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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
武士の時代 03
掲示板「放知技」で、道友の出世外人さんと一連のやり取りを行い、958で小生は以下のように書いた。

出世外人さんの「中央集約vs.地方分権」説は、基本的に日本列島内部で起きたこと(内圧説)ですが、堺のおっさんが仰せの外圧説は、その時点の日本列島内が中央集約型であれ、地方分権型であれ、それとは関係なく、一気にあるいは多少の時間をかけて、大陸から日本列島に襲来したものです。それが日本列島内の「中央集約vs.地方分権」に、どのような影響を及ぼしたのか、その結果どうなったのか、このあたりを改めて見直す必要性を感じています。


20101301.jpg
個体文明のライフ・モデルと生態環境の変化

飯山一郎さんの「外圧説」(828)、そして出世外人さんの「内圧説」(955)の詳細は、それぞれ放知技への投稿で確認していただくとして、ここで思い致すべきは文明の生死、すなわち、「生成→発展→衰退→滅亡」という一生を、必ず文明は辿るものということだ。これは人にも当てはまるのであり、やはり人は「誕生→成長→老衰→臨終」という一生を辿るわけで、そのあたりは拙稿「人の一生」にも書いた。そして、まさに人の一生は「人生如白駒過隙」なのであり、今までに多くの文明や無数の人たちが誕生しては、歴史の彼方へと消えていった。

文明の下位構成単位である国家に目を転じてみるに、やはり国家も文明や人間同様、「生成→発展→衰退→滅亡」という一生を、避けて通ることはできなかったのは言うまでもない。

ここで、少し脇道にそれてバイオリズムの話になるが、人にはそれぞれのバイオリズムというものがあり、周期の異なる「身体」、「感情」、「知性」という三つの身体リズムが、その人の身体で生涯にわたって繰り返えされていると云われている。小生は若い頃(二十代)、バイオリズムについて熱心に取り組んだ一時があり、カシオが発売したバイオリズム電卓を購入しているほどだ。尤も最近の研究によれば、バイオリズムは実証の出来ぬ似非科学ということになっている。それでも、人の細胞は一日あたり一兆個も入れ替わっていることを思えば、我々の「身体」は何等かのリズムというか、周期性のようなものが備わっており、それが日々変化していると個人的に思うのである。

なを、人間、国家、文明と異なり、文化(たとえば日本文化)や民族の気質(たとえば日本人の物の見方・考え方)は、古より大きく変化しておらず、原型を留め、今日に至っても引き継がれていること、頭の片隅に入れておこう。

さて、飯山さんの外圧説と出世外人さんの内圧説の対比だが、話を分かりやすくする意味で、最初に人の一生について考えてみたい。

人は生涯にわたり決して独りで生きていける生き物ではない。換言すれば、人は他人との接触を避けて一生を送ることはできないのだ。だから、生きている間は他人からの様々な〝外圧〟、たとえば学校に進学し、集団生活から受ける外圧、学校を卒業して社会人となると、今度は会社という組織から外圧を受ける(殊に職場の人間関係)。また、家庭を持てば家族を路頭に迷わせてはならぬという外圧、そして最後に、人生の冬を迎えて誰しもが体験する老衰、それに伴う他人からの外圧がある(たとえば医者とかケアマネジャー)。そして、人はそれらを避けて通ることが出来ぬ生き物なのだ。

以上、一人の人間に生涯の間に襲いかかるであろう〝外圧〟について述べたが、国家の場合も様々な外圧を受けるものだ。尤も国家の場合、いつ何時外圧が襲ってくるのか予測が立てられないという違いがあるし、また、一国が完全な鎖国体制を敷き、長い間にわたり貫くことが困難であったのは歴史が示すとおりだ。その時その時の国際情勢によって、他国から様々な外圧が襲いかかったのである。それでも、正確に国際情勢を分析する人材を擁していた国であれば、多少の対策は立てることはできたと思うが、それも限界があったのは云うまでもない。そうした外圧が一国に襲いかかってきた時、出世外人さんの云う内圧体制が中央集権的に向かっていったものと現在は想像しているが、そのあたりの確認は今後の宿題としたい。

20101302.jpg

それから、飯山さんが自身の外圧説に取り上げなかった、耶蘇教(イエズス会)の日本列島への影響、これも別の形での「外圧」と云えよう。耶蘇教の日本列島への影響は、遠く安土桃山時代まで遡ることができるのだし、以降様々な形で耶蘇教が日本列島に浸透していった。その意味で、はぐらめいさんが田中進二郎氏の著した、『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(電波社)を取り上げ、新シリーズを開始されたことに注すべきだろう。

小生も放知技(923)で田中氏の新著を取り上げており、以下のように書いた。

拙稿「貴族の時代 07」でも、大東亜戦争以降に皇室に浸透した、キリスト思想を小生は書いているが、飯山史観の執筆で安土桃山時代に差し掛かあたりから、一度は田中氏の玉稿を引用しつつ、日本におけるキリシタン史、そしてキリスト思想を取り上げたいと思っている。


次稿「武士の時代 04」では、政体が貴族から武士に変遷した平氏政権あたりから筆を再開するが、安土桃山時代に突入したら、耶蘇教の影響について取り上げる予定だ。
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