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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
南北朝異聞
中丸祐昌氏の著した『南北朝異聞』を漸く読み終えた。落合莞爾さんが自著『南北朝こそ日本の機密』で、「その(『南北朝異聞』)内容を十分信ずべきものと判断する私は、その著の存在をここに紹介し、以て大塔宮生存説の一証とさせていただきます」と主張した訳がよく分かったものである。以下は、『南北朝こそ日本の機密』から抜粋した『南北朝異聞』に関する記述である。

中丸祐昌著『南北朝異聞』(東京経済刊)によれば、淵辺義博の旧領だった淵野辺の近郊の木曽に住む中丸氏は、昭和三(一九二八)年の生まれです。祖父も曽祖父も淵野辺から入婿した家系で、夫人も同地区の出身ですから、淵辺義博に関する伝承を幼時から聞いていました。

平成四(一九九二)年ころ、戦時中に相模陸軍造兵廠の技能者養成所で知り合った伊藤氏を訪ねて、千葉県白浜町に行った中丸氏は、意外なことを聞かされます。大凡下記のようなものでした。

養成所の教官から、「この地の領主は護良親王を奉殺した淵辺義弘という大悪人であった。諸君がこの地に来たのもきっと親王のお引き合わせだから、今日からは専心勉学に励んで親王の御心を安んずるよう努力せよ」と聞かされた伊藤氏は大きな衝撃を受けた。

というのも、伊藤氏の生家は代々白浜町に住む旧家淵辺家で、長男の伊藤氏は常々、父親から「わが家系は足利将軍家に仕えた侍大将淵辺義博の子孫であり、義博は、実は護良親王を害したのではなく、秘かに援け、六人の腹心と共に鎌倉から、夜陰に乗じて海路この地白浜に逃れ、そのまま土着したというのが真相である。わが家は古くから淵辺総本家と呼ばれる家である」と聞かされていたから、淵辺義博の直系の自分がこの地に来たのは、慥にそうした運命の引き合わせかもしれない、と思った。養成所では、淵辺義博なぞ聞いたこともないという顔をしていたので、伊藤氏がまさか淵辺義博の直系と知らなかった中丸氏が、五十年も経ってから、大塔宮の故地の房州白浜でそのことを知ったというのは、さすがに感じるものがあります。

中丸氏がこれを奇遇と感じて調査を始めたというのは頷けます。

その報告が前掲中丸著なので、その内容を十分信ずべきものと判断する私は、その著の存在をここに紹介し、以て大塔宮生存説の一証とさせていただきます。

『南北朝こそ日本の機密』p.184


『南北朝異聞』の筆者・中丸祐昌氏は、護良親王のその後を以下のように述べている。

摂津の湊川の戦いで知られる激戦のすえ、楠木正成を破ったのが延元元年(1336)五月、その翌六月には、尊氏は光厳上皇を奉じて入京する。八月には光明天皇の践祚があり、ここに南朝後醍醐、北朝光明の両統併立の事態が生じたのである。

こうなると、足利氏にとっては、護良親王の利用価値はまったくなくなってしまったわけで、それゆえ淵辺一行七人も白浜に放置状態にされたままになってしまったのである。

護良親王の逝去は、たぶんそれより四、五年後のことであろう。

『南北朝異聞』p.204


上記の中丸氏の文章には、落合秘史で云うところの「大塔政略」という視点が欠けているわけだが、落合さんと異なり、中丸氏の場合は〝さる筋〟という情報源に恵まれなかったのだから仕方の無い面はある。ともあれ、落合秘史シリーズの一冊、『南北朝こそ日本の機密』を今後も幾度か再読していく必要があると、心から思った次第である。

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