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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
第三神殿と核戦争
小生は、今年の年賀状に以下の文を認めている。

昨年の2月24日、ロシアが特殊軍事作戦を開始、未だに終戦の目途が立たない中、一時は局地核戦争も覚悟していました。幸い、今のところ最悪の事態には至っていないものの、取り敢えず食糧備蓄等の備えは完了しました。


現在、ロシア対ウクライナ、より正確にはロシア対NATO・アメリカの戦争が展開しているが、最悪の場合はロシアとアメリカによる核戦争、すなわち世界最終戦争になるかもしれないという話がネット界隈で飛び交っている。

しかし、核戦争に発展しそうなのは、何もロシア対ウクライナのケースだけではない。現在進行形のイランとイスラエルの対立も、そうしたケースの一つであり、最悪の場合は核戦争になる恐れが十分にある。よって、本稿ではイランとイスラエルの対立に焦点を当てて筆を進めたいと思う。

最初に、中東関連に強いユーチューバーとして台頭してきた、【越境3.0チャンネル】の石田和靖氏だが、同氏はイランとイスラエルの対立について以下のように総括している。


【中東情勢】イランとイスラエルの対立が最高潮に! それまでの流れを簡単に整理します

動画を一通り観てみたが、石田氏には大事な視点が欠落している。それは、イスラエルによる「第三神殿」の建立計画だ。石田氏の見解では、ネタニヤフ首相がイランとの開戦を急いでいるのは、イランの核計画を防止するためだとのこと。つまり、イランが核保有国になるのをイスラエルは恐れており、その前にイランを叩きのめしたい、だからこそ、イスラエルは開戦を急いでいるのだと石田氏は主張する。

しかし、イランによる核兵器保有の防止だけが開戦の理由ではない。それは、イスラエルにとっての重要な計画、すなわち、「第三神殿」の建立だ。第三神殿と言っても、馴染みの無い読者にはピンと来ないかもしれないが、この第三神殿の建立こそが、ユダヤ民族の長年にも亘る宿願だ。第三神殿については、以下の田中宇氏の記事に目を通し、第三神殿とは何かについての大枠を掴んでいただきたい。
ユダヤ第三神殿の建立

この第三神殿だが、小生は山浦嘉久さんに十年ほど前から、折ある毎に話を聞かされてきたし、それを受ける形で天童竺丸さんや安西正鷹さんも、第三神殿についての記事を多く世界戦略情報誌『みち』に発表している。最近も、神子田龍山さんが第三神殿についての貴重な記事を『みち』に連載しているほどだ。神子田さんは第三神殿について、建立初日に「岩のドーム」が破壊され、その跡地に第三神殿が建立されると記している。

23030502.jpg
岩のドーム

ここで、ユダヤ教といった一神教の人たちは、数を聖なるものと見なしており、数というものに厳格な人たちである。だから、ユダヤ教の暦法に依れば岩のドーム破壊は今年、すなわち2023年中だと神子田さんは記した。これが意味するところは、核兵器が完成する前にイスラエルがイランを叩くのか、それとも岩のドームが破壊される前にイランがイスラエルを叩くのか、という話になる。だから、小生は固唾を呑みつつ、日々のニュースに接している今日この頃なのである。ちなみに、世界戦略情報誌『みち』(2月1号)にあった神子田さんの「世界戦略情報」シリーズに、「●第三神殿の建立で世界が滅亡する」(p.7)と題する小節があったが、ハルマゲドンを連想させるに充分であった。

その神子田さんが、最新稿(3月1日号)に書いた結語に小生は息を呑んだ。

ドゥーギンは世界四ブロック構想実現に於いて、三つの枢軸の確立を必然としている。まずベルリン・モスクワ枢軸、次に東京・モスクワ枢軸、そしてテヘラン・モスクワ枢軸である。
『みち』3月1日号p.7


23030501.jpg
map of multipolar four zones

また、神子田さんは以下のようにも書いている。まさに、ドゥーギンはロシアの〝頭脳〟だと思った。

ドゥーギンは主著『Основы геополитики(地政学の基礎)』の中で、はっきりと「米国はスケープゴートとなる」と断言している。これがロシアの思惑、米国に与える未来像である。
『みち』3月1日号p.7


ここで、ドゥーギンの主著『Основы геополитики(地政学の基礎)』のキーワードの一つが旧約聖書だが、そのあたりについては馬渕睦夫大使の以下の動画を参照されたい。


【馬渕睦夫】旧約聖書から見える陰謀論ではない真実とは...【ひとりがたり/振り返りpart18】

少し古くなるが、天童竺丸さんの著した「ラビン暗殺とエルサレム第三神殿計画」、馬渕大使の動画を深く理解する上で役に立つと思ったので、以下に転載させていただいた。


「ラビン暗殺とエルサレム第三神殿計画」 天童竺丸

●ラビン暗殺は「宗教的」犯行だった!
 一九九五年一一月四日にイスラエル首相のイツハク・ラビンが暗殺された。犯人はユダヤ教系Kバール・イラン大学に通うイガル・アミルという二五歳の学生だった。中東和平協定に基づくパレスチナ国家創設に反対し、和平推進者ラビン首相を「裏切者」と決めつけるユダヤ教過激派組織「エヤルEYAL」(ユダヤ闘争機関の略、一九九三年創設)のメンバーだった。
 犯行は事前に組織的に計画されたもので、イスラエル当局は事件をエヤルによる共同謀議と断定、アミルをはじめメンバー七人が逮捕された。
 計画はイガル・アミルが中心となって進められ、イガルの実兄ハガイ(二七)と友人の現役軍人エリック・シュワルツ軍曹(二一)が武器・弾薬を調達し、イガルによって実行された。イガルの友人のミハイル・エプシュタイン(二二)、エヤルの創設者で指導者のアビシャイ・ラビブ(二八)らも、関与していたとして逮捕された。
 エヤルと治安情報機関シャバク(旧称シンベト)との関係も浮上した。ラビブ容疑者は
エヤル創設時から「シャンペン」という暗号名をもつシャバクのスパイだったし、暗殺犯イガル・アミルは、一九九二年にラトビアの首都リガでユダヤ人社会の警備員に採用されたとき、シャバクによる射撃訓練や要人警護の講義を受けたといわれる。
 最右派政党モレデトの議員は「エヤルはシャバクが創設し、資金を提供していた」と非難する。シャバクが過激派内のスパイにわざと過激な行動をさせることによって、右派勢力全体に対する世論の批判を高め、揺さぶりを掛けようとした(読売新聞一一月二一日号など)、というのである。
 以上、マスコミ報道によっても、ラビン首相暗殺が、単なる精神異常者による激発的異常行動などではないことがわかる。ユダヤ教過激派エヤルによる「組織的」犯行だった。そしてさらに、イガル・アミルが逮捕時に、「神の命令でしたことで、まったく後悔していない」と語ったように、ラビン暗殺は宗教的確信に基づく犯行でもあったのだ。
   
●「受難の民」の報復の特権は破綻した
今回のラビン首相暗殺は、ユダヤ人によるユダヤ人のテロという点でも注目されたが、
ユダヤ人の同胞テロはこれが初めてではない。
たしかにユダヤ人は歴史上多くの迫害・受難に遭い辛酸をなめてきた。
 ところが、「受難の民ユダヤ民族」という幻想を維持するために常に犠牲者・殉教者が必要とされるという倒錯した心理が根付いたのも事実である。つまり、ユダヤ人自身の犠牲者をみずから創り上げるという思想が培われ、時に実行されてきたのである。
 ヒットラーのナチスによるユダヤ人政策も、その背後にはユダヤ人自身による承認・密約があったといわれる。つまり、西洋化したユダヤ人たちは「来年こそはエルサレムで!」といいながら、ドイツでのぜいたくな暮らしに慣れて、一向にパレスチナに移住しようとしなかった。これに業を煮やしたシオニスト指導者らは、彼らを「不毛の地」に輸出するため、ヒムラーとアイヒマンとのあいだに密約を交わした、というのである。
 西洋化ユダヤ人たちを徹底的に軽蔑した正統派ユダヤ教ハシディズムの指導者だったマルティン・ブーバーも、シオニストによるこの計画を支持した、とジョン・コールマンは指摘している(歴史修正叢書 ジョン・コールマン『ルドルフ・ヘスの生と死』参照)。
 また、一九五二年ハンガリーのブダペストで開かれた欧州ラビ緊急会議で演説したラビ=エマニュエル・ラビノヴィッチの発言も、ユダヤ人自身の犠牲・殉教者を求めたものであった(ユースタス・マリンズ著、歴史修正学会訳『衝撃のユダヤ五〇〇〇年の秘密』日本文芸社刊、三〇九ページ)。
 「第二次世界大戦でわが同胞の一部をあえてヒットラーの悪党どもに生け贄として捧げざるをえなかったあの辛い日々を、われわれはふたたび繰り返さねばならぬかもしれない。……
諸君がそうした義務を果たすための覚悟をいささかも必要としないとわたしは確信する。なぜなら、生け贄は常にわが民族の合い言葉だったのであり、世界の主導権と引き換えに数千人のユダヤ人を犠牲にすることは、むしろささやかな代償にすぎないからである」
しかし、今回のラビン暗殺で特異な点は、ユダヤ人自身の犠牲が暗殺者たちの意図である「大イスラエル主義」(シナイ半島からユーフラテス川までのパレスチナ全域にユダヤ人国家を樹立しようという構想)を促進するよりは、非ユダヤ人によるパレスチナ国家の存在を容認する和平合意を展開させる方向に寄与した点であろう。
 つまり、イスラエルという現実の国家を樹立したユダヤ民族は、みずからの手でパレスチナ・アラブ人という新たな「受難の民」をつくり出し「加害者」となることによって、これまで恣に享受してきた「地上唯一の犠牲者」としての報復・賠償の正当性を破綻させざるをえなくなったのである。
その結果、ラビン暗殺は「受難の民」の悲劇性を世界に際立たせるよりはむしろ、ユダヤ人同胞内部の憎悪・分裂・抗争を露呈させ、ユダヤ人の犠牲が他民族の存在を容認することにつながるという皮肉を生み出したのであった。

●「受難」と「大量殺戮」は掠奪思想の両面
 日本人が虚心にユダヤ民族の聖典とされる「律法」「預言書」「諸書」などのいわゆる『旧約聖書』を読むと、血で血を洗う掠奪と復讐と殺戮の物語に満ち満ちていることに驚かざるをえない。
 本誌『みち』創刊号で藤原源太郎は、万人に開かれた生成発展を旨とする日本文明の原理を「明示録世界」と捉え、仏教・儒教・道教などの東洋宗教の包括的原理を天地一体の階層的秩序を志向する「暗示録世界」と規定したさいに、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の世界観を「黙示録世界」と総括して、その征服的自然観と救済・布教への宗教的情熱とが演繹的思想から必然的に帰結するものであることを指摘した。
 また、林秀彦は『中央公論』で本年一月号より三月号まで「ジャパン、ザ・ビューティフル」と題し、戦後の日本の無節操ぶりに絶望して逃れたオーストラリアの地から、遠く祖国日本に寄せる切々たる真情をつづった。
 日本人だれしもの胸を打つこのすばらしい文章のなかで、西洋の「嫉妬文明」と日本の「和の文明」とが本質的に相容れないこと、「嫉妬文明」が行き詰まりにある現在、日本民族こそ「和の文明」をもって世界人類を嚮導すべき責任があるというのに、日本人は「嫉妬文明」の豊かさに目が眩んで、とうてい修得しえない異質の文明を猿まねする無魂無才の無節操人間になり果てていることを、林は痛恨・痛罵している。
 日本にとって異質な、いわゆる西洋文明とされるもののなかに、少なくともユダヤ思想とキリスト教思想の区別を、できればさらにギリシア・ローマ・ゲルマン・イスラム・スラヴ思想の差異を理解することは、日本の文明の原理を知るうえに重要である。とりわけ、偽装された形で西洋思想一般に潜り込んでいるユダヤ思想を見極める必要がある。
 日本人にとってユダヤ思想は異質であることを越えて異様である。宗教的迫害を逃れて新天地を求めた清教徒の子孫であるアメリカ人の愛国者ユースタス・マリンズはユダヤ民族の本質を「寄生体」であると洞察している(『寄生体~ユダヤ民族の生物学的特質』当学会にて翻訳刊行準備中)が、生存の基盤をみずからの生産に置かず他からの掠奪に求める民族が、強烈な嫉妬に駆られるのは当然であろう。
 そして、嫉妬に駆られた欲望を成就しえないとき、「受難」を言い立て「大量虐殺」の理由とするのは、「出エジプト記」に記された「過越の祭」の来歴や「エステル記」の物語などに見られるように、掠奪と憎悪を本質とする思想が必然的にもたらす悲劇の両面である。

●神に裏切られた民のメシア願望
 「受難」と「選民思想による大量虐殺」は、永遠の相克を生む闘争の原理であり、その根底にある略奪・憎悪の思想はユダヤ民族自身にとっても救済の原理とはなりえなかった。 神が「カナーンの地を与える」とユダヤ人に繰返し語った約束は、現実にその地を耕し生存する人々が先住している以上、まともに考えれば一方的なメチャクチャな約束である。約束が実現されるためには、戦争・略奪は避けられない。
 ユダヤの神は妬む神、戦争の神であると言い直るが、こんな身勝手な約束がいかになされようとも、容易に実現されるはずがない。しかし、神はかえってユダヤの民が神を裏切ったと非難するのだ。神による約束の書のなかに、ユダヤ民族の神への裏切りと、それに対する神からの呪詛がいかにおびただしく語られていることか!
 しかし、異教徒である私が単純に見れば、神が約束を果たさなかっただけの話である。そもそも約束自体が天道に悖る理不尽な約束だった。だがこうして、神に選ばれたはずのユダヤの民は神に裏切られる。ついに神による救済はやってこないのではないか? この恐ろしい可能性に、ユダヤ民族は気づかざるをえなかったと思われる。そこで、神の契約が果たされないことを疑いはじめたユダヤ人は、別の原理を必死に求めた。それが、メシアによる救済の思想である。
 キリスト教徒はイエス・キリストをメシアとして受け入れ、掠奪と憎悪の思想から原理的に脱却した。つまり、救済はメシアの地上への登場によっていつか将来成し遂げられる問題ではなく、みずからの魂の内奥のできごととして現下に問われるべき問題となったのである。こうしてキリスト教文明自身は救済の原理をもつことができた。
 しかし、魂の救済を説くイエスはユダヤ民族のメシアとはなりえなかった。彼らのメシアはカナーンの地に全ユダヤ民族を帰還させ、楽園を実現する者でなければならなかったからである。そこで、イエス殺害の血の責任を子々孫々まで被ってもよいと断言してイエスを拒絶し殺害した。ユダヤ民族は、将来にメシアの登場を待つほかなくなった。

●メシアによる救済は文明の終焉である
 だが、メシアとはなにか? 日本もまた、弥勒下生を願う一種のメシア信仰を経験したが、それは日本の文明の本流とはなりえなかった。メシアとは一つの奇跡である。私は奇跡そのものを一概に否定する者ではないが、奇跡はついに奇跡であるにすぎない。奇跡は文明の停止であり終焉である。とうてい文明の創造の原理とはなりえない。
 ほんとうにメシアが現れたらどうなるか?メシア信仰に基づく宗教は、真のメシアの出現に困惑し、かえってメシアを幽閉して民衆の目から遠ざけるのではないか? 
 これが、メシア信仰によって民衆を誑惑する「大審問官」の偽らざる本音であることを洞察したのは、ロシア民族の心をよく理解していたドストエフスキーであった。メシア来臨を説く僧官たちの二重思考、プラグマティズムを鋭く見抜いたといえよう。

●偽メシアに翻弄されたユダヤ民族
 ユダヤ民族はメシアへの焦がれるような渇望をどの時代にも捨てることができなかった。メシア渇望はユダヤ民族の本質といってもよい。
 バビロン捕囚のとき、ローマによる属州支配のとき、そしてオリエント・ヨーロッパ各地でのディアスポラ(離散)にあって、ユダヤ民族はどれほど激しくメシアを希求したことであろう。『死海文書』には、ユダヤ紀年まで調節してメシア来臨の時(ユダヤ紀四〇〇〇年と計算されていた)をギリギリまで延ばそうと悪戦苦闘した跡が記されている。
 しかし、ユダヤ民族にメシアはついに訪れなかった。そして、ユダヤ民族のメシア待望の歴史は同時に、偽メシアに翻弄され裏切られる歴史でもあったのだ。確かにこの意味では、「悲劇の民」である。  
もっとも名高い偽メシアは、オスマン帝国のスミルナの上流階級に生まれたシャブタイ・ツヴィ(一六二六~七五)であろう。彼はカバラ神秘主義者ルリアの「追放され屈辱と迫害にさらされているユダヤ民族は、まもなくメシアを産み出すことによって、全宇宙の秩序を回復し、ユダヤ民族最後の贖いを完成するであろう」という教えに深い影響を受け、一六四八年にみずからメシアであると宣言した。そして、一八年後の一六六六年をすべてが成就する千年至福と名づけて、活動を開始する。
 ツヴィはオリエントからヨーロッパまでの全ユダヤ人のあいだに熱狂的な信奉者を獲得した。多くの著名なラビや金持ち・知識人らも含めて、一時は全ユダヤ人口の三分の一が
ツヴィの信者になったといわれる。
 一六六六年、「スルタン(ムハンマド四世)は王座を放棄し、我を王のなかの王と崇めるであろう」とツヴィは予言して、コンスタンチノープルに上陸しようとしたが、気狂いと見なされ、逮捕・投獄されてしまった。スルタンに死刑か改宗かを迫られると、さっさとイスラム教に改宗し、なんと! 高給をあてがわれスルタンの後宮の門番になった。それでも信者たちの多くはツヴィの「受難」に倣ってイスラムに改宗してデンメー派という一派を形成し、ツヴィをメシアだと信じつづけたという。
暗示にかかりやすい幻想家肌の性的不能者(このため三度結婚に失敗した)シャブタイ・ツヴィによって震撼され大混乱に陥ったユダヤ世界は、その後も多くのメシアに裏切られる。
 その一人ウクライナに生まれトルコで行商人だったヤコブ・フランク(一七二六~九一)は、ポーランドでメシアに祭り上げられた。フランクはカバラ主義の本『ゾハル』を聖典として、姦淫・近親相姦をものともしない乱交パーティーの教えを説き、悪徳の限りを尽くした。ラビによってユダヤ教からは破門されたが、三位一体を認めると称してカトリックに近づいたり、ロシア正教に庇護されたりしながら、大勢の信者に護られて、死ぬまで君主同然の贅沢三昧の暮らしをしたという。

●現代の偽メシア運動
 シャブタイ・ツヴィやヤコブ・フランクにひけを取らない現代の偽メシアが、ニューヨークはブルックリン出身のアシュケナジー・ユダヤ人のラビ=メイヤー・カハネ(一九三二~一九九〇)である。そしてこの男こそ、ラビン首相暗殺犯イガル・アミルと過激派組織エヤルの実質的な産みの親なのである。
 権力欲と性欲だけは旺盛な無節操きわまる破廉恥漢・ゴロツキのカハネは、FBIやCIAの密告者を務めつつ、一九六八年ニューヨークでユダヤ防衛連盟(JDL)の創設者の一人となり、やがてこれを私物化して、黒人に対するテロや、ソ連領ユダヤ人の弾圧に対する抗議として在米ソ連施設に対するゲリラ攻撃によって勇名を馳せる。
 一九七一年にイスラエルに移住したカハネは、七三年にイスラエルJDLよりクネセト(国会)に立候補して惨敗し、その屈辱のなかでメシア思想の虜になっていく。
 カハネは『ユダヤ思想』(七四年刊)で、イスラエルの土地(カハネの大イスラエル主義によれば
ナイル川からユーフラテス川までの全パレスチナ)にいるアラブ人の存在そのものがユダヤ教に対する挑戦・汚染であり、アラブ人の排除こそメシアによる救済の前提条件だとして、こう語る。
 「シオニズム、イスラエル国家樹立、ユダヤ民族の故郷帰還、優勢アラブ人に対する 劣勢ユダヤ人の奇跡的勝利、ユダヤ・サマリア・ガザ・ゴランの解放、ユダヤ王座の聖都市エルサレムのマウント神殿への帰還 ……これらすべてが神の意志の保証であり、その成就なのだ」
 そして、カハネはご多分に洩れず、アラブ人追放を実現しユダヤ民族を救うメシアは自分以外にない、と確信するにいたる。

●現実的神秘主義メシア運動
 偽メシアのカハネとは別に、第四次中東戦争(一九七四)によってイスラエルが占領したヨルダン川西岸地区へのユダヤ人入植を推進したのが、「グーシュ・エムニーム」(信者の砦)という神秘主義メシア運動である。
 エルサレムのユダヤ教学校の校長イェフダ・クークは、ユダヤ人のエルサレム帰還とその地の繁栄とが来るべきメシア時代の幕開きとなるとして、占領地は神がユダヤ民族に与えた遺産であり、いかなる犠牲を払っても、イスラエルの手に取り戻すべきであると主張した。
 クークの教え子たちが中心になってグーシュ・エムニームを一九七四年にはじめると、正統派ユダヤ教徒や建国精神に無縁な無気力の第二世代の若者、米ソからの少数の新規移民たちの心をがっしりとつかんだのだある。彼らは西岸地区に古代のユダヤ・サマリアを再建する「聖なる十字軍」活動に着手した。アラブ人の土地を没収して、ユダヤ人入植地を一つずつ建立していくという現実的なやり方である。グーシュ・エムニームの西岸入植地建立は、ヘブロンのキリアト・アルバを拠点に、右翼リクード党のベギン政権下(一九七七~八二)、農業大臣アリエル・シャロンの後援で飛躍的に増大する。

●妖怪カハネがイスラエルを席巻
 このアシュケナジー系ユダヤ人を主体とするグーシュ・エムニームは、カハネのアラブ人追放という過激な主張とは当初なかなか結びつかなかった。
 一九七四年カハネは自分の政党「カハ」を創設してクネセトへの選挙運動を再開する。グーシュ指導者のラビ=イェフダ・クークが従来の国家宗教党への支持を取りやめカハ党支持に鞍替えしたが、それがそのままグーシュの大量票とはならなかった。
 しかし、一九八四年七月カハネは全投票数の一・二%を獲得、ついにイスラエルの国会議員となる。カハ党の主な支持層となったのは、アラブ人に憎悪を抱いているイスラム圏からのスファラディー系移住者たちだった。彼らは少数のアシュケナジーが政治・軍部の中枢を占めるイスラエル社会で低学歴・低賃金の貧困階級を形成し、しばしば同然の境涯にあるアラブ人と対立してきた。今年一月二八日のエチオピア系ユダヤ人(約三万人)による献血血液廃棄抗議行動に見られるように不満が鬱積しており、カハネの過激な反アラブの主張が恰好のはけ口を提供したのである。
 カハネは「アラブ人追放」「ユダヤ人と異教徒との性交禁止」「ユダヤ民族侮辱禁止」などの諸法案を国会に提出し、識者の大憤激を買ったがものともせず、テレビ・ラジオでしゃべりまくり、辻説法も行なった。
 一九八七年末に、イスラエル占領地でパレスティナ人の「インティファーダ」(抵抗運動)が起こり、ユダヤ人の危機意識を煽って、右傾化に拍車をかけた。アラブ人に対するテロが頻発する。カハネは過激な言辞でこれを煽動、その人気はうなぎ登りに上昇した。カハ党の内部にも過激テロ組織ができる。
こうした事態に対し、クネセトの中央選挙委員会は一九八八年一一月の選挙にカハ党が立候補することを禁止、カハネはクネセトから追放された。
 すると、カハ党の攻撃はアラブ人のみならず、パレスチナ人との和平を推進する左派労働党の政治家(ラビン、ペレスなど)にも向けられるようになった。
 「アラブ人に死を! アラブの友なる左翼 に死を!」
というスローガンが渦巻き、ユダヤ人同胞のテロ犠牲者も増えてくる。

●オウムとも共通するメシア信仰テロリズム
カハネ自身は一九九〇年一一月六日ニューヨークのマンハッタンのホテルでのユダヤ人集会で演説中に暗殺されたが、偽メシアのカハネが撒いた反アラブ・大イスラエルの種はユダヤ人内部、とくにヨルダン川西岸入植地のグーシュ・エムニームのユダヤ人青年のあいだで着実に育っていったのである。
いまから二年前の一九九四年二月二五日、西岸地区にあるへブロンの町のモスクで機関銃を乱射し、イスラム教徒五〇人を殺害し、三〇〇人に傷を負わせたバルーク・ゴールドシュタインは、ヘブロンの町を望む入植地キリアト・アルバの医師であり、カハネの信奉者だった。
 今回のラビン首相暗殺の中核となったエヤル(ユダヤ闘争機関)も、西岸入植地の青年から構成されるカハ党の過激テロ組織である。
つまり、その思想はメシア信仰を中核とする宗教的テロリズムといえよう。
 この異様な思想も、オウム真理教の麻原彰晃を輩出した日本民族にとって、もはや無縁とはいえなくなってしまった。両国の社会的事情はまったく異なるにせよ、ともに国家としての安全保障にかかわる重大な問題を提起しているからである。

●ラビンは本当の敵に気づいていた!
 ヘブロンのモスクでユダヤ人による大量虐殺事件が起こった直後の二月二八日、ラビン首相は国会で次のように演説した。
 「殺戮犯の背景勢力は、少数の取るに足りない政治勢力であります。彼が育った沼地はわが国とそして海外にあり、暗殺者の供給源となっております。彼らはユダヤ民族とは無縁の者たちであり、……このような者たちに向かって、われわれはこういってやりましょう。
  『おまえたちは外国が植え込んだスパイだ。風に吹かれて紛れ込んできた雑草だ。ユダヤ民族は、おまえたちを叩き出してやる』
 と」 
 リンドン・ラルーシュのEIR誌(一九九五年一一月一七日号)は、イスラエルの秘密テロ組織もイスラム教秘密テロ組織(イスラム聖戦ハマスなど)も、イギリス国王みずからによる中東不安定化工作の直接的産物であると主張する。
イギリスの中東に対する 宗教戦争・大量殺戮を手段とした「力による均衡」政策の推進機関が、女王のいとこケント公をグランド・マスターに戴く英国グランド・ロッジ内に設けられた「クアトロ・コロナティ」ロッジであり、エルサレム第三神殿建設計画と大イスラエル構想の仕掛人だという。

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