ここ一ヶ月半ほど仕事(翻訳)に追われ、ブログ更新どころの話ではなかった。しかし、お陰様で漸く一段落した今、真っ先に思ったのは遅々として進まぬ飯山史観の執筆であった。様々な史料に目を通さなければならないという事情があった上、武漢ウイルスを巡るバカ騒ぎに気を取られ、飯山史観以外の様々な記事を、いろいろと書いてきたというのも、飯山史観のブログ記事アップが進まなかった理由の一つとなった。
その飯山史観、既に86本も書き終えている。一本目の「飯山史観の事始め」を執筆したのが2018年9月19日だから、かれこれ3年もの年月が経ってしまったということになる。当初、飯山史観のブログ記事は一年程度で完了させ、一枚のPDFに纏めるつもりでいたが、仕事もあったことからブログでの飯山史観の執筆で精一杯だった。よって、今後のブログ記事のテーマは飯山史観のみに絞り、他の興味あるテーマは放知技に書いていくことにしたい。もし、飯山史観以外のブログ記事を書くとしても、今回のように飯山史観に関連しそうな、歴史を中心とするテーマに絞っていくつもりだ。
さて、今回の主テーマである「こんにゃく物語」とは何か? 男はつらいよの第22作「噂の寅次郎」から紹介したい。
諏訪飈一郎 これは面白い本なんだよ。

寅 ほう・・・
飈一郎 今昔物語と言ってね・・・

寅 こんにゃくの作り方かなんか書いてあんの? おかしな本だねぇ。
ご存知のとおり、今昔物語は平安末期に成立した説話集だ。ふと思ったのは、飯山史観で平安時代をどのように取り上げたのか、記憶が定かでなかったので改めて再確認してみたところ、ほとんど同時代を取り上げていないことに気づいた。何故だろうと自問自答していた時、ふと目にしたのが東洋経済が掲載した、「芥川龍之介が描いた「超ダークな平安時代」の迫力」という記事であった。
筆者のイザベラ・ディオニシオさんについては、一度拙ブログでも「男と女」と題した記事に登場してもらったことがある。そのディオニシオさん、今回の記事で以下のように書いている。
「平安朝」という言葉に、どのようなイメージを抱くだろうか。
ほとんどの人は、『源氏物語』や『枕草子』に描かれているようなきらびやかな世界を思い起こすことだろう。
やはり、小生も同様なイメージを平安時代に抱いていたし、平安時代について筆が進まなかった理由も、今更ながら分かるような気がしたものである。そんなディオニシオさん、文中で今昔物語を取り上げ、同書について以下のように語るのであった。
いわゆる因果応報譚や仏教関連の説話も多く含まれているけれど、ユーモアに富んだ小話や背筋の凍る怪談や切ないラブストリーなど、『今昔物語集』のページの中にはありとあらゆる人間像が生き生きと描き込まれていて、その数々の登場人物たちは3カ国を舞台に目覚ましく飛躍する。私のような文学オタクであれば、その全世界を眺望する誘いをどう断ることができようか。
実は、このディオニシオさんの記述の中に、小生が紫式部や清少納言の作品なんかよりも、今昔物語に惹かれる理由が明白に述べられているのだ(下線)。だから、ディオニシオさんの言葉ではないが、小生も「ありとあらゆる人間像」という視座で飯山史観を書いてきたつもりである。そして、こうした視点を持つことが人として大切であり、昨今の武漢ウイルスを巡るバカ騒ぎにおいても、例えば家の冷蔵庫が空っぽという家庭の子どもたちが実に多いこと、人として努々忘れてはなるまい。
飢える子供を自己責任論で見捨てるなら、国家なんかいらないよ! [三橋TV第376回] 三橋貴明・高家望愛
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