
JBpressの一本の記事(以下)に目が留まった。拙稿「今を生きる」で自省録について書き、さらに「世界権力と童話」で合気道について書いた身として、この両者を結びつけた同記事に興味深く目を通した次第である。 古代ローマの人生訓と合気道精神はこんなに似ている
一読して、前稿「今を生きる」を思い出させる記述が多いと思った。そう思った記述として、「いまこの瞬間こそ重要」、「すべてが瞬間ごとに変化していること」などがある。さらに、「宇宙ではすべてがつながっている」という記述に接し、合気道の修行時代を懐かしく思い出した次第である。また、本の題名は忘れたが、図書館で借りた合気道の本に載っていた、イラストも同時に思い出したのである。それは、縁側に腰を下ろしている植芝盛平翁のイラストだったのだが、何気なく庭を眺めていた植芝翁が、宇宙との一体感を悟った瞬間を描いたイラストで、その時、涙が翁の頬を伝わったという。そのイラストが忘れられないのは、当時の自分には分からないまでも、翁の氣が小生に伝わったからではと、今にして思う。

同記事の筆者である佐藤けんいち氏は、小生同様、若いころに合気道の修行に励んでいたとあり、留学先のアメリカで合気道を指導していた体験をもとに語った、以下の言葉は印象深い。
私の個人的な関心ではあるが、合気道という20世紀の日本生まれの武道が、意外なことに『自省録』を貫く精神に相通じるものがあることを見ていきたいと思う。
加えて、佐藤氏の以下の言葉、同じく合気道の修行をしてきた身として、心から同意する次第である。
逮捕術に使用されているため、合気道が女性警察官にとっては必須のスキルとなっていることは、比較的よく知られていることだろう。たしかに護身術としても有用だ。だが、単なる「術」ではない。あくまでも基本は「道」であり、きわめて思想性の強い武道なのである。
この「道」についてだが、英語道を提唱しておられた松本道弘師範に、「道」についての多くを教えていただいており、改めて自分は合気道から英語道へと、道を追い求めてきたのだなと思った。尤も、この道は果てしなく、日暮れて道遠しといった感が強い。

最後に、個人的に最も強く惹かれたのが以下の文章…。
大本教の教祖・出口王仁三郎のもとで、約8年にわたってスピリチュアルトレーニング(=精神修行)を行っていた植芝盛平(1883~1969年)には、『合気神髄』や『武産(たけむす)合氣』という言行録が没後に出版されているが、言霊学(ことだまがく)をはじめとする「古神道」(こしんとう)関連の思想が濃厚に流れ込んでおり、慣れていないと違和感を覚えるだろうし、独自の概念とロジックが展開しているので、正直いって理解するのは簡単ではない。

大本教、出口王仁三郎、そして言霊と、JINMOさんが世界戦略情報誌『みち』に連載中のテーマそのものである。ミュージシャンであるJINMOさんが、どのように出口王仁三郎を描くのか、どのように言霊について言及するのか、今から非常に楽しみだ。
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