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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
麥秋に観る〝無〟
小津安二郎の作品「麥秋」を観る。以前、一度観たことのある映画だとばかり思っていたのだが、実際に観て初めて接する映画だとわかった。

13112702.jpg

それにしても、西村雄一郎氏の『殉愛 原節子と小津安二郎』(新潮社)を予め読んでいなかったとしたら、日常の光景を描いただけの映画に過ぎないと、勘違いしたまま終わっていたかもしれない。その意味で、西村氏には心から感謝したいと思う。

13101302.jpg

さて、西村氏か書いているように、映画「麥秋」に一環として流れるテーマこそ、〝無〟であると亀さんも思う。小津監督の〝無〟ついて、以下に抜粋しておこう。


小津は、中国戦線で岩波文庫の『暗夜行路』を読み、激しい感動に襲われている。時任謙作の虚無的な性格は、中国で地獄を見た小津にとっては、以前にもまして、身近なものになっていた。

五月二〇日、小津は南京に着いた。翌日の夕方、古刹鶏鳴寺を訪れ、そこで、寺の僧に揮毫をしてもらった。その字は、

「無」

の一字であった。

それは、感動したばかりの時任謙作の虚無的な性格の「無」だったのかもしれない。あるいは、戦争を体験した果てに到達した、小津の生きる知恵だったのかもしれない。

即ち、小津はこの中国戦線において、自分を虚しゅうして、「無」の状態にする術を覚えたのではないだろうか。それは、自分を一且フリーズ状態にして、自分の心のリセット・ボタンを押すことである。つまり自分を自然体にして、善も悪も定めず、なすがままに、この世の現象を淡々と見つめていこうとする態度なのだ。後の小津映画の作風に通じる、その作為を労さない無意識の世界それが「無」だったのかもしれない。

あるいは、人問はたった一人で生まれ、たった一人で死んでいくという認識、そこから生まれる孤独、寂寥、枯淡、清澄……そうした小津の映画に通底する無常観を、「無」という一字で表現したかったのかもしれない。

どちらにしても、小津の人生に対するポリシーや、小津映画の端正な世界を象徴するこの「無」の一字は、小津の死後、小津の墓石に刻まれることになるのである。

『殉愛』p.122


13112701.jpg

今後、数年おきに「麥秋」を観ることになると思う。小津監督の伝えたかった「無」を求める旅が、今始まったのだ。

『麥秋』は一見、大家族の日常生活を細かく描いたホーム・ドラマに見える。だが、「秘すれば花」なのだ。繰り返すが、『麥秋』は小津作品の中でも、最も隠喩を含んだ、精神性の高い、形而上的な映画である。

……中略……

『麥秋』は隠されたテーマを含んだ隠喩の映画だと書いたが、では、何の隠喩か? といえば、それは明らかに〝戦争〟である。特にこの作品は、小津が従軍した中国戦線の思いをさりげなく含ませ、死んでいった英霊たちに捧げる鎮魂歌ともいうべき〝慰霊〟の映画だったのだ。

『殉愛』p.114

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