前稿「800年周期」にも書いた仕事部屋の大掃除、昨夕、漸く終わった。今回はコロナ禍もあって、時間的な余裕があったことから、単に本や書類の整理だけではなく、不要な本、あるいは良書でも残りの人生の時間を考えると、多分今後において読むことはないだろうと判断した本など、次々に(思い切って)ボール箱に入れていった。お陰様で、大分書架に空白スペースができたことから、当面は書架スペースを気にせずに、安心して次の書籍を購入することができそうだ。
段ボールに仕舞う本、書架に戻す本とに仕分けしていた時、ふと目に留まった二冊の本があった。それは、『枕草子』と『徒然草』…、両書が仲良く並んでいたのだ。小生は、あまりの偶然の一致に唖然…
と言うのも、実は本の仕分け作業の少し前、以下の記事を読んでいたからでR。 もし「清少納言」が「兼好法師」と語り合ったら

記事の筆者は、イザベラ・ディオニシオさんというイタリア人で、母国の大学で日本古典を専攻した女性だ。現在は日伊の翻訳を生業にしているようで、同じ翻訳者として彼女の翻訳観に関心を持ったことから、同記事に目を通し始めたのだった。そして面白いと思ったのは、彼女は日本の古語(古典)を今風な現代語、しかも超意訳の日本語に訳していたことだ。たとえば、以下は兼好法師が赤裸々な女性観を述べている行…。
かく人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性はみんなひがめり。 人我の相深く、貪欲甚だしく、ものの理を知らず、ただ迷ひの方に心も早く移り、詞も巧みに、苦しからぬことをも問ふ時は言はず、用意あるかと見れば、また浅ましきことまで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れることは、男の智慧にも勝りたるかと思へば、そのこと後より顕るるを知らず。素直ならずして、つたなきものは女なり。
イザベラさんは、以下のように超意訳していた。
【イザ流圧倒的意訳】 オトコがオンナに対して気を遣わないといけないというけど、じゃあその肝心なオンナってのはすごいかと言えば、全然逆で、もう最低で最悪、みんな性格が腐っている。我が強くて、欲も深くて、非合理的で、くだらんものにだけ飛びつく。口が達者だが、せっかく聞いてやっているのにくだらないことでも言わない、そのくせに黙っているかと思ったら、聞かれもしないことをペラペラとしゃべる。企んだり、ごまかしたりすることに関してはオトコよりも一枚も二枚も上手だけど、いざバレると気づきやしない。素直なところが一つもなく、つまらん存在、それがオンナというものだ。
う~ん、まさにその通りだわい、と小生は思った(てなことを書くと、放知技の女性読者に張り倒されそうなんだがwww)。
それにしても、イザベラさんが取り上げた二冊の古典、『枕草子』と『徒然草』、長年にわたって仕事部屋の書架に仲良く並んでいたのは、果たしてコレ、偶然だったのだろうか、と暫し考え込んでしまった次第…。
ただ、これだけは言える。小生は吉田兼好のような生き様に共鳴している。というよりは、法師のような生き様を自分も歩んできたようなところがあるのだ。だから、上掲の法師の言葉を読みながら、「いいねぇ、法師、そして、その生き様」とつくづく思ったのだ。

ふと、ドラマ「深夜食堂」を思い出した。マスター(小林薫)が開いている「めしや」に、みゆき(田畑智子)という売れない若い演歌歌手が、猫まんまを食べに来るようになった(第二話・猫まんま)。みゆきのポスターを店内にマスターが貼っていたところ、なじみ客の男連中が騒ぎだした…。それを見ていたお茶漬けシスターズ、そうした男連中を呆れたように見つめながら、「(女が)若けりゃ誰でもいいのよ。男は簡単ねぇ~♪)という台詞を吐くシーンを咄嗟に思い出した次第…(爆)。

なんとも男に対する強烈なカウンターパンチwww イザベラさんが同記事の冒頭に、「男は火星から、女は金星からやってきた」と書いていたのも頷けるというものだ。
表題の「男と女」に目が留まり、「亀さんなら、スケベー満載の記事を書いたに違いない!!」と、本記事に速攻でアクセスしてきた読者の皆さん、実際は真面目な古典の話だったのでガッカリつうか、拍子抜けしたことだろう。ご期待に添えずに申し訳ない…(爆)
最後に、今日のテーマを書きながら、親しくしていただいた故宍戸幸輔翁が謹呈してくれた、『摩訶不思議な男と女の関係』を思い出したことを告白しておく。ちなみに、宍戸翁は渡辺格博士とは無二の親友であった。 渡辺格博士と宍戸幸輔翁
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