
小生は『飯山一郎最終講義』に、「飯山史観を後世に遺す」と題する追悼文を寄稿、飯山史観に基づき、以下のような日本人のルーツの大枠を示した(p.145)。
ツラン→ツングース→扶余→百済→日本
今の時点で読み返してみるに、大分端折ってしまった感が強い。そこで、これを詳細に示そうとしたら以下のようになった。
ツラン→ツングース→殷→箕子朝鮮→北魏→北燕→邪馬台国→馬韓→扶余→百済→済州島→九州宮崎→志布志・種子島→大阪・難波→奈良
前稿「天武天皇 01」で「天武天皇は百済国の王子」と書いた手前、ツランから百済まで(済州島以降は略)、参考となりそうなHPやブログを引用しつつ、上に示す日本人のルーツのラフスケッチを描いてみることにしよう。
■ツラン ツラン→ツングース→殷→箕子朝鮮→北魏→北燕→邪馬台国→馬韓→扶余→百済
 ツラン民族圏
ツランについて語る前に、ホモサピエンスがアフリカを脱出した当時まで、一気に時計の針を戻してみる。
脱アフリカ組のホモサピエンスの一部が、コーカサス山脈を越えてシベリアに進出しているが、この集団が後にツラン(太古シベリアの諸民族を総称)となった。そのツランを構成する民族は大きく分けて三つあり、モンゴル民族、トルコ(テュルク)民族、そしてツングース民族だ。そして、最後のツングース民族こそ、百済国のルーツだ。 北方モンゴロイドの拡散(ツングース族、モンゴル族、テュルク族の起源)
もう一点、忘れてはならないのがツランを誕生させたシベリアで、そこは、人類文明の策源地となった。このあたりについては、拙稿「ツランの原郷」を参照されたい。
その他、旧ブログの拙稿「ツランという絆」では、ツランに関する様々な史料を紹介した。
 ※ 『大興安嶺探検』(今西錦司編集 朝日文庫)については、拙稿「歩く思想家」を参照のこと
ツランから百済までの日本人のルーツについて、一気に書き上げるつもりでいたが、どうも無理なようなので、項目ごとに書き分けていきたいと思う。よって、次稿は「■ツングース」について筆を進めよう。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
|