再びコロナ禍前の仕事量に戻りつつある気配が感じられた先週後半、依頼された仕事を四苦八苦して先週末に片付け、ホッとした昨日の月曜日は、お気に入りのブログ記事を読んだりYouTubeを鑑賞したりして過ごした。そして、その間に「六甲山」という新ブログ記事を書いている。昨日発売された世界戦略情報誌『みち』(6月15日号)を校正時、村上稿にあった「神功皇后は三韓貴族の出身」という記述に触発されたからだ。
詳しい解説なしに書いた記事なので、恰も万華鏡に映し出される不思議な映像を眺めるが如く、「石屋」、「平等」、「カタカムナ」等々、一見お互いに何等脈絡のない言葉がポンポン飛び出してきて、頭が混乱した読者も少なからずいたのではないだろうか。
ただ、「石屋」という言葉一つとっても、この言葉を誰もが理解できるような形で、詳細な解説記事の形にするとなると、数十ページの記事になってしまうのが容易に想像かつくのだし、そんな長大な記事を、一つ一つの言葉ごとに書いている時間的な余裕がないことから、あのような読者を突き放した記事になってしまったわけである。
よって、本当に気になる言葉があったら、その言葉をキーワード(鍵語)に、小生のブログや他のブログ記事、書籍、ネット記事などに当たり、「石屋」なら「石屋」という言葉の意味を歴史的な観点から探り、己れ自身の「石屋」像を構築していっていただきたいと思う。何となれば、人間は考える足、もとい葦なのだから…
そういう点で、オレはガンになったことを非常に感謝しているんだ。というのも、オレみたいな奴は、考える先に殴ったり、ケンカしたり、バカなことに精力を費してきた。それがガンにとりつかれたおかげで、動いちゃいけない、激しい運動しちゃいけないというんで、ジーッとひとつの問題を追究していけるようになった。よその奴が持てない時間をもらったんだと思っているから、前途の不安も何もありゃあしねえ。未解決な問題をいくつか残してくたばるより、そのうちのひとつだけでも、自分で「これが結論だ」というものを見つけるまで物を考えるべきだと思うんだ。人間は〝考える葦〟なんだから、考えなかったら何にもならないじゃないか。 どんな命も花と輝け

礼子 大事よ、考えるって。ほら、『人間は考える葦だ』って言うでしょ。

寅 え……? 誰がそんなこと言ったの?

礼子 西洋の偉い哲学者…

寅 へえー、偉い人は足で考えるのかい。オレは頭で考えるのかとばかり思ってたよ。 男はつらいよ「葛飾立志編」
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