 映画「タクシー運転手」
録画してあったNHK BSの映画、「タクシー運転手」を観た。物語の粗筋は、光州事件が勃発した1980年5月、緊急取材に来韓したドイツ人のジャーナリストを、空港で偶然客待ちしていたタクシー運転手が乗せ、無事に光州入りを果たしたものの、軍隊が銃を市民に向けて無差別に射殺していくという、残酷な光景を目の当たりにした二人、取材を終えるやいなや、命からがらタクシーを飛ばしてソウルに戻り、無事に韓国からテープを持ち出したジャーナリストが、その生々しい映像を公開、全世界を震撼させたという、〝事実〟に基づいた内容だ。
 光州事件鎮圧部隊のパレード参加 市民の反発高まり取り消し
二十代の頃の小生は、1970年代後半から1980年代前半にかけ、二度ほど渡韓しているが、当時の小生は光州で銃殺された若者らと同年代だったものの、光州事件については当時の日本の新聞テレビ等で、表層的に知識として知っていた程度で、韓国を旅していた時は特に光州事件を思い出すでもなく、地元の韓国人の友人らと光州事件について語り合ったわけでもない、単なるノンポリの若者の一人であった。
 光州
爾来、40年の歳月が流れ、上掲の映画で昔の光州事件を思い出した小生は、映画を観ながら何か引っ掛かるものがあった。そこで映画を観終えた後、何故に引っかかるのだろうかと、何気なくネットで関連記事を読んでいたところ、上掲の映画と光州事件を取り上げた記事、「韓国映画『タクシー運転手』の大ヒットで浮上した歴史論争」に出会った。
同記事は韓国人ジャーナリストの崔碩栄氏が書いたもので、韓国人の視点を通して見た光州事件ということで、個人的に大変参考になった。当時は軍事政権下にあった韓国の光州で起きた、若者を中心とした「民主化運動」だったと崔氏は指摘した後、光州事件の〝闇〟にスポットライトを当てている。ここで、崔氏の云う闇とは何なのかについて、さらに明確にする必要性を感じたので、上掲記事「韓国映画『タクシー運転手』の大ヒットで浮上したという、「歴史論争」についての同記事の記述を引用しつつ、自分なりに整理してみた。
■光州事件の闇(1)- ヒンツペーター(ドイツ人ジャーナリスト) 崔氏は、ヒンツペーター(ドイツ人ジャーナリスト)について、以下のように書いている。
韓国の一部では、韓国のイメージに悪影響を与えているその映像について「朝鮮総連と韓民統(韓国民主回復統一促進国民会議)が送った御用記者だ」という批判がされてきた。韓民統とは、韓国の朴正煕政府に抵抗するために、当時野党の指導者であった金大中が1973年に日本で在日韓国人らとともに結成した団体だ(結成準備過程で金大中拉致事件が起こったため、結成は在日韓国人 金載華代表代行のもとに行われた)。この韓民統がヒンツペーターを韓国に潜入させ、光州事件を取材させ海外に発信することで韓国政府に対する批判的な世論を作り出したというのだ。
韓民統は民主化後の1990年に韓国大法院の判決により、北朝鮮政府、及び朝鮮総連にならび「反国家団体」との判断が下された団体であり、韓国では事実上、朝鮮総連の影響下にある「総連系団体」として認識されている。とはいえ、ヒンツペーターと朝鮮総連、 韓民統との接点を示す証拠は確認されていないため、「陰謀論」の一つに過ぎないという見方が大勢であった。
要するに、ヒンツペーターが韓民統からの回し者だった、とする陰謀論については決定的な証拠は無い、と崔氏は突っぱねているわけだ。
ここで、ウィキペデアの「金大中」項を読むに、金大中は「民主化運動に取り組んでいた」と記載されているとおり、朴正煕、さらには全斗煥による軍事政権という〝悪の権化〟に対抗し、祖国韓国の民主化に取り組んだ運動家というプラスのイメージが、韓国はもとより日本でも定着している。
しかし、上記に「朝鮮総連と韓民統」とあるように、民主化運動に取り組んでいた金大中の韓民統が、北朝鮮と朝鮮総連との繋がりがあったとする記述に注目することが大切だ。同時に、光州事件の起きた1980年当時は、未だに米ソ冷戦の真っ只中にあったことを思い出すべきである(その後、1991年12月にソ連が崩壊)。
ソ連崩壊から30年近くが経った今、改めて米ソ冷戦とは出来レースであった、と個人的に確信するのである。つまり、1917年のロシア革命によってソ連を誕生させたのは、他ならぬ西側だったというのは、紛れもない歴史的事実だからだ(拙稿「パンツを脱いだサル 4」参照)。
また、ヒンツペーターはドイツ人のジャーナリストだったということから、小生の脳裏に浮かんだのがゾルゲだった。ヒンツペーター同様にドイツ人だったゾルゲが、コミンテルンのスパイだったことを思えば、ヒンツペーターもコミンテルンのスパイだった可能性を考えないわけにはいかない。ヒンツペーターの正体が、コミンテルンのスパイだったのかどうかという結論を出すにあたり、もう一人の人物を検証する必要がある。
■光州事件の闇(2)- 金砂福(タクシー運転手) それは、金砂福というタクシー運転手だ。崔氏は金砂福について以下のように書いている。
一方、タクシー運転手 金砂福は光州事件以降の行跡がほとんど知られていない謎の人物だ。しかし、ヒンツペーターの自叙伝によると、金砂福は映画に描かれていたように金浦空港で”偶然”彼をタクシーに乗せたのではなく、入国する前から彼を乗せるために空港に待機しており、光州に移動しながら、光州の状況について金砂福から説明を受けたと記載されているのだ。ヒンツペーターがどのような経緯で金砂福を知り、連絡をとったのかについては不明だ。それゆえに、ヒンツペーターと韓民統、朝鮮総連の「連携説」を主張する人たちは金砂福が朝鮮総連や韓民統のスパイだと主張するのだが、彼の行跡が霧の中に隠れてしまっているために証明することもできず、それらの主張は「陰謀論」という批判を受けてきたのである。
果たして、金砂福が朝鮮総連や韓民統のスパイだったのか、それとも違うのか・・・。もう少し深く追究してみよう。
■光州事件の闇(3)- 文世光事件 崔氏は、光州事件と文世光事件に、上記の金砂福というタクシー運転手が絡んでいたという、実に興味深いことを書いている。
この記事に登場する「金砂福」、つまり1974年に暗殺犯 文世光が利用した車両の所有者が1980年に ヒンツペーターを乗せて光州に出かけた金砂福と同一人物であることを裏付けるかのような証言をしているのは他ならぬ金砂福氏の息子だ。
映画ではソウルのナンバープレートをつけた、緑色の個人タクシーが登場するが、実際、?砂福氏は個人タクシーの運転手ではなく、ソウルパレスホテル所属のホテルタクシーを運転する運輸事業者だった。1969年に初めて登場したホテルタクシーは、ホテルの宿泊客を相手に営業していたタクシーで、タクシーとの表示はなく、車種も黒のセダンである。 - KBSニュース 2017年9月9日-
韓国のインターネットは騒然とした。朝鮮総連が関連していることが明らかになっている「文世光事件」と朝鮮総連、韓民統の関連が陰謀論として囁かれ続けてきた「光州事件」の間に「金砂福」という接点が発見されたのである。そうなると、「陰謀論」は荒唐無稽な主張などではなく歴史の再検証を行うべき課題であると、議論されるようになった。そして、この結果によっては、韓国の現代史の叙述は180度方向が変わることもあり得るのだ。
映画とは大部かけ離れた、タクシー運転手像ではある。その運転手の息子が公開した写真、つまり、ヒンツペーターと金砂福は、単なる客とタクシー運転手という間柄ではなかったことが、以下の写真で一目瞭然だ。
 1975年10月3日、チャン・ジュナ氏が疑問死した京畿道抱川の薬師峰にキム・サボク氏(右から3人目で正面を向いた人)とユルゲン・ヒンツペーター記者(キム・サボク氏の左のメガネをかけた人)が、ハム・ソクホン氏と共に踏査に行った様子=キム・スンピル氏提供//ハンギョレ新聞社 『タクシー運転手』キム・サボク氏の長男「本当の父の姿を知らせたい」
ここで、拙稿「二・二六事件と現代」にも書いたように、当時の大日本帝国陸軍内部では統制派と皇道派とに分かれ、対立していたことを思い出していただきたい。つまり、コミンテルンに通じ、日本の赤化を企んでいた統制派が韓国で云えば金大中サイド、一方で日本の赤化を防止しようとしていた皇道派が、韓国で云えば全斗煥サイドだったとしたらどうか?
ここで、改めて世界戦略情報誌『みち』に掲載された、天童竺丸編集長の記事を思い出していただきたい。
二・二六事件と近衛上奏文 4 ● スターリン個人の資質は別にして、ソ連という人工実験国家の意味を考えるとき、われわれが世界権力と呼んでいる黒い貴族とユダヤ国際資本の連合体は日本解体を目指して対日謀略工作の手綱を依然緩めるどころか、敗戦を単なる一里塚として、ますます巧妙に破壊工作を繰り出し続けていると考えなければならない。米国議会がほとんど与り知らないというTPPへの加盟も、女性宮家の創設などの国体に対する揺さぶりも、日本の根幹を何としても破壊せんとする彼らの必死の表われと見なすべきである。彼らは日本をほとんど蝕み尽くし食い尽くしたと思うかもしれない。だが、われわれに信がある限り、日本は亡びない。
結語として、崔氏は以下のように書いている。
■光州事件の闇(4)- 陰謀論か? 歴史の発見か?
だが、点と点を繋ぐ「?砂福」という名前がもたらした衝撃は陰謀論として蓋をしてしまうにはあまりにも大きい。検証したところで、結果がやはり所詮は陰謀論に過ぎなかった、という結論に至る可能性もゼロではない。それでも、真剣にこの陰謀論に向き合うこと、例えばヒンツペーターが長い時間をかけて何を取材し、報道してきたのか、韓国国内だけではなく日本国内での彼の活動を検証すること、それは歴史的事実を確認するための鍵となるかもしれない。乱暴な言い方かもしれないが、曖昧に幕引きが図られた感が否めない文世光事件。北朝鮮の脅威が伝えられる今だからこそ、韓国社会はもちろん、日本社会もこの事件にもう一度きちんと向き合うべきではないだろうか。
果たして、全斗煥は韓国の〝真崎甚三郎〟だったのかどうか、このあたりを検証することにより、光州事件の全容が見えてくるだろう。
 記者の質問に答える全斗煥(2019年3月11日)
ふと、まほろば会(2009年8月22日)で、山浦嘉久さんが以下ように語っていたのを思い出した。
・金大中の国葬に北朝鮮は金正日の側近中の側近である金己男(キム・ギナム)を派遣する予定。これは、意外と早く南北統一に繋がるかもしれない。
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