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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
貴族の時代01
早いもので、今日で五月中旬も終わり、明日からは下旬に突入する。今のところ、今月手掛けた仕事(翻訳)はゼロ…。この仕事を始めてから20年が経つが、もし今月の仕事がゼロとなれば、これは初めての体験となる。それだけ、今回のコロナ騒動が如何に深刻なものだったかということが分かるだろう。無論、五月に入っても仕事の打診メールが数本あったものの、得意な分野ではなかったり、翻訳料金で折り合いがつかなかったといった理由で、すべて断った。先月中旬まで、ほぼ連日十時間以上のペースで半年にわたって仕事を熟してきたこともあり、今年一杯は仮に仕事ゼロでも大丈夫な状況にあることから、特に焦りといったものは感じていないものの、いつまでこうした状況が続くのかと、気にはなることが時々あるのも確かだ。まぁ、仕事量が元に戻るまでは、精力的に飯山史観に取り組み、未だ終わっていない昨年末の大掃除をやったり、溜まりに溜まった書籍を読んだり、録画しておいた大量の動画から特に気に入ったものを選んで観たりするなどして、自分なりの充電期間として当面は過ごしていくつもりだ。

では、早急に飯山史観について筆を進めていこう。

大唐帝国の軛から脱し、国造りを成し遂げた天武天皇が崩御して以降、中臣鎌足を始祖とする藤原氏が台頭、貴族支配型の時代に突入したというのが、奈良時代から平安時代にかけての主な流れだが、この貴族支配型、実は千年以上が経過した今でも続いているのだ。より正確に言えば、「天武天皇 19」で述べたように、藤原氏の台頭により貴族支配型政治が暫く続いた後、今度は武士が台頭してきて徐々にその勢力を強め、徳川家康によって武家支配型の時代が確立したわけである。それでも、貴族は日陰で生き延びてきたのだ。その貴族支配型の時代が、再び息を吹き返す切っ掛けとなったのが明治維新で、爾来、今日に至っても貴族支配型が継続しているということになる。ここで、「貴族支配が続いている?」と、首を傾げる読者が少なくないかもしれないので、このあたりを今回は詳述しておこう。

最初に、小生は「天武天皇 19」で飯山さんが遺してくれた、歴史を観る〝物差し〟を二本紹介しているが、実はもう一本ある。それは、2019年4月12日に掲示板「放知技」で発表された、出世外人さんの以下の〝物差し〟だ。

 *大和政権草創期:分権的
    ↓
 *奈良時代~平安時代中期:中央集権的(大宝律令制定 現在に続く徴税機構と官僚機構の成立
    ↓
 *平安時代後期~鎌倉時代:地方分権的
    ↓
 *建武親政:中央集権的
    ↓
 *室町時代~戦国時代:地方分権的
    ↓
 *織豊期:中央集権的
    ↓
 *江戸時代:地方分権的
    ↓
 *明治時代:中央集権的
    ↓
 *大正時代:分権的(大正デモクラシー)
    ↓
 *昭和・平成:中央集権的(大政翼賛、国家総動員法)、グローバリゼーション

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/349/


ここで、奈良時代の「現在に続く徴税機構と官僚機構の成立」という説明文に注目していただきたい。これが、冒頭で述べた貴族支配型、別の表現を用いるとすれば官僚支配型を指しているわけで、紆余曲折(一時の衰退)はあったものの、現代にわたっても生き永らえてきたのが貴族(官僚)であり、それが千年以上にわたって続いているわけである。そうした官僚支配型国家の礎を構築した人物こそが、中臣鎌足の〝子〟である藤原不比等ということになる。

ここで横道に逸れるが、通説では藤原不比等は藤原鎌足(中臣鎌足)の〝子〟とされているが、実は不比等は人ではなく、組織を指していると主張していたのが栗原茂さん、そしてシバちゃんことマヨさんだった。今でもネットに残っているブログ「シバちゃんのため息」にある、「サンカの親分」という記事に注目して戴きたい。

結局のところ、藤原不比等という四部族の合成家系がその頂点にあり、その四家がそれぞれの全国ネットを築いたのである。大江山霊媒衆というのは近江に渡来した佐々木源氏部族で、その主家が藤原北家となったため、それ以来影となって北家を支え続けてきたのだ。そしてその配下には全国の渡来職能集団がいて、それらがサンカだったのである。


一読して、頭が混乱した読者が多かったのではないだろうか…。

実は小生、シバちゃんことマヨさんと不比等を巡って議論を交わしたことがあり、お互いに平行線をたどるばかりで埒が明かなかったことから、判定役として小生が懇意にしていた、皇室情報に詳しい栗原茂さんに直接確かめたところ、マヨさんの説に軍配が上がったという次第である。

つまり、不比等の四人の子されている、房前(北家)、麻呂(京家)、宇合(式家)、武智麻呂(南家)は、それぞれ四部族を指しているとする、マヨ説を栗原茂さん支持したわけだ。爾来、十年の時間が流れたが、小生は今でも完全にお二人の部族説あるいは組織説に納得しているわけではない。ただ、不比等と四人の息子が人であれ、組織あるいは部族であれ、どちらでも構わないと今では思っており、歴史という大河から見れば、こうしたことは些細な小波に過ぎないのだ。要は、不比等以降は藤原北家が栄えて今日も続いているという事実を指摘しておけば、今のところ十分かと思う。そのあたりは、拙稿「天武天皇 17」で北家について簡単に述べた。

20050701.jpg

出世外人さんの物差しに話を戻す。改めて出世外人さんの物差しを眺めるに、日本という国家は二つの型、すなわち「中央集権」と「地方分権」とが交互に繰り返されてきたことに気づくことだろう。実はこれ、昨今の堺のおっさんが主張する道州制と根底で繋がっているのだ。

そして、刮目すべきは出世外人さんの以下の言葉である。

それでは「和」時代はどちらに向くのかというと、やはり地方分権化の方向で、「道州制」的な体制は自然な流れに思えます。

グローバリズムがオールドファッション化し、ネオコンが弱体化、トランプ氏やプーチン氏など、非介入路線のリーダーが世界を守っています。

日本も、国内をしっかり固めて、日本を取り戻す、調整の時期に入る、といったところではないでしょうか。


過去において、日本列島では「中央集権」と「地方分権」が繰り返されてきた要因(引き金)こそが、飯山さんの言葉を借りれば「外圧と占領」なのだということを念頭に置きつつ、改めて出世外人さんの上掲の投稿を熟読玩味していただければと思う。

それから、上掲の引用で「和」と、小生は令和の令を赤文字で示した。それは、令和の「令」は律令の「令」を指しているのではないかと、指摘する道友(小ボンボンさん)がいたのだ。実に鋭い指摘だし、かつ意味深長だ。

【追記1】
小生は最近、拙ブログで「日本列島」について多角的に述べたが、そうした小生の日本列島観を後押ししてくれる動画が、二日後に公開されたので以下に紹介しておこう。


【武田邦彦】ついに来ます!本当の「日本」が復活する日が。私は心からそう思っています

武田氏の「温暖な列島は日本だけだった」、という発言に注目していただきたい。この言葉の意味するところは深長だ。

【追記2】
旧ブログで、「覇王不比等」という記事を書いたことがある。執筆したのは2007年4月10日と、今から13年前の記事であり、その後は小生の不比等観の変化もあって、今では見直したい箇所が多々あるものの、関心のある読者に一読していただけたら幸いだ。

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