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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
フルベッキ写真と小栗忠順
昨日、フルベッキ写真研究家の高橋信一先生の講演会に久しぶりに行ってきた。その模様を旧ブログに『古写真研究こぼれ話』と題して書いたので、目を通してもらえたら幸いである。

13052605.jpg

熱の籠もった高橋先生の話に耳を傾けながら、亀さんの脳裏に浮かんだのが、『明治維新の極秘計画』の小節(p.288)、「フルベッキ写真と小栗忠順」だった(以下に転載)。

俄には納得しがたい小節だと思う。ただ、落合秘史シリーズや栗本慎一郎シリーズ本を読み、改めてフルベッキ写真を眺めれば、官軍の東山道鎮撫総督であった岩倉具定を筆頭に、同軍の面々が勢揃いしている理由が朧気ながら掴めるのではないだろうか。


フルベッキ写真と小栗忠順
明治元(一八六八)年の末に上野彦馬が長崎で撮影した所謂「フルベッキ写真」には、岩倉の二人の子息のほか原保太郎・宇田淵・折田彦市ら小栗事件の関係者が写っています。この写真は、在英ワンワールド薩摩支部から、フルベッキが日本に送り込まれた開国指導役であることを知らされた岩倉具視が、二人の子息を長崎のフルベッキの元に送った時の記念写真のようです。
大隈重信から佐賀藩の英語学校致遠館に招かれて英語を教えたフルベッキは、日本の進むべき方針を示した草案『ブリーフ・スケッチ』を同志の大隈重信に贈り、海外視察団を組織するための参考に供しました。岩倉具視がこれを流用して、明治四年の岩倉遣欧使節団の基本としたとされています。遣欧使節の真の目的は、岩倉を初めとする維新政府の指導者たちが、各国のワンワールド首脳に面通しをすることにあったと観るべきでしょう。
維新後の先帝孝明天皇父子は「堀川御所」に籠り、國體天皇としてシャーマニズムに精励されましたが、尹宮(時に賀陽宮)朝彦親王は、長州藩・倒幕派公家・政敵岩倉具視らと対立してきた関係から、維新直後に慶喜の幕府復興を画策した謀反容疑で、皇族身分を剝奪されて庶民に落とされ、安芸藩に永く幽閉されました。広島ではなく、安芸藩の江戸屋敷だと聞きます。大坂城で病死を演じた前々将軍家茂は、おそらく京都の寺院に潜んで和宮と睦まじく暮らしたものと思われます。
維新後に岩倉邸を出て、神戸の洋学塾「水本塾」で英語を学んでいた折田は、七月二日に東山道鎮撫軍の任を解かれた具定・具経兄弟を具視から託されて、九月に長崎に逝き、佐賀藩の英語学校致遠館に入り、岩倉兄弟と共に校長フルベッキから英語を学びます。
岩倉兄弟の致遠館への入学は、具視が鍋島閑叟を通じて依頼したものですが、具視の真意はフルベッキに兄弟の留学斡旋を依頼したのです。
このことは、具視が子息二人をワンワールドの人質として差し出したことを意味し、例のフルベッキ写真はその証拠写真と見て良いと思います。時期は明治元年の晩秋と考えられますが、岩倉兄弟・宇田淵・原保太郎・折田彦市と、東山道鎮撫総督府の面々が勢揃いしているのはなかなか壮観で、関係者で姿が見えないのは小栗忠順だけです。呵呵。

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明治元年、写真師上野彦馬撮影とされる「フルベッキ写真」

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