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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
酒と音楽
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11月14日、NHKの「Switchインタビュー」が昨年の4月に放送したという、「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」の再放送を録画しておいたので、一段落した昨日の午後、初めて同番組を見たのだが、実に素晴らしいお二人の対談であった。NHK交響楽団の首席指揮者を務めるパーヴォ・ヤルヴィ氏、現在は宮城県栗原市で日本酒造りに従事、かつ、元ミュージシャンでもあったかの香織女史の組み合わせというだけあって、話題が酒と音楽へと流れていったのは自然の成り行きだったし、お二人の言葉の端端に人生の重みと哲学的な深みを感じたものである。あたかも、銘酒を呑みつつ、クラシックに耳を傾けているような心地になった。

以下、個人的に印象に残った、お二人の珠玉の言葉が発せられた、幾つかのカットシーンと共に、小生の【コメント】を付記しておこう。

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【コメント】ヤルヴィ氏が子ども時代を過ごしたという、同氏の母国エストニアはソ連の一部だったこともあり、自由というものが一切無かったのは容易に想像がつく。小生も1972年、当時はソ連邦だったモスクワに立ち寄ったことがあるが、モスクワ空港で感じた重苦しい空気を今でも思い出す。

その後、ヤルヴィ氏は父親とアメリカに移住したが、やがてソ連邦が崩壊、エストニアは独立した。しばらくして、ヤルヴィ氏は母国に里帰りしているが、自分の子ども時代とは異なり、エストニアに自由が戻っていたのを肌で感じたという。しかし、同時にエストニア人としての自己(アイデンティ)を、同胞が失いつつあるという危惧も感じたのだという。このあたり、GHQが敗戦後の日本で強制した政策により、日本人としてのアイデンティティが失われていったのと軌を一にしていると思った。

しかし、その一方で現在のアメリカで起きている、グローバリズムvs.ナショナリズムが勃発しているのも確かで、大きな変革のうねりを、我々はネットを介して目撃している。だからこそ、己れが生まれ育った国の伝統や文化を大切したいという、ヤルヴィ氏の言葉が小生の心を捉えて離さないのかもしれない。


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【コメント】かの女史からヤルヴィ氏に対して、「会ってみたい作曲家は誰ですか?」という質問が飛びだした時、小生は一瞬、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンかなと思ったのだが、意外にもヤルヴィ氏は、「彼らは私にとって神のような存在です。天上の曲を人類に残してくれた、偉大な人たちです。だから、会うなどというのは恐れ多いこと」と語るのであった。

ただ、もし過去の作曲家に会えるとすれば、自分はマーラーには会ってみたいと言う。その心は、マーラーは偉大な作曲家であると同時に、当時は最も人気のあった一流の指揮者だったからだとヤルヴィ氏は語るのであった。多分、同氏はマーラーが自身のリハーサルを、どのように行っていたのかを自分の目で確かめたいと思ったのだろう。さらに、「マーラーがスコアに書かれた記号を、どのように解釈していたのか、どういう演奏を理想としていたのか、聞いてみたい」と、静かに語るヤルヴィ氏であった。


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【コメント】作曲家という仕事は、「終わりのない旅路」とヤルヴィ氏は喩えた。これは、「日暮れて道遠し」という言葉を思い出すのだし、同氏の発言から道の思想を耳にして、東洋人、殊に日本人の心の内にある道をヤルヴィ氏が共有していたこと、小生にとって新鮮な驚きであった。

しかし、よくよく考えてみるに、ヤルヴィ氏の母語はエストニア語であり、フィンランド語と同じウラル語族のバルト・フィン諸語に属していることから、我々日本人の同胞、ツランであることに思い至ったのである。だからこそ、同氏は日本の道という思想が分かり、そんな同氏に小生は番組を通じて親近感を抱いたのかもしれない。


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【コメント】米麹で、TBSが放送していた「あんどーなつ」という、テレビドラマの「第五話」を思い出した。そうしたこともあって、米麹が懸命に生きる音に、耳を傾けるヤルヴィ氏の姿に心を奪われたのだろう。なを、「あんどーなつ」の第五話については、拙稿「他山の石(3)」で触れた。


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【コメント】英語のスピリット(spirit)は、アルコールと精神の二つの意味があるが、全く同じことをヤルヴィ氏も画面で語っていた。同氏の言うとおり、酒と人間の精神は切っても切れぬ結び付きがある。


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【コメント】飯山一郎さんの山梨県での講演会を復刻してくれた道友は、廃校保存プロジェクトを一時立ち上げていたことがある。そして、自身が卒業し、今や廃校となった新潟の母校を含め。幾つかの貴重な校歌をYoutubeで公開している。そこで、小生が卒業した加治小学校の校歌をネットで検索してみたが、残念ながらヒットしなかった。以下、加治小学校のHPに掲載されていた我が母校の校歌だ。

加治小学校校歌

秩父の山の 雪きえて ふく風きよく 麦青く
ゆたかにみのる 加治の丘 空にひばりが うたってる
明るくつよく すこやかに 仲よしみんな のびてゆこう

入間の川の さざなみに わた雲うつり 鮎はねて 
みどり葉ゆれる 阿須の山 谷に山ゆり におってる 
やさしくきよく ほがらかに 揃ってみんな のびてゆこう

われらが母校 加治小の そびゆるところ 天すみて 
はるかに開く 武蔵野や 夢も希望も かがやくよ 
くふうとじしん またくふう 力のかぎり のびてゆこう
蔵原伸二郎作詞 岡本敏明作曲


かの女史の言葉ではないが、確かに校歌というものは、その人にとって人生の一部、お年寄りや若者の心を一つにする音楽だと云えよう。

母校の子どもたちが歌った校歌を、ビデオに撮っていたのを思い出し、探してみたところ、1999年に息子が加治小学校に入学式した時のビデオが出てきた。そして、子どもたちが歌う清らかな声の校歌に耳を傾けたのだが、小学生だった当時の自分が蘇ってきたのと同時に、未来への希望に満ち溢れた、我が母校の校歌を誇らしく思った次第である。


他にも印象に残ったシーンが多い。コメントは付けないが、以下はそうしたカットシーンである。

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