本日の1月11日、台湾で総統選が行われる。多くのマスコミが蔡英文総統の圧勝を予測しており、小生も1月5~7日にわたって訪台しているが、同様に蔡総統の圧勝という空気を感じ取ることができた。
今回、久方ぶりに台湾を再訪したのは、台北の中心から電車で30分ほどの所にある、北投温泉の湯に漬かりたかったからだ。そして、せっかく台湾を再訪するのだから、旅のお供にということで一冊の本を旅行バッグに詰めたのだが、それは『李登輝の偉業と西田哲学』(柏久 産経新聞出版)という本であった。

昨年の10月25日に上梓されたという同書の存在は、旅立つこと二日前、台湾関連の情報入手にネット検索していた折に知り、即アマゾンに注文、届いたのは訪台前日の午後ギリギリであった。だから、初めて同書のページを開いたのは成田空港へ向かう車中だったのだが、やがて同書の世界に没頭していく自分がいた。結局、同書を読了したのは三日後、成田空港に着陸する一時間ほど前で、久方ぶりに青線や赤線で一杯の本となった。読了に時間がかかったのは、幾度も同書を閉じて思索を重ねることが多かったためである。中でも、深く思索を重ねたのが著者である柏久氏の哲学観、そして親鸞であった。
■柏久氏の哲学観 柏久氏の哲学観を一言で言い表すなら、「死と使命」ということになろうか。柏氏は同書の中で以下のように述べている。
西田のフィロソフィーレンに影響された李先生(李登輝)、その使命は公儀に尽くして台湾の人々を幸せに導くというものだった。またわが父祐賢の使命も、より良い農学の実現によってより良い農業、延いてはより良い社会を導く、ということだったと言える。いずれにしろフィロソフィーレンは、人生における最大の苦悩である死の恐怖を克服するための道を導くだけではなく、この世において自らに与えられた使命を自覚させてくれるのである。 『李登輝の偉業と西田哲学』p.126
最初に「死」。昨年の12月17日、長期入院中だった母(享年92歳)が静かに息を引き取った。親戚や近所の助けもあり、滞りなく喪主としての務めも無事に終えた今、現在は2月1日に執り行う忌明けの準備に大童の日々を送っている。こうした身内との別れを体験した直後の訪台だっただけに、柏氏の語る死生観に思うことが多かったのだろう。
実は、西田幾多郎、柏祐賢(柏久氏の父)、李登輝の三者に共通するものが身内の死であり、三者とも各々最愛の長男に先立たれている。これは偶然という言葉で片付けられるようなものではなく、人間世界の不思議さを感じたものである。だからこそ、人が最も恐れている死についての柏久氏の言葉には、鬼気迫るものを感じたのも道理であった。
西田の場合、長男のみならず、妻をはじめとする他の身内も時期を前後して亡くしているが、西田の場合、こうした具体的な形の悲哀だけに留まるものではなかった、と柏氏は語るのであった。
人間にとっての一回限りのこの世(此土)での人生が有限であること自体が悲哀であるというのである。宇宙が無限であるのと比すれば、人の一生など無きに等しい。現実を対象的・物質的に見る限り、それは紛れもない事実である。しかし人生とはそれだけのものなのであろうか。もしそれだけのものなら、ひとは救われない。そこで宗教というものが出てくることになる。 『李登輝の偉業と西田哲学』p.116
この柏氏の言葉、自分も実母を亡くした直後だっただけに、一層身に染みた行であった。
次に「使命」。柏氏は哲学と使命についても以下のように述べている。
愛知すなわちフィロソフィーがもたらすものはひとそれぞれで異なるであろうが、それは、阿弥陀仏すなわち宇宙の理によって与えられた此土(この世)における「使命」なのだと、私は考えている。 『李登輝の偉業と西田哲学』p.124
自分も、一昨年の夏にアルゼンチンを訪れ、友人宅に一か月ほどお世話になっていた時、今後の己れの生き方についての思索を重ねたものであり、以下のようなことを小生は書いた。
今振り返るに、アルゼンチンでの一ヶ月間は、冥途までの暇潰しを決定付ける旅となったようだ。 アルゼンチンで思ふ(8)
すでに、「飯山史観」というカテゴリに書き連ねてきた同史観編集の作業日誌、記事総数が60本に達しており、飯山史観完結までに最低でも150本の記事を書くことになると思うので、60本ということは漸く三分の一強を終えたことを意味している。
完結した暁には一枚のPDFファイルに纏め、掲示板「放知技」の同志に配布、最終的なチェックを依頼した後、アマゾンあたりから電子出版の形で出したいと思っている。それにより得た収益は、志布志市に飯山さんの石碑を建立したいという、堺のおっさんの提案に賛意を示していることもあり、その建立資金に役立てて欲しいと思う。
飯山史観を完成させた後の話になるが、健康体である限り、一年の半分は日本、残り半分は海外で生活するという、大雑把な人生計画を立てている。旅行資金に関しては、ノートパソコン一台あれば世界の何処でも仕事ができるので(アルゼンチンで体験済み)、特に心配はしていない。無論、単なる物見遊山の旅や長期滞在で終わらせるつもりは毛頭なく、思索の旅あるいは滞在にしていくつもりだ。これは、拙稿「無」に示した井筒俊彦の「東と西の生きた思想的対話の場」、という言葉の実現を念頭に置いたものであり、これは、柏氏が同書で述べる以下の結語にも相通じるのである。
結局、人間にとってもっとも根源的な問題である死を乗り越え、「いかに生きるべきか」を教えること、使命感を植え付けることなのである。 『李登輝の偉業と西田哲学』p.135
ここで、柏久氏の本には、ヨーロッパの若者の間で西田哲学ブームが起きていることを匂わす記述がある。
西洋の若者二〇人ほどが案内人に先導され、熱心に展示物や流れる音声に耳を傾けているのに出会い、いかに西欧において西田哲学が注目されているのかもわかった。 何故いま西田哲学に注目しなければならないのか? 科学主義イデオロギーの席巻によって、人間を「物」としてしか見ることのできなくなっている現状は、こころを失った人々が不幸の道を転げ落ちている状態だからである。
…中略…
いまや世界には一国主義、拝金主義がはびこり、「正義」が滅びた感がある。それに気づきはじめた一部の西洋人は、主観と客観を分離することなく、現実をありのままに捉え、主体的に生きる道を示す西田哲学に注目しはじめたのである。そこには対立ではなく、調和を導くヒントが隠されているからである。 『李登輝の偉業と西田哲学』p.126~127
また、拙稿「日本人は何を考えてきたのか」でも、小生は以下のように書いた。
改めて西田幾多郎の凄さを再認識し、現在世界で西田哲学が見直されつつあることを知った。
■親鸞 『李登輝の偉業と西田哲学』を通読して、最も驚いたのが親鸞についての行であり、その行を目にするまでの自分は、西田幾多郎の哲学に最も大きな影響を与えたのは、禅宗だろうとばかり思っていた。しかし、そうではなかったことを知った時、愕然としたものである。その親鸞と西田幾多郎の繋がりを語る柏久氏の言葉には重みがあり、かつ、西田哲学の真髄に触れることができたことから、柏氏には心から感謝したい。
西田の宗教が禅ではなく親鸞だ、ということに私が気づいたのは、二人の学者との出会いがあったからである。決定的であったのは、維摩経を研究する宗教学者橋本芳契との出会いであり、橋本との出会いを導いたのは、京都学派に属する哲学者大嶺顕との出会いであった。 『李登輝の偉業と西田哲学』p.101
■日本精神 今回の訪台で最も印象に残った光景がある。それは、滞在先のホテルから北投温泉行の地下鉄駅に向かう途中で目にした、あるビル前の歩道で目撃した光景で、一人の老婆が歩道を清掃していたのである。日本では当たり前の光景なのだが、それを台湾という異国の地で目撃した時は、心から感動した自分がいたのであり、咄嗟に脳裏に浮かんだのが同じ台北に居を構える李登輝であった。こうした光景が今でも台湾に残っているのは、李登輝の偉業であると云っても過言ではなかろう。その後、読み進めていた『李登輝の偉業と西田哲学』の中で、以下の記述に出会った。
李(登輝)氏は,「(例えば)ゴミひとつ落ちていない社会、日本のそういう秩序が台湾の国づくりに欠かせない」という。「公」よりも「私」が優先された国民党政権時代の教育の残滓が、現在でも色濃く残る「中国人化」した台湾社会に影を落としていることは確か。このことが国際社会における「台湾自立」のための足かせになっていると李氏はいいたげだ。 李氏は、危機をバネに困難を克服、成長を遂げようとする日本人の根底に「哲学」「秩序」があると肌で感じ、その「力」を台湾に応用するべく思いをめぐらせているようにみえる。同時に「日本人」を原風景とする李氏は、いまの時代を生きている「日本人」にも、そのことを伝えようとしているに違いない。 『李登輝の偉業と西田哲学』p.147
帰国後、「■日本精神」について筆を進めていた時、脳裏に浮かんできたのが黄文雄氏であった。黄氏の日中比較文化論は一読するに値するが、そのあたりを如実に物語っている行があり、この機会に紹介しておきたい。それは、黄氏の著した『日本人の道徳力』の第4章「善悪とは何か」である。殊に、第5節「仏教の明快な善悪の判断基準」に親鸞が登場しているのに注目していただきたい。また、同章は優れた日中文化比較論というだけではなく、我々日本の大人が日本のみならず、世界の若者に伝えていくべき、ある種の指針ともなり得るものだと思った次第である。だから、海外に長期滞在の折には、現地の若者と積極的に交わり、黄文雄の云うところの「日本人の道徳力」について、彼らに語り聞かせたいと密かに思っている。
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