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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
古墳時代 07
前稿「古墳時代 06」で、亀さんは以下のように書いた。

飯山史観の古墳時代という「料理」を作る前に、昨日集めた記事や投稿という「食材」から、どのような「料理」ができるのか、今から楽しみだ。


ところが、未だに何の「料理」を作ろうかと、具体的な「料理」を決められないまま、三週間が流れてしまったwww。それはともかく、以下のpdfファイルは、放知技で検索した古墳時代についての投稿から、これはと思うものをピックアップしたものだが、これに飯山一郎さんから直接受けた講義内容と組み合わせつつ、思いついたテーマを徒然なるままに書き連ねていきたい。
http://www.nextftp.com/tamailab/etc/houchigi_kofun.pdf

ここで、上掲のpdfファイルを見た読者は、「検索に使ったキーワードが少ないのでは?」、あるいは「仲哀天皇、北魏、馬韓、卑弥呼、シャーマニズムといった、他にも重要なキーワードがあるのに、何故使わないのか?」と思ったことだろう。しかし、放知技の投稿すべてが古代史についてのものではないし、意外とpdfファイルに示す若干のキーワードだけで、重要な投稿が相当数ヒットする上、ダブっている投稿も多いのだ。ともあれ、飯山さんの頭の中にあった古墳時代観については、上掲のpdfファイルに挙げた飯山さんの投稿で大凡がわかると思う。

それから、拙稿「古墳時代 05」では、古墳時代について以下のようなテーマを取り上げたいと書いた。

・外圧と占領
・応神天皇の出自
・墳丘墓(クルガン)と古墳
・武士の誕生
・志布志ハブ港
・唐仁古墳群
・原田古墳
・横瀬古墳
・ツランの影響
・太陽信仰と聖方位
・熊襲と隼人
・知覧 


上掲の一部のテーマに加えて、その後思いついた様々なテーマについても筆を進めていこう。そこで、今日のテーマは「熊襲と隼人」。

■熊襲と隼人
19031701.jpg

「熊襲と隼人」というテーマに基づいて古墳時代に思いを巡らすと、飯山さんの投稿(2018年1月4日)が脳裏に浮かぶ。つまり、『日本書紀』の「応神天皇紀」以前は「熊襲」と呼んでいた集団が、いきなり「応神天皇紀」以降は「隼人」と呼称するようになったという飯山さんの投稿である。しかし、それ以上に重要なことは、「仲哀天皇を射殺したのは譽田別尊(ホンダワケのミコト)を酋長とする熊襲族」とする、同投稿にある飯山さんの記述だと思う。

大隅半島まで熊襲征伐に遠征して来た仲哀天皇を「賊矢」で射殺したのは…
譽田別尊(ホンダワケのミコト)を酋長とする熊襲族であったことは間違いない.

ホンダワケは,政治と軍事は武内宿禰(タケノウチの宿禰,弥五郎どん)に任せ…
高麗人,百濟人,任那人,新羅人らの来朝時は,権威的な外交を行っていた.
河内王朝の統治構造は,仁徳天皇陵の如き「権威」を高揚させる政治であった.
しかし,その河内王朝を打ち立てた「軍団」が,熊襲族であったこと!
このことを↑↑『日本書紀』は巧妙に隠しているが…
応神天皇紀からは,「熊襲」が一切出てこず,代わりに「隼人」がデビューしたことは…
ウラ側の事情(「熊襲隠し」)が,逆に,ミエミエになっているwww

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16340424/49/


念のため、日本書紀全文のデータベースで確認したところ、「熊襲」でヒットしたのは、「景行天皇~成務天皇」、「仲哀天皇紀」、そして「神功皇后紀」の3件のみだった。以下は、最後の「神功皇后記」に登場する熊襲についての記述である。

然後、遣吉備臣祖鴨別、令擊熊襲國、未經浹辰而自服焉。


次に、「隼人」で検索すると8件ヒットした。最初にヒットした「神代下」を除き、続く二件目の「履中天皇~反正天皇」から先は、全て応神天皇の御代から以降である。そこで問題は、応神天皇の御代以前について書かれた「神代下」の以下の記述である。

始起烟末生出之兒、號火闌降命。是隼人等始祖也。


因みに、手許の『日本書紀』(宇治谷孟 講談社学術文庫)を紐解くと、同書p.59に登場する「隼人」に注(2)と記されており、p.89には以下のような解説があった。

(2)隼人 大隅・薩摩の地方に住んでいた種族で、宮門の警護や歌舞に従事することが多かった。


飯山史観について多少なりとも知る読者であれば、「神代下」にある「隼人」、もしかしたら当初は「熊襲」と記してあったのでは…、といった勘が働くことだろう。そうした読者であれば、上掲の飯山さんの投稿の冒頭にある、以下の記述が理解できるはずだ。

>応神天皇(ホンダワケ)が、実質的な日本の国家構造を作られた


という堺のおっさんの発言に対して、飯山さんは以下のように応えている。

このことは↑↑『日本書紀』と『古事記』を,眼光紙背,注意深く読めば見えてくるはずだ...


「眼光紙背」…。この言葉に接すると、飯山さんの別投稿(2017年9月16日)を思い出さずにはいられない。

世の中,ほとんどの人々は,文章(テクスト)の表面の意味にとらわれて,文章の背
景(コンテクスト)を読まない.
だっから,テクストだけでなくコンテクストをキチンと読める人だけがE~おもいを
するワケで.www

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16216140/411/


次稿では、コンテキストと絡めて、『日本書紀』が成立した背景について少し言及してみよう。
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