日本精神について、数回に分けて書いてみたいと思う。その切っ掛けは宮沢賢治だ。飯山史観の一環として明治維新について調べていた時、「売国奴が再生産されるのはなぜ?」という動画に、賢治が登場していたのである。残念ながら、同動画は12月17日までの限定公開だったので、最早観ることはできないのだが、幸い、同動画の概要が判るページが残っていた。
雨ニモマケズと日本人の精神 最後に、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という有名な詩についてご紹介しましょう。
この詩は一度は読んだことがあると思いますが、大抵の人は冒頭の部分しか思い出せないかもしれません。ですが、この詩の中盤以降の部分では、現代の日本人が忘れてしまったこのようなことが書いてあるのです。
「東に病気の子供がいれば 行って看病してやり、 西に疲れた母がいれば 行ってその稲の束を背負い、 南に死にそうな人がいれば 行って怖がらなくてもよいと言い、 北に喧嘩や訴訟があれば、 つまらないからやめろと言い、中略 ほめられもせず、苦にもされず そういうものに私はなりたい」
コロナで困っている人を見捨てて、「自分で頑張れ」「生活保護でなんとかしろ」「助けるための金は出さない」このような同じ国民を守るという共同体意識が欠如している菅総理や麻生財務大臣とは違い、明治維新による近代化によって和魂を失う前の日本人の精神は、「雨ニモマケズ」に出てくるこのような精神だったのではないでしょうか。
そして、このような忘れ去られた先人たちの想いを受け継ぐことこそが、私たちにとって大切なことなのではないでしょうか。
今のまま嘘で塗り固められた歴史を信じて生きていくのか、それとも、この機会を活かして、歴史の真実を知り、日本に蓄積し、腐敗、悪臭を放つ嘘を真実に置き換え、嘘を浄化し、正気を取り戻し、日本の主人公としての自覚を取り戻すのかはあなた次第です。 真説・日本近現代精神史vol.1
実は、上記のウェブ記事を読んだ後、世界戦略情報誌『みち』の最新号(12月15日号)に、「宮沢賢治「永訣の朝」の慟哭」という記事が公開されたのである。これは、天童竺丸編集長が執筆する巻頭言の玉稿であり、本稿の最後に掲載しておくので是非目を通していただきたい。
さて、肝心の「日本精神」であるが、小生なりに定義するとすれば、「遙か太古の昔から日本列島の住民が育んできた思考・行動様式」とでもなろうか・・・。ただ、「思考・行動様式」だけでは解りにくいと思うので、日本精神について述べた幾本かの記事・動画・書籍を以下に紹介しておくので、それによって「日本精神」の輪郭を掴んでいただけたらと思う。
■記事・動画

一、「はい」という素直な心
一、「すみません」という反省の心
一、「おかげさま」という謙虚な心
一、「私がします」という奉仕の心
一、「ありがとう」という感謝の心
李登輝が今も大切にしている「日本の精神」とは?
「奉仕の心」は本稿の最後に掲載した巻頭言にある、「賢治は他人に尽くすことを信念としていた」(赤下線)という記述に結びついていることにお気づきのことと思う。
【張陽チャンネル開設】日本 武士道精神まだあるか?反日教育を受けた後の葛藤【第1回】
次に張陽氏の動画。同氏にとって初となる上掲の動画は、新渡戸稲造の『武士道』を基にしている。すなわち、武士が重んじていた七つの徳目、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」を彷彿させるものがあるのだ。ある意味、日本精神そのものについて張氏は語っていると云えよう。
■書籍
 『皇室と日本精神』(辻善之助 大日本出版)
この本はGHQ焚書対象の一冊となった本だが、この度復刻の運びに至っている。ちなみに、同書の目次が以下に掲載されており、小生は同書の目次に目を通して購入を決めた。 GHQが葬り去った「皇室」の真実
 『神道と日本文化』(渡辺勝義 現代図書)
この本については、「日本精神文化の根底にあるもの」と題した拙稿でも取り上げたことがある。
本論はこれまで記紀などの古典を基として日本及び日本文化、神道の本質について数回に亘って書き及んできた「日本精神文化の根底にあるもの」シリーズのまとめとして、現代日本人がいつしか失ってしまった尊貴ともいうべき神道にとって最も大切な神霊との邂逅-「始原への回婦」の道について、幕末・明治に生きた神道学者・本田親徳が遺した霊学(鎮魂法・帰神術)を概観しながら考察してみたい。それは同時に、日本にとって明治維新とは、また近代とは一体どういう選択であったのかについて顧みることにもなろう。 日本精神文化の根底にあるもの(七) 日本神道の秘儀―日本精神文化の根底にあるもの
 『近代日本の精神構造』(神島二郎 岩波書店)
飯山一郎さんの「てげてげ」HPで推薦している書籍の一冊で、以下のような案内を飯山さんが遺してくれたのは有り難い。
神島二郎は20年も前に亡くなった政治学者だが,今だに政治学・社会学・政治思想史・民俗学等々の学問分野に深い影響を与え続けている.「神島政治学」は,丸山眞男の政治学と柳田國男の民俗学を架橋・融合した画期的な学問分野で,かような新学問の創設は世界でも稀である.本書は,近代日本全体を貫いた思想・行動の原理を明らかにしようとした大労作であるが,非常に難解で,かの家永三郎は書評の中で「内容は全く理解できなかった」と告白している.神島二郎が提唱した「第二のムラ」,「出世民主主義」という概念(理論モデル)は,近代日本史を解くキーワードの一つと(今だに)評価されており,この概念を理解しない限り,「日本近代」は見えてこない!と,社会科学者たちは(今だに)本書の理解に挑戦し続けている.
ところで、李登輝をして感嘆せしめた日本精神、我が日本列島に於いて、どのように芽生え、育まれてきたのか? そのあたりについては、拙ブログでも「北満州と日本列島」シリーズで取り上げているので、そこから日本精神の輪郭を掴むことも可能だ。
4~3万年前に確実に存在していた日本列島の旧石器時代の人々、そして1万6千年前に縄文時代に突入し、弥生時代を経て古墳時代に入るあたりまで、日本列島に流れ込んできた人々・・・ 北満州と日本列島 01
日本列島に渡ってきた現生人類が定住するようになったのは、4~3万年前と亀さんは前稿で書いたが、ウィキペディアによれば、岩手県遠野市宮守町の金取遺跡で9〜8万年前の人の足跡の他、石器が発掘されたとある。どうやら、最初に〝人々〟が日本列島にやって来たのは、さらに時間を遡る必要があるようだ。だが、これらの〝人々〟は本当に現生人類だったのだろうか? 北満州と日本列島 02
次に冒頭の図に示した赤丸印Dと赤丸印Eだが、ベーリング海峡を通ってインディアンが北アメリカに渡り、やがて南アメリカに広がったと図から読み取れるのだが、大阪の〝公演〟で示した図で亀さんはベーリング海峡に×印を入れており、また「(13)大陸から渡ってきた人々」にも以下のような記載が見られる。
アメリカに到達したモンゴロイドはなぜか寒冷地に適した新モンゴロイドに変容しておらず、旧来の古モンゴロイドと見られています。 北満州と日本列島 03 今、「アメリカに到達したモンゴロイドはなぜか寒冷地に適した新モンゴロイドに変容しておらず」という行を目にして、日本列島から太平洋を経由してアメリカ大陸に渡ったのは、我々の祖先だったと改めて思うに至った。
この日本列島が、世界に例のない聖地だったからである、と。だからこそ、他に例がないほどに恵まれた環境が形成されたのだ。そうでも考えなければ、この恵まれすぎたわが列島の豊かさは説明できない。 定住革命の先駆者となった日本 1 北満州と日本列島 04
縄文時代を狩猟採集に基づく野蛮な時代、弥生時代を水田稲作開始による革新的時代と捉える単純な図式では、わが文明の骨肉に触れることはとてもできないのだ。縄文・弥生以来連綿として一貫するもの、それこそが日本文明の精髄であり、わが皇室祭祀の中核にある。 縄文農耕の成熟と弥生水田稲作 北満州と日本列島 05
なを、日本列島の壮大な誕生物語については、拙稿「奇跡の日本列島」で取り上げている。
次回、「日本精神と明治維新」について筆を進める予定である。
【巻頭言】

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