本シリーズでは既に4本の記事を残しているが、記事の核となっているのは飯山(一郎)さんから直接受けた講義であり、2016年10月3日から6日にかけて中国の青州で第一回目の講義を受け、続く2018年3月3日~4日に第二回目を大阪で受けている。そして、『飯山一郎最終講義』(飯山一郎・野崎晃市共著 銀河書籍)への寄稿「飯山史観を後世に遺す」にも書いたことだが、本来であれば第三回目、すなわち飯山さんが全部で三回あるよと仰せだった講義の最終回を、今年あたり志布志で受けるはずであった。
亀さんには、青州、そして今回の大阪と、私の古代史観を伝えてきたが、これで終わりではありません。もう一回会う必要があります。そうすれば、亀さんに伝えたい私の古代史講座は完結します。だから、今度は志布志市でお会いしましょう!!!!! 『飯山一郎最終講義』p.147
しかし、2018年7月20日に飯山さんが逝去、最終講義は幻の講義になったと、当初は思っていた。ところが、野崎晃市博士が飯山さんが逝去した当日受けた最終講義こそ、飯山さんが亀さんにも受けてほしいと思っておられた最終講義であったことが、今年の1月下旬に志布志市を初訪問したことで追認できたのである。その意味で、飯山さんによる最終講義を志布志で〝受けることができたのは、多忙であったのにも拘わらず、案内していただいた在志布志の同志のお蔭であり、ここに心から感謝の意を表したい。本当にありがとう。

当初の飯山史観の編集方針として、応神天皇、天武天皇、そして南北朝を中心に、飯山さんが遺してくれた膨大な飯山HP(てげてげHP)の記事や、掲示板「放知技」の飯山さんの投稿を、一つずつ丹念にチェックしていく作業を進めることで、飯山史観という巨大なジグソーパズルを完成させるつもりでいたのだが、応神天皇、天武天皇、そして南北朝だけではなく、南北朝から現代に至るまで、否、新天皇の御代になって以降の日本についての見通しも書かねばと、先月の志布志訪問で痛切した次第である。何故なら、「飯山史観を後世に遺す」ことで、5月1日以降がどのような時代になるのか、そして我々はどのように生きていけばよいのかという見取り図を示すことで、初めて「飯山史観を後世に遺す」という作業が完成すると思うに至ったからである。
新天皇となるべき御仁には,畏れ多いことながら,「バサラ(婆娑羅)」をお許しになる“徳”の深さが垣間見える.
来るべき新時代は,旧時代とは一味(ひとあじ)違った躍動感あふれる「ダイナミック・ニッポン」といった様相を呈するはずである. ◆平成30/02/18(日) 「匠(たくみ)」の熟練された神ワザは…
ここで注目すべきは、誕生日会見における皇太子殿下のお言葉である。
この国の未来を担う若い人たちが、夢を大切にしながら自分の能力を発揮できる環境が整ってきたことの証であると思います。

ともあれ、当面手掛けていかなければならないのは応神天皇だ。膨大な飯山HPの記事や放知技の投稿から、ジグソーパズルの一部となる「応神天皇」関連のピースを一つずつ探していき、これはと思うピースをはめていく作業に、これから本格的に着手していきたい。無論、その間も本業(翻訳)に追われていない限り、拙ブログに飯山史観や他のテーマを、今まで通り書き連ねていく所存である。
ちなみに、この古墳時代シリーズだけでも、書きたいテーマが以下のようにある。
・外圧と占領 ・応神天皇の出自 ・墳丘墓(クルガン)と古墳 ・武士の誕生 ・志布志ハブ港 ・唐仁古墳群 ・原田古墳 ・横瀬古墳 ・ツランの影響 ・太陽信仰と聖方位 ・熊襲と隼人 ・知覧
まだまだ書きたい古墳時代のテーマが続々と出てきそうだが、その都度、作業日誌として記事にしていくつもりだ。
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