拙稿「武士の時代 03」で、小生はバイオリズムについて言及した。
人にはそれぞれのバイオリズムというものがあり、周期の異なる「身体」、「感情」、「知性」という三つの身体リズムが、その人の身体で生涯にわたって繰り返えされていると云われている。小生は若い頃(二十代)、バイオリズムについて熱心に取り組んだ一時があり、カシオが発売したバイオリズム電卓を購入しているほどだ。尤も最近の研究によれば、バイオリズムは実証の出来ぬ似非科学ということになっている。それでも、人の細胞は一日あたり一兆個も入れ替わっていることを思えば、我々の「身体」は何等かのリズムというか、周期性のようなものが備わっており、それが日々変化していると個人的に思うのである。
その後、経営コンサルタントで、ユーチューバーでもある中野博氏の動画を見ている。
【警告】生命と健康に危険な年齢は32歳、41歳、50歳、59歳など9年でのバイオリズム!

最初、「厄年」(41歳)」、「9年」、そして「バイオリズム」の関連性にピンと来なかったので、ネットで検索したところ、中野氏が〝バイオリズム〟について言及している、経済誌ダイヤモンドの記事がヒットした。
『易経』に基づくと、9年で「春夏秋冬」のワンサイクルが、私たちの体を巡ります。 これを【バイオリズム】といい、人間が成功をつかむうえで、死ぬまで一生使える、“究極の時(とき)読みの法則”となります。 https://diamond.jp/articles/-/143723
どうやら、易経に基づく干支九星を「バイオリズム」、あるいは9code(ナイン・コード)と中野氏は言い換えているのが分かる。小生は干支九星に関する書籍として、沙門慶仁氏の著した『干支九星鑑定術』(月恩会藏版)、九星気学に関しては田口二州氏の『九星気学入門』(ナツメ社)を、それぞれ手に入れている。なを、干支九星と九星気学の違いについてだが、以下のサイトの一読を勧めたい。 気学と干支九星術との違い
結論として、中野氏の9codeに関心を持った読者は、最初に干支九星で基礎を身につけてから、9codeに接するのが良いと思う。つまり、スポーツで言えば、基礎体力(干支九星)をつけた上で、スポーツ(9code)に手を染めよということだ。
さて、本題の「易経とバイオリズム」に筆を進めたい。
最初に、易経を取り上げるからには、亀卜を取り上げないわけにはいかない。小生は「武士の時代 01」で、易経と亀卜の違いについて以下のように書いた。
「国体と政体の二重構造の起源」は亀卜、すなわちツランだ。つまり、亀卜の源流こそがツランなのであり、日本列島に侵入あるいは逃避してきた諸豪族は、亀卜を基底に置いたツランを出自とする、豪族が中心だったことを暗示している。そして、中国本土の場合は亀卜国家の殷王朝から、易経国家の周王朝へと変遷していった。
誤解を恐れずに書けば、易経が陰陽二元論というデジタル占いとすれば、亀卜はアナログ占いと云えよう。「人の細胞は一日あたり一兆個も入れ替わっていることを思えば、我々の「身体」は何等かのリズムというか、周期性のようなものが備わっており、それが日々変化している」と小生は書いた。このように、ヒトの身体は刻一刻と変化しているのであり、その変化の大元こそが細胞、すなわちDNAだと直感的に感じ取っているのだ。そして、易経とDNAが深く結びついていることを明らかにしたのが、今泉久雄氏の著した『易経の謎』である。以下に同書の目次を転載しておくが、特に赤矢印で示した、「DNAと先天八掛図の驚くべき符号」に注目していただきたい。



小生は四十代の頃、「日本脱藩のすすめ」というメルマガを発行していた一時期があり、その時に『易経の謎』を取り上げ、易経とDNAについて記事にしているのだが、残念ながらバックアップコピー作業に失敗したため、もう手許には残っていない。ただ、十年ほど前に個人フォルダをCDに焼いたという、朧気な記憶があるので、もしかしたら大量に眠っているCDの中に残っているかもしれないが、見つけるのが大変なので敢えて探すのはよそう。まぁ、そろそろ終活の時期を迎える身ということもあり、却ってバックアップに失敗して良かったのかもしれない。
【追記01】 自分の生年月日と今日の日付(基準日)を入力するだけで、今日のバイオリズムをグラフで表示してくれるサイト。 バイオリズムの計算
【追記02】 天台宗の大僧正であった今東光は、一方で易学の大家であったことは以外と知られていない。その今和尚が著した『今氏易学史』、日本の易学に関する書籍の中では名著中の名著として夙に知られている。長年同書が欲しいと思っているのだが、古書市場では高価なため、小生にとっては幻の本となっている。

【追記03】 冒頭の動画で中野博氏が「厄年」について取り上げていたが、手許にある『運命の研究』(武市雄図馬著)は、厄年について以下のように記述している。なを、同書については拙稿「日航機事故と明石家さんま」でも簡単に触れた。

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