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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
貴族の時代 07
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明仁親王とヴァイニング夫人

現在、仕事の合間に飯山史観シリーズの下調べを進めているが、明治以降の藤原氏の動向、殊に皇室に嫁いだ藤原氏の娘について確認作業を進めているうち、思い出した本がある。

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『隠された皇室人脈』(園田義明)

この本は、皇室のキリスト化を考察するにあたって欠かせない本であり、米国人ヴァイニング夫人(クエーカー教)から影響をお受けになった少年時代の皇太子明仁親王、カトリック教とは縁の深い上皇美智子様、そして皇后雅子様を思えば、現代の皇室を考察するにあたって、キリスト教は欠かせぬテーマの一つとなる。このあたりの参考資料については、以下のブログ記事を一読して戴くとして、本稿では明治以降において、皇室に嫁がれた藤原氏の娘について再確認しておこう。
キリスト教205~皇室とキリスト教

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昭憲皇太后の父・一条忠香は、江戸時代後期の公卿で、関白・一条忠良の四男。一条家は摂関家の一つ。

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貞明皇后の父・九条道孝は、江戸時代後期の公卿で、左大臣・二条治孝の八男。九条家は五摂家の一つ。

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香淳皇后の父・久邇宮邦彦王は、久邇宮朝彦親王の第三王子。久邇宮(くにのみや)は、明治時代前期に、伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王が創立した宮家。伏見宮家は持明院統の嫡流で、北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王を初代とする宮家。


そして、香淳皇后以降は、正田美智子、そして小和田雅子と、相次いで民間人が皇室に嫁いだ。

20050701.jpg

さて、時計の針を中臣鎌足の時代に戻す。拙稿「貴族の時代 06」で、小生は以下のように書いた。

(関裕二・藤井輝久の)両者とも中臣鎌足コピー説で一致しているのは面白い。できれば関氏の著作に目を通した上で、藤井氏の本と比較してみたいと思うのだが、近く本業(翻訳)が以前のようなペースに戻ることから、当面はお預けになりそうだ。


そんな折、俳優の武田鉄矢が以下の動画をアップしているのを知った。


【武田鉄矢】実は隣国の人だった!?中臣鎌足の日本乗っ取り計画と大きな誤算『続・磐井の乱』~後編~

「実は隣国の人だった!?中臣鎌足」という表題に惹かれ、結局最後まで観たのだが、期待外れもいいところだった。武田鉄矢は関裕二氏の著した、『磐井の乱の謎』(河出書房新社)の内容を、鵜呑みにしていることが一目瞭然だったからだ。そして、武田の説明(読後感)通りの内容の本なら、同書は読むに値しないと思った。関氏が大化の改新が史実であると思っているのだろうと、武田の動画を観る前に薄々感じてはいたが、上掲の動画を観て小生の直感が正しかったことを知ったのだし、『天皇系図の分析について』の藤井輝久氏ほどには、百済三書を解読しているわけでもないことを知った。その証拠が、中臣鎌足の正体を余豊璋(百済最後の王となった義慈王の王子)としている関氏の説である。藤井氏のように、徹底的に百済三書を追究していれば、中臣鎌足=余豊璋(百済王子)などという結論に至るはずがない。ともあれ、藤井氏が主張する中臣鎌足=金庾信(新羅の将軍)」+「郭務悰(唐の官吏)」説、ますます信憑性が高まってきたことになる。

加えて、古墳時代の日本の支配層の98.5%が、渡来人だったと藤井氏は書いているが、これもほぼ間違いないと思う。それに関連して、関氏が勘違いしているのは、当時の朝鮮半島にいた倭人の正体だ。このあたりは拙稿「貴族の時代 05」にも書いたことだが、やはり民間の歴史家であった山形明郷先生が、以下の言葉を遺しているのを思い出していただきたい。

倭人は現韓半島の南部、すなわち慶尚南道の海岸地帯から、全羅南北道の広汎な地域にわたって住んでいた『在地原住民』なのである。その居住区域は、極めて広く、また、その数は厖大なものであったと思われるのである。
『卑弥呼の正体』p.210


しかし、半島にいた倭人とは日本人のことだと、今でも信じている人たちが圧倒的であるのは残念だ。以下は、、デジタル大辞泉が定義している「倭」・・・。

1.日本人の住む国。古代、中国から日本を呼んだ名。
2.(和)日本のものであること。日本的であること。「和の技術」「和に親しむ」


藤原氏に話を戻す。藤原氏は藤原道長(966年~1028年)の時代に絶頂期を迎え、その後は次第に皇室への影響力を低下させていったものの、冒頭に書いたとおり、千年近くにわたって香淳皇后まで、藤原氏は娘を皇室に嫁がせてきたことの意味は大きい。しかし、それでもなを微動だにしなかったのが天皇霊性である。たとえば、今でも続く天皇の毎朝の祈り、天皇霊性が健在であることを示している。だから、過去に幾度もあった皇統断絶を乗り越え、藤原氏から娘を嫁がされても、天皇霊性を堅持してきたことを思うと、感動すら覚えるのである(旧ブログ「天皇霊性の時代」参照)。よって、皇室に入り込んできたキリスト教という新しい流れがあるにせよ、天皇霊性は不変であり続けるに違いない。

次稿では武士の誕生に筆を進める予定だか、境のおっさんに紹介してもらった、『武士の起源を解きあかす』(桃崎有一郎)などを参考資料にする予定だ。以下は、境のおっさんの放知技への投稿である。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16557737/991/

あるいは、武士の誕生を省いて、一気にアテルイについて筆を進めるかもしれない。このあたりは、今のところ特に決めていない。最近は飯山史観の執筆が滞りがちだが、これもコロナ禍を通じて世界が大転換期の真っ只中にあるからで、アフターコロナに関する記事が今後も多くなるが、このあたりはご勘弁願いたい。
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