
大分前から、東洋経済に寄稿している村田らむ氏に注目している。それは、拙稿「釜ヶ崎」でも紹介したような、社会の底辺に生きる人間像を描く、同氏の筆が実に冴えているからだ。たとえば、「20代無職の男が大阪・釜ヶ崎で見出した希望」といった記事だ。むろん、それだけではない。サラリーマンから起業した人たちのルポも面白い。

こうした多様な男女の生き様を読むにつれ、新しい元号に切り替わる次の時代こそ、婆娑羅の時代になるのではという予感がする。それまでは、『東光のばさら対談』の記事を一読してもらえたら有難い。
柴田錬三郎 井上ひさし 戸川昌子 野坂昭如 平岩弓枝 瀬戸内寂聴

なを、婆娑羅と言えば楠木正成だが、この正成を今東光は高く評価していた。その意味で、今東光と奈良本辰也の対談も、南北朝に関心のある読者にとって必読だ(下線は亀さん)。 今東光×奈良本辰也対談 1
奈良本 日本の最初の歴史哲学は『愚管抄』ですよ。歴史の発展は道理の経験だということをいって一本通している。これもやっぱり慈円が比叡山の上におって、関東の荒武者どもが入ってきて、今まで立っておった貫主の地盤がみながらがらと崩れていくのを見ながら書きあげたのが『愚管抄』ですからね。歴史というのは、やっぱりそれで書かれたやつは本物なんです。これまでの一切の知識をばーっと吸い出されるんですね。太平に慣れていると昔やったことを忘れているけれども、そういう時になってくると、やっぱし出てくると思うんだね。 今東光×奈良本辰也対談 4
 奈良本辰也(左)と今東光
また、毎晩少しずつ和尚の『毒舌日本史』を再読している。それは、現在編集中の飯山史観で南北朝を扱うからだ。殊に、楠木正成についての和尚の筆は鋭く、大変参考になる。ともあれ、今東光和尚の楠木正成観、「飯山史観」の南北朝編で取り上げる予定だ。

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