歌舞伎の元祖は、お国(出雲阿国)という遊女であった。以下は、ウィキペディアの「歌舞伎」の項に載る、お国の画像だ。

遊女については拙ブログでも、「峰不二子と遊女」をアップしたことがあり、その中で、網野善彦の著した『異形の王権』を取り上げている。実は、飯山(一郎)さんも「てげてげHP」で同書を紹介しており、中でも注目すべきは以下の記述だ。

『異形の王権』(網野善彦著)に登場する魑魅魍魎とした「異形の者達」が社会変革を主導した後醍醐天皇の御代.
あの躍動的な時代が…,おそらく,新天皇の御代に,またもや復興してくる予感が,ワシにはある.
新天皇となるべき御仁には,畏れ多いことながら,「バサラ(婆娑羅)」をお許しになる“徳”の深さが垣間見える.
来るべき新時代は,旧時代とは一味(ひとあじ)違った躍動感あふれる「ダイナミック・ニッポン」といった様相を呈するはずである.
◆平成30/02/18(日) 「匠(たくみ)」の熟練された神ワザは…
神計らいで、数週間前に肆部合の石碑を訪れた。飯山さんの言う婆娑羅の時代が到来するかどうかについては、掲示板「放知技」の本スレの常連さん、すなわち堺のおっさん、mespesadoさん、Conganasさん、ままりんさん、そして猿都瑠さんの投稿を熟読すれば、自ずと世界が大きく変わりつつある兆候が読み取れるだろうし、その意味で、実に面白い時代に生まれたものよと、天に感謝したい気持ちで一杯になる。
さて、ウィキペディアの「歌舞伎」の項に戻り、歌舞伎の元祖お国が遊女だったかどうかはともかく、『異形の王権』に注目すべき記述がある。
鎌倉期までは「公民」に所属するものとして、また神仏に仕える女性として、天皇家・貴族との婚姻も普通のことであった遊女は、南北朝期以降、社会的な賤視の下にさらされはじめる。
……中略……
遊女もまた、ここに聖から賤に転落したのである。 『異形の王権』p.241
何故に「遊女もまた、ここに聖から賤に転落した」のか、このあたりを深堀すると、南北朝以降の時代背景と重なるであろう、新天皇の御代が朧気ながらも見えてくる。

長々と遊女について書いてきたが、もう一つの主テーマである歌舞伎、最近放送されたNHKの「ファミリーヒストリー」で、六代目・中村勘九郎が登場していたので注目した。「ファミリーヒストリー」は、拙ブログでも幾度か取り上げているが、今回の内容も実に良かった。それにしても、毎回同番組を見るたびに思うのは、父から子へ、そして子から孫へと受け継がれていくDNAである。

それから、六代目・尾上菊五郎の人物に惚れた。菊五郎は妾の子として生を享け、早くに父を亡くし、大変な苦労を重ねた歌舞伎役者だったが、それだけに、同じように早くに歌舞伎役者の父を亡くした、子供たちの後ろ盾となって支援したという生き様は、人として実に偉いと思った次第である。

また、中村勘九郎の父であった十八代目 中村 勘三郎が、平成中村座を命を削って立ち上げたことを知るに及んで、今度公演があったら一度足を運んでみたいと思った。

 中村勘九郎の二人の息子の初舞台
 中村勘九郎本人の初舞台
 息子の初舞台を心配そうに見守る父の十八代目 中村 勘三郎
 十八代目 中村 勘三郎の初舞台と父の十七代目 中村勘三郎
半世紀ほど前、『歌舞伎の見方』(石田一良 講談社現代新書)という本を入手したものの、積読のままなのだ。平成中村座に行くことが決まったら、予め目を通したいと思う。

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