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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
武士の時代 02
20091201.jpg

今回は阿弖流為(アテルイ)について取り上げるが、アテルイと云えば思い出すのがNHK BS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」であり、大沢たかおがアテルイを演じていたのを、今でも鮮やかに思い出す。同ドラマを見たのは、今の今まではホンの二~三年前と思っていたのだが、ネットで確認したところ、放送されたのは2013年1月11日とあった。あれから七年以上もの時間が経ったわけで、つくづく月日の流れの早さを感じた次第である。

さて、上掲のドラマ解説に目を通すに、アテルイは蝦夷の族長とあり、世間でもアテルイの出自を蝦夷としているのが一般的である。ちなみに、蝦夷についてはウィキペディアの「蝦夷」項で、以下のように解説している。

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称である。

中央政権の支配地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。


ところが、故飯山一郎さんの考えるアテルイの出自は、世間のそれとは大きく異なっていた。以下は放知技への飯山さんの投稿である。

アテルイは蝦夷の王ではなく,じつは韃靼・突厥の王です.
(蝦夷人には,アテルイのような獰猛さはない.)

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/13073855/4/


アテルイの出自は蝦夷ではなく韃靼・突厥の王とする、上掲の飯山さんの投稿を目にした時、もう少しで小生は椅子から転げ落ちそうになったほどである。何故なら、小生も世間同様、アテルイの出自は蝦夷とばかり思っていたからだ。念のため、ウィキペディアの「アテルイ」項では以下のように解説している。

阿弖流爲(あてるい)、または大墓公阿弖利爲(?~延暦21年8月13日)は、日本の奈良時代末期から平安時代初期の古代東北の人物。

8世紀末から9世紀初頭に陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)で活動した蝦夷の族長とされ、古代日本の律令国家(朝廷)による延暦八年の征夷のうち巣伏の戦いにおいて紀古佐美率いる官軍(朝廷軍)の記録中にはじめて名前がみえ、延暦二十年の征夷の後に胆沢城造営中の坂上田村麻呂に自ら降伏した。その後は平安京付近へと向かったものの、公卿会議で田村麻呂が陸奥へと返すよう申し出るが、公卿達の反対により盤具公母禮とともに河内国椙山で斬られた。


よくよく考えてみれば、確かに飯山さんが仰せの通りで、蝦夷(アイヌ)は平和志向の民族だった。実は小生、二十代前半の頃に都内の専門学校で、二年制の貿易を学んでいた時、アイヌを研究していた先生の知遇を得、アイヌについて多くを学んだのだし、その後も事ある毎にアイヌについての書籍、あるいはテレビのドキュメンタリーを精力的に見てきたこともあり、今では飯山さんの主張に同意できるのだ。

よって、以降は飯山さんの説に従い、アテルイの出自を韃靼あるいは突厥の王として筆を進めさせていただく。

最初に、拙稿「高麗神社と皇室」に載せた、栗本慎一郎のイラストを以下に再掲しておこう。

18121603.jpg

併せて、前稿「武士の時代 01」に再掲した、ツランから日本に至る歴史の大河を再確認していただきたい。

ツラン→ツングース→殷→箕子朝鮮→北魏→北燕→邪馬台国→馬韓→扶余→百済→日本


飯山史観の正しさを実感している身として、上掲の栗本イラストには同意できない点が多々ある。たとえば、扶余は北魏の流れを汲む亀卜国家である点について、栗本氏は見落としているといったことだ。

ここで、アテルイの活躍した八世紀から九世紀は、上掲の栗本イラストから400年以上の時間的な隔たりがあるが、このあたりを照査する時間的な余裕が今のところ無いので、韃靼・突厥族が日本に侵入したのは、アテルイが誕生した少し前、すなわち飛鳥時代(592~710年)から奈良時代(710~794年)前半にかけてと睨んでいるのだが、今のところ確証はない。しかし、飯山さんが第五番目の外圧とするくらいなので、相当数の韃靼・突厥族が、同時期に北日本に侵入してきたものと思われる。

そして、大和朝廷は韃靼・突厥族の侵入に危機感を抱いて制圧を試み、ついに延暦二十年(801年)、アテルイが坂上田村麻呂に自ら降伏した時点を以て、第五番目の外圧の危機を乗り越えたと云えよう。しかし、考えてみれば大和朝廷にしても、元々は大陸から日本列島に侵入してきた豪族だったのだし、その意味で第五回目の外圧は新旧豪族同士の戦だったと云えよう。

その後、平安時代末期に平氏政権(1167~1185年)が誕生、政権が貴族から武士の手に渡り、その後700年にわたって武士の時代が続いたということになる。

次稿からは、以下の時代区分に沿って、「武士の時代」シリーズを書き進めていこう。

平安時代 794~1185年
鎌倉時代 1185~1333年
室町時代 1336~1573年(南北朝時代・戦国時代)
安土桃山時代 1573~1603年
江戸時代 1603~1868年


【追記】
安倍総理の父方のルーツは、安倍宗任を祖とし、安倍氏44代目の末裔であると、河北新報オンラインニュースが2020年5月1日に報道している。一方、拙稿「安倍晋三のルーツ」において、安倍総理の母方のルーツについても併せて書いているので、関心のある読者に一読戴ければと思う。ちなみに、安倍総理の母方のルーツには、岸信介、佐藤栄作といった、日本の政界に君臨した蒼々たる大物がいた。そして、岸信介も佐藤栄作もルーツが田布施である。この田布施こそ、日本史を解く鍵語(キーワード)だ。

その意味で、上掲の拙稿で紹介している、飯山さんの「日本は今も田布施の国」シリーズの一読をお勧めしたい。
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コメント

方言周圏論ではありませんが、縄文人のDNAが、アイヌ人と琉球人に強く残っているようです。アイヌ人は縄文人(の末裔)と考えていますが、東北地方などに「アイヌ語地名」がのこっているということは、韃靼・突厥の言葉がのこっていることになりますか。
落合史観では、秋田の鷹巣などは、タカスとの関連があるようです。
[2022/08/06 08:01] URL | 横山仁 #- [ 編集 ]

日本列島とツラン
投稿有り難うございます。

> 韃靼・突厥

実は、『みち』で「地政学と伝統玄秘学」というシリーズが連載中で、筆者の神子田龍山さんが壮大な歴史絵巻を描いています。そして、最新号(8月15日号)では、「約六〇〇〇年前の縄文時代、アルタイ的民族が日本列島に移住し、新しい文化を齎した」とする、数ある最新分子生物学の一説を紹介していましたが、未読であれば一度是非目を通してみてください。

落合莞爾さんか・・・、懐かしい名前です。小名木善行氏の「むすび大学」の動画でも、何度か落合さん登場していましたね。

ところで、『みち』の執筆者や読者が集う、まほろば会というのがあります。小生は今秋の10月か11月に久しぶりに顔を出す予定ですが、横山さんも都合が良ければ一度ご参加ください。
[2022/08/06 08:49] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]


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