昨夕、田中宇の最新記事「北朝鮮・張成沢の処刑をめぐる考察」が発行された。それを読んだというさる識者から、「張は小栗」と教えてもらったのだが、咄嗟に思い出したのが新井信介氏の最新記事である。同氏がふと漏らした(書いた)以下の言葉、気になってはいたのだが、さる識者のお陰で漸く真実味を帯びてきた。
「お隠れになった」
 http://www.k2o.co.jp/blog2/
世間では北鮮の発表をそのまま信じ、張成沢が本当に処刑されたものとばかり思い込んでいるが、新井氏の言うように「お隠れになった」のだとすれば、残置国家として日本の皇室に倣った金王朝の基盤固めが、着実に進んでいるという何よりの証となる。つまり、張成沢は〝処刑〟されて最早この世にはいないものとした上で、今後は裏から金正恩および北鮮経済を支えていくという見方である。
なお、「張は小栗」の小栗とは、あの小栗上野介(忠順)である。通説では、小栗は慶応4年(1868年)閏4月4日、烏川の水沼河原(群馬県高崎市)において斬首された(享年42歳)ということになっている。しかし、本当はそうではなく、小栗は密かに渡米し、アメリカから祖国日本のために貢献したとする説があるのだ。この説に関心のある読者は、落合秘史シリーズ、殊に『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』を参照されたい。
ともあれ、北鮮のトウ小平と云われていた張成沢が〝隠れている〟という視点で、今後の北鮮の動きを追っていくことで、張成沢の〝処刑〟の真偽が分かってくるだろう。以下は落合秘史シリーズ、『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』からの引用である。
岩倉(具視)が東山道鎮撫総督府を身内で固め、剣客原保太郎を総督随行に任じて小栗の救出にかかる。薩藩士の折田彦市が岩倉と原の連絡に当たり、原(保太郎)が小栗を偽装処刑して逃がす。
最後に、今回取り上げた落合莞爾秘史シリーズ、この機会に紐解いていただければ幸いである。
 落合莞爾氏の著書より
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