前稿「武士の時代 11」を執筆したのが今年(2021年)の2月8日、かれこれ三ヶ月近くが経ってしまったということになる。その間、世界では実に様々な出来事があった。そうした様々な出来事の一つ一つを自分なりに追いつつ、そのうちの幾つかはブログ記事に書き残した。
それにしても、最近に至ってつくづく思ったことは、農業大革命、産業大革命に続く、今の人類が巻き込まれている第三の大革命、すなわち情報大革命は、過去の二大革命とは比べものにならないほど、我々の今までの生き方や物の見方・考え方を根底から変えてしまう、凄まじい大革命だということである。
つまり、農業大革命が人類に食糧の安定供給をもたらし、産業大革命が人類に工業製品の安定供給をもたらしてくれたわけだが、これは物質面で我々を豊かにしてくれた大革命、いわゆる〝物質中心〟の大革命だったと云えよう。一方、現在進行中の情報大革命の場合はどうか?
実は、この情報大革命は過去の二大革命とは全く性格を異にしている。すなわち、過去の二大革命が〝物質中心〟の革命だったのに対して、情報大革命は〝人間中心〟という性格を帯びた大革命ということだ。
これは、どういうことか?
最初に、現在の情報大革命の実態を把握していただく意味で、以下の論文に目を通していただきたい。 情報革命がもたらすパラダイムシフト

上に紹介した論文は、主に経済面から情報大革命を述べたものとなっており、今後は人間中心の経済が花開くと結論づけている論文だ。
では、政治という側面から情報大革命を眺めれば、どのような世界が映し出されるだろうか?
拙稿「世界権力vs.ナショナリズム」で、小生は以下のように書いている。
「従順な地球市民」の完成に向けたNWOの企みが、成功しつつあると林氏は睨んでいるようだ。しかし、それに対抗している勢力が「ナショナリズム」であり、林氏が考えているように、スンナリとNWOの企みが成就するとはとても思えない。
上記拙文にある「ナショナリズムとは「人間中心」に他ならず、その視座から世界の潮流を眺めれば、NWOの最終目標である「従順な地球市民」とは対極的にあるものこそ、「人間中心」であるということに気づくはずだ。そして、上に紹介した論文は、今後の世界経済が「人間中心」になることを暗示しているわけだが、政治面でも「人間中心」の動きが主流となることは間違いなく、このあたりからも、NWOが目論む「従順な地球市民」が、遅かれ早かれ行き詰まるであろうと、小生は予測しているわけである。そのあたりについて、小生は以下のように書いた。
しかし、皮肉にも〝落選後〟のトランプ人気は衰えるどころか、むしろ日々目覚めつつある人々がアメリカのみならず、世界中も増加しているのが現実で、バイデン政権、米国民主党、ビッグテック、大手メディアといったNWOの鉄砲玉の化けの皮が、今やすっかり剥がれてしまった。
ともあれ、現在進行している情報大革命は、最早人間の力で止めることの出来ない、「人間中心」という言葉で代表される大きな流れなのだ。そして、「人間中心」という言葉から小生の脳裏に浮かんだのが「婆娑羅」(ばさら)であった。すなわち、従来の生き方(伝統的な思考・行動様式)には囚われない、まったく新しい生き方を貫ける人たちの時代が、間もなく到来しつつあるということである。
そうした時代とは、どのような時代なのかを把握するには、過去の歴史から学ぶのが最良で、その学ぶべき時代こそが、現在の飯山史観で取り上げている室町時代、すなわち婆娑羅が台頭した時代なのである。このあたりについて小生は思考を巡らせていたため、飯山史観の新稿の完成が大分遅れてしまった最大の原因ともなった。
「人間中心」、すなわち個人が生き生きと活躍できる時代に突入しつつある今、改めて思い出すのが飯山一郎さんの以下のHP記事だ。同記事は過去のブログ記事で幾度か紹介したことがあり、たとえば「歌舞伎と遊女」・・・。

『異形の王権』(網野善彦著)に登場する魑魅魍魎とした「異形の者達」が社会変革を主導した後醍醐天皇の御代.
あの躍動的な時代が…,おそらく,新天皇の御代に,またもや復興してくる予感が,ワシにはある.
新天皇となるべき御仁には,畏れ多いことながら,「バサラ(婆娑羅)」をお許しになる“徳”の深さが垣間見える.
来るべき新時代は,旧時代とは一味(ひとあじ)違った躍動感あふれる「ダイナミック・ニッポン」といった様相を呈するはずである.
◆平成30/02/18(日) 「匠(たくみ)」の熟練された神ワザは…
飯山さんの〝予言〟、「来るべき新時代は,旧時代とは一味(ひとあじ)違った躍動感あふれる「ダイナミック・ニッポン」といった様相を呈するはずである」、こうした婆娑羅の時代に突入しつつあるのが今という時代だ。
それにしても、上掲の飯山HP記事を飯山さんが書いたのが平成30年(2018年)2月18日、逝去する五ヶ月前の記事である。そして、同記事の最終行にあった飯山さんの以下の言葉・・・
楽しみである.長生きする”甲斐”がある.
飯山さん、さぞかし心残りだったことだろう。よって、「小生が自分の目でしっかりと確認の上、いつか天国で再会した時、詳細にわたって報告させていただきますので、もう暫くお待ち願います」と、思わず今は天国にいる飯山さんに小生は声をかけたのだった。
さて、大分道草を食ってしまったが、いよいよ次稿から室町時代、そして足利尊氏について言及していこう。
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