫、鳥取、福岡とあり、これだけなら東五、西七と西国のほうが多い(ただし近畿以西が西国)。ところが「アズマ」となると福島、茨城、千葉、長野、愛知、岐阜、青森、栃木、とすべて東国である。「アツミ」はまず渥美半島の愛知で、それに岐阜、石川と、これも東国ばかりである。ただし古代のみならず近世以前の文献に出てくるもののみを対象としているが、近世以前の地名は何らかの形で古名とかかわっていることが多いからである。

物部氏は北九州から河内大和にやって来たとしても、この氏族は東国に勢力を張った時期はまったくない。それにひきかえ蘇我氏は大王家ともなって全国を支配したし、まず第一、北ユーラシアから日本海を渡って北日本にやって来て南下西遷して河内大和を支配するまでになった彼らこそ、大船団を組織して日本に渡来したのである。

それに関東地方を「アズマ」というのも古来この地方に「アズミ」が広く居住したから「アズミ」と呼んでいたのが「アズマ」となまったのに違いなく、関東、特に常陸は蘇我氏の根拠地の一つなのはほぼ間違いのないところである。『先代旧事本紀』は物部氏のこととして書かれているが、石川主殿頭と源忠総朝臣が伊勢神宮に奉納寄進したとある。その時期は不明であるが石川氏は蘇我氏の末喬であるから、この書は通説とは違い物部氏の誰かによって書かれたものではなく、蘇我氏の誰かによって書かれ保存されてきたものであろう。しかも蘇我馬子の序文があり、聖徳太子と馬子によって書かれた天皇記・国記がやはりもとになっているのではあるまいか。滅亡した蘇我本宗家は『日本書紀』では悪しざまに書かれ、しかもこの旧事紀(『先代旧事本紀』)が成立したとみられる九世紀末は藤原氏の全盛時代である。当然著者は「蘇我」を隠さざるをえなかった。それで蘇我の伝承を物部に置きかえて著述したのであろう。この『先代旧事本紀』にこそ消された蘇我伝承が隠されていたのである。

『扶桑国王蘇我一族の真実』p.284


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           「安曇族」研究会 公式ブログ
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