前稿「安藤忠雄❤大阪」で約束した通り、本稿では「最強の客家華僑」というテーマで筆を進めたい。
最初に、電子版「マイペディア」で華僑の定義を確認しておこう。
中国,台湾,香港,マカオを除く場所に居住する中国人のこと。〈僑〉は仮住まいの意味。中国国籍をもつ者を華僑,現地国籍をもつ者を華人と呼ぶ。漢民族の海外移民が急増したのは清末の18世紀以降で,奴隷貿易の廃止をうけて,広東,福建を中心とする沿岸地方出身者が,移民労働力として東南アジア,北米などに向かったものである。現在の居住地は世界各地におよぶが,約8割が東南アジア地域に集中し,現地の経済に大きな影響力をもつ。ほかに北米,ヨーロッパ,南米,オセアニアなど。地縁,血縁などによる〈幇(パン)〉というつながりにもとづく相互扶助がさかんで,おもな幇には福建,潮州,広肇,海南,客家(ハッカ)がある。また各地に会館を設けて結集をはかっている。1970年代以降,中国本土から北米,ロシア,日本などへ,〈新華僑〉と呼ばれる非合法的な移民が急増した。1990年代前半の人口は約3000万人と推定される。
以下、「マイペディア」の定義に沿って話を展開していくことにする。
世界戦略情報誌『みち』(2022年12月15日号)の「深層潮流」シリーズに、華僑についての興味深い記事が載った。本稿の最後に転載しておいたので、関心のある読者は目を通していただくとして、筆者の村上学さんが以下のように華僑を定義しているのに注目だ。ちなみに、村上さんは神戸を拠点にしており、関西圏の〝生き字引〟的な漢で、関西圏の表社会も裏社会も知り尽くしている。その村上さんが、華僑について以下のように書いた。
雀は華僑に似ている。
それに続く以下の記述にも注目だ。
大陸は共産党の「反宗教」と「国家資本主義」によって華僑を一段低く見るようになっており、世界で成功した華僑たちは大陸の中共を嫌っている。嫌っているから、尊敬しない。尊敬はしないけれども、商売は別である。この華僑根性を弁えておかなければ、台灣問題を根本的に勘違いすることになってしまう。
以降の村上さんの華僑についての記述に目を通せば、日本の華僑について読者は認識を新たにするはずだ。

ところで、冒頭の「マイペディア」の定義にもあるように、台湾には大陸から外省人が大量に流入しているのだが、客家もそうした台湾流入組の一派だ。その客家について、筆者の村上さんは以下のように書いている。
筆者は以前、客家の食堂に連れて行ってもらったことがある。驚いたことには、昼の定食が「白い御飯、煮魚、小鉢、汁、漬物」という日本式の形態だったのだ。このような食文化は大陸にも台灣にもないはずだ。つまり客家は、日本人の食文化を「良いもの」と感じて共有するようになったのである。客家には中華文化を金科玉条とするような狭い考えはない。客家を知る上で、食文化は無視できないのである。
そして、村上さんは以下のように結論づけた。
日本が統治していた満洲でも朝鮮でも、日本式の食文化は根付いていない。台灣だけは日本式食文化が違和感なく存在している。食文化は遺伝子を形作る上で欠かせない要素であって、相互理解の原点に位置すると考えられる。
実は、武田邦彦氏も食文化について、実に興味深い動画を公開しているのだが、武田氏は村上さんよりもさらに深く切り込んで、現在の日本人の食文化が「米」になるのに、一万年もの時間がかかったという、目から鱗が落ちる説を展開している。詳しくは以下の動画で確認してもらうとして、斯様に食文化とは民族を形作っているものなのだ。
【武田邦彦】1万年かけて作られた身体(米と魚の地域、パンと肉の地域)
どうだろうか? 日本列島で米・味噌・煮野菜・魚の食文化が成立するまで、一万年以上の時間がかかったという事実を念頭に、以下の動画を続けてご覧いただきたい。
学校では教えない客家と日本人の謎の繋がり|小名木善行
題名の「客家と日本人の謎の繋がり」でピンと来たと思うが、客家と日本人、実は〝血縁関係にあった〟という興味深い内容の動画になっている。
とすれば、村上さんが客家の食堂で「白い御飯、煮魚、小鉢、汁、漬物」を配膳されたのも、遠祖が同じということを考えれば、至極当然の話と云えよう。
なを、海外で活動しているのは何も「良い」華僑ばかりではない。当然ながら、「悪い」華僑も存在する。そのあたりは、拙稿「戦闘意欲なき国民は滅亡し、敢闘精神なき国民は堕落する」で紹介した、『悪徳の世界史〈1〉フィリピン華僑ビジネス不道徳講座 (悪徳の世界史』(浅井壮一郎)に目を通せば分かることで、本のタイトルに「華僑ビジネス不道徳」とあるのに注目していただきたい。この本は、8年以上も前に目を通した本なので、詳しい内容は忘れてしまったのだが、悪事を働く華僑は多分、客家ではないだろうと思っている。
 杜月笙
悪い華僑という記述から中国マフィア、すなわち「幇」を連想する読者もいたことだろう。最新号の『みち』(4月1日号)の「常夜燈」シリーズで、筆者の黄不動さんが先月逝去した「青幇第二三代悟字輩」(日本人)について、驚愕するような記事を執筆した。記事内容から、黄不動さんは青幇第二三代悟字輩と深い交流があったことは一目瞭然である。小生の場合は老大と面識こそ無かったものの、老大自ら著した古代中国の偉大な戦略家についての本に目を通しているだけに、「だからこそ、あれだけのことを書けたんだな・・・」と、改めて老大の凄さを思い知った次第である。
六韜に並び立つ、否、六韜すら凌駕していたと思わせる、古代中国の戦略家の思想を見事に描き出してみせた老大、本当に凄い人物だった。


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