伊藤哲夫著『教育勅語の真実』を読む。心洗われる思いをするとともに、改めて井上毅の人物に、一歩迫ることができたように思う。

ここで、井上毅について手許のマイペディアから引用しておきたい。
井上毅(いのうえこわし)1844‐1895 明治の政治家。熊本藩士出身。藩校時習館,大学南校に学び1871年司法省に入省。岩倉具視,伊藤博文らに用いられ,法制官僚として大日本帝国憲法,皇室典範,教育勅語等の起草に参画した。1890年枢密顧問官,1893年伊藤博文内閣の文相等を歴任。
最初に、亀さんが井上毅に接近したきっかけは、中川八洋著『皇統断絶』(ビジネス社)であった。皇室情報に詳しい栗原茂さんから、皇室典範について多角的な話を聞いていたのだが、一度己れなりの皇室典範観を立体的に構築しておこうと思っていた矢先、『皇統断絶』に出会ったわけである。
それから数年が経過した今月の11日、定期購読しているメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(第3998号)で、『明治憲法の真実』(伊藤哲夫 到知出版社)の書評に目を通し、伊藤哲夫氏が『教育勅語の真実』(致知出版社)も著していることを知った。アマゾンで同書の目次を確認、中でも注目したのが井上毅と横井小楠の対立を述べた小節、「●重鎮・横井小楠の開国論を批判」であった。亀さんは旧ブログで横井小楠について取り上げているだけに、井上毅と横井小楠との間で、どのような議論が行われたのか、強い関心を抱いたのである。 『横井小楠』(1) 『横井小楠』(2)
 『教育勅語の真実』
本が到着し、半日をかけて熟読した。そして、横井小楠と井上毅の間で起きた討論よりも重要な発見をしたのだが、それを述べる前に、『明治憲法の真実』(到知出版社)についての宮崎正弘氏の書評を以下に引用しよう.なぜなら、亀さんは同書に未だ目を通していないが、今回通読した『教育勅語の真実』と根底で通じるところがあるからだ。
前作の『教育勅語の真実』もしっかりした歴史考証を重ねての労作だったが、本書を通じて、明治人らがいかに愛国精神に燃え、基本の精神には尊皇のこころがあり、五箇条のご誓文の基礎の上に、イギリスとプロシアから学びつつも、しかも外国人顧問の法律的専門意見を聞きながらも、古事記以来の伝統を重んじた条文となった。 苦労に苦労を重ねてやっと制定に漕ぎ着けたこと。条文を逐一討議する参議の会議に、なんと明治天皇が皆出席されていたという歴史的事実も評者(宮崎)は、本書とを通じて初めて知ったことだった。 明治憲法には日本の魂がこめられたのだ。 さらに条文の検討の過程に政変がからみ、板垣、大隈らが介入し、自由党、改進党を懐柔するために条文案の取引があり、これほどの波瀾万丈のドラマが背後に展開されていたことも知るよしもなかった。 憲法論議を前に、本書は必読文献のひとつとなるだろう。
同感である。今の仕事を片付けた来週にでも、『明治憲法の真実』に目を通してみよう。
さて、亀さんが横井小楠との議論以上に重要だと思った小節とは、『教育勅語の真実』のp.77にあった、「漢学・洋学から国学へ 〝うしはく〟と〝しらす〟」である。冒頭の一部を引用しておこう。
こうした猛烈な国史古典研究の結果、井上(毅)はあることを突き止めます。それは『古事記』にある「しらす(しろしめす)」という言葉に込められた重要な意味でした。
亀さんは旧ブログで古事記について色々な角度で書いているので、このあたりの重要なテーマは別の機会に拙ブログで述べたいと思っている。
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