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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
松平容保、京都守護職拝命
NHKの大河ドラマ「八重の桜」を日曜日(2月10日)に見た。主な流れは、最初は京都守護職に就任することを、頑なまでに拒んでいた会津藩主の松平容保であったが、松平春嶽に(『会津家訓十五箇条』の第一条「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在である」を引き合いに出され)押し切られるというものであった。

あるホームページでは、容保のことを「誠実で、まじめで、忠誠心厚く、まさに、主君に対する忠誠心を何よりも重視した当時の【武士道】の具現者」と表現していたが、亀さんも全くその通りだったと思う。そのあたりを今回の「八重の桜」は物の見事に描いていた。

さて、おさらいの意味で容保についてウィキペディアで確認したところ、以下の3箇所の記述に目がとまった。

・(容保は)血統的には水戸藩主・徳川治保の子孫
・容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められその際、宸翰と御製を賜ったが、それらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。
・細面の貴公子然とした風貌で、京都守護職の容保が宮中に参内すると女官たちがそわそわした、という逸話も残っている。


水戸…、孝明天皇…、容保…、ここで亀さんの頭の中で閃くものがあった。このあたりはもう少し確証を得たら本ブログで発表したいと思うが、ヒントは渋澤栄一翁が監修した『徳川慶喜公伝』、および落合(莞爾)さんが著した『明治維新の極秘計画』の2冊にある。現在の落合さんは『明治維新の極秘計画』の続編に取り組んでいるのだが、数日前の連絡では出版が大分遅れる見込みとのことだっだ。なんでも、その前に南北朝を取り上げた本を出すというのだ。同書は近々発行の運びとなると思うが、「南北朝の真相を、日本史学上初めて明らかにしたものです」と、落合さんが冒頭で述べている本だけに、歴史学界で〝常識〟になっている、南北朝史観しか知らない人たちは腰を抜かすことだろう。

ともあれ、容保に話を戻せば、落合さんの言う、〝堀川政略〟で容保はどういう位置づけであったのか、気になるところだ。なぜなら、会津藩の流した血は、あまりにもおびただしかったからである。

そのあたり、容保本人が心情を述べた記述があったので、ウィキペディアから以下に引用しておこう。

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明治の世になってからも、容保の人柄と才を惜しみ「政治に参加してはどうか」と誘ったり、容保自身を華族として認めるよう働きかけたいと申し出た人がいたが、「余のために死んでいった者達は数千人は下らないだろう。そして、その家族は数万人にもなるだろう。彼らを差し置いて、余だけが富貴な身分を楽しむことなどとてもできることではない」と、その全てを断ったと言われている。
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「全てを断った」…、ここに徳川慶喜、そして渋澤栄一と相通じるものを見る。

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