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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
ええじゃないか運動
今月の1日に発売された世界戦略情報誌『みち』の巻頭言で、天童(竺丸)さんが「ええじゃないか運動の仕掛人」という記事を書いた。亀さんは『みち』の校正のお手伝いをしていることもあり、天童さんから亀さんを含む校正者に、「幕末の〝ええじゃないか運動〟の仕掛人は、伏見宮+矢野玄道+月照の伏見宮トリオという自説について、校正者の皆さんはどう思われるか」というメールがあった。それに対して、亀さんは以下のように回答している(一部訂正)。

天童 様

「巻頭言」を拝読しました。特に誤字脱字といった間違いはありませんでした。

さて、「幕末の〝ええじゃないか運動〟の仕掛人は、伏見宮+矢野玄道+月照の伏見宮トリオ」という天童説を目にし、愚生の月照に対する見方を変えるだけのインパクトを受けました。

今までの愚生の場合、月照と云えば西郷隆盛と入水自殺した坊主といった程度のことしか思い浮かびませんでした。しかし、今回の天童さんの「巻頭言」を拝読し、朧気ながらも月照と西郷の関係が、世間で言われているようなものではないことが分かった次第です。

しかし、では伏見宮家に西郷隆盛がどのように関与していたのかという点になると、皆目見当が付きません。さらに、西郷の生まれた鹿児島の下鍛冶屋町、そこから明治という時代を突き動かした元勲が輩出していますが、そのあたりは伏見宮家と何等かの関係があったのか、イエズス会(ザビエル)が何処かで一枚噛んでいたのか、さらには、落合さんが『月刊日本』10月号で以下のようなことを述べていますが、鍛冶屋と田布施は、何処か根底で繋がっているのか。さらにグローバルな視点から見て、イエズス会と伏見宮家はどのような繋がりあるいは対立があったのか、このあたりを『みち』において、天童さんまたは落合さんの筆を通じて、教えていただければ大変有り難く存じます。

かめ

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 護良親王の長男で常陸宮と呼ばれた興良親王を始祖とする大室家を田布施に入れたのは、興良の父親の“西大寺”か後代の伏見殿かは今は不詳であるが、当地には西行が全国を周回して創立した佐藤甚兵衛家の一つがあった。“西大寺”ないし伏見殿はこの地の佐藤甚兵衛に大室家を預けたのである。
 明治維新の一方の担い手が長州藩であったのは偶然ではなく、実にこのことに原因するので、さらに、この地から伊藤博文を始めとし、佐藤甚兵衛の家から兄弟宰相が出るのも、ここに遠因がある。
『月刊日本』10月号 p.117
*****************


13110301.gif

ご参考までに、前号の『みち』の巻頭言も貴重な内容であり、幸いネットで公開されているので一読戴ければ幸いである。
伏見宮人脈探求に向けて

ところで、上記の『月刊日本』10月号から抜粋した記事は、落合(莞爾)さんの「疑史」からである。本稿を書くにあたって同号の「疑史」を改めて読み直したところ、最初に読んだときは見逃していた、今の亀さんの思いを顕す行に出会った。

折から十四世紀に入り、世界史は中世封建社会を脱却して経済・文化の国際交流が活発化する近世重商主義社会に入らんとしていた。この世界史的変化に対応するには、貨幣経済への対応能力を欠く鎌倉幕府の無能にもまして有害なのが両統迭立制度であった。

したがって、政治上最重要な課題は、武家政権鎌倉幕府の更迭と両統迭立の廃止であったが、いずれも時の権力者に付属する権力機構(公家・武士)の利害に致命的に関係するから、歴史の表面的現象としては所領・利権の争奪問題として顕われ、畢竟武力を以てするしか突破口がなかったのは見易い道理である。

ここで有史以来のわが国の統治の跡を辿ってみる時、いかなる時代の変化に際しても、「国民相搏つ内乱の悲劇を最小に抑える」という「内乱最小化の原則」が現れていることに気が付く。

これこそわが皇室の不朽の統治理念ではあるまいか、と推察するのは私だけであろうか。つまり、「皇室が敢えて親政を避け有力政治勢力を選んで大政を委任する」わが國體の本義は、権力者が創めた政体の備品、すなわち「時の官僚」が、自らを変革することが原則として不可能との先験的知見に基づくことを洞察しないでは、畢竟わが国史の理解はムリかと思うのである。


さて貨幣経済の浸透と商品流通の興隆、さらにこれらが展開する産業分野「散所経済」と、それを担う人材の散所の民(いわゆる中世非人)の勃興に対処する能力を欠く鎌倉幕府と、先に述べた両統迭立の愚策に対する憂慮を、両統の首脳が共に抱いていたのは、これこそ無私の大御心でとただ歎じるしかない。

『月刊日本』10月号 p.114


13110301.jpg

傍線は亀さんだが、今日の我が国の国体と政体についても、あてはまることだと気付くのである。そして、公家の血を引く徳川慶喜公、そして松平容保公も、傍線の箇所を真に理解していたからこそ、あのような行動に出たのだと気付く。このあたりは、渋澤栄一翁の『徳川慶喜公伝』を参照されたい。
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コメント

1992年に細川元首相が日本新党を結党し、その後戦後初の非自民連立政権を樹立したのも、徳川慶喜公、松平容保公が幕末~明治維新後にかけて、果たした役割と同じなのではないか、って気がするのですが・・・。
私が、日本の政治に興味を持ったきっかけとなったのが細川元首相の日本新党結党に際しての著作でしたので、個人的思い入れがあるのかもしれませんが・・・。

奇しくも、1992年といえば、コロンブスの新大陸発見(欧州側からの見解ですが・・・)から500年の年です。
その以前から、欧州はアフリカなどに植民地を有していましたが、植民地政策が本格化したのは、やはり1492年以降だと思いますし、その後世界は、強者の論理が全て正しい、という感じの弱肉強食の時代へと突入してしまいました。。。
スペインに住むようになってから、10月12日には、マドリッドで軍事パレードがあるため、毎年のように、このことを考えてしまいます。
今年も10月12日と13日に、関連記事を書きました。
13日には、「みち」の天童氏の巻頭言を紹介しましたが、その中で、東日本大震災の直後の天皇陛下のお言葉についても言及しました。
昨日の山本太郎氏のお手紙を快くお受け取りになったのは、あのときの陛下のお言葉を山本太郎氏が体現されているからではないかと感じました。
もしかしたら、秋の園遊会で、参議院議員となった山本太郎氏にお会いするのをとても楽しみにされていたのではないか、っていう気さえするんです。。。

やはり、すべては、つながっているのだなぁ~という気がして嬉しいやら気味が悪いやら・・・って感じです。
[2013/11/03 06:07] URL | ひろみ #3USpdlJ2 [ 編集 ]

『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』
コメント有り難うございました。

> 徳川慶喜公、松平容保公

このあたりは、落合(莞爾)さんの『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』の表紙裏に書いてある、以下の行がヒントになると思います。

「日本史は必ず天皇を書かねばならぬもので、天皇周辺の人物・事情をいくら書いても歴史とは云わぬ」

『月刊日本』誌の「疑史」を辛抱強く追っていくと、自ずと上記の行の意味が分かってくるのではと思います。
[2013/11/03 09:25] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]


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