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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
歌とシャーマン 2
拙稿「歌とシャーマン」で取り上げた「歌とシャーマン」(福寛美 南方新社)は、志布志からの帰りの船の中で読了、続いて『怨歌の誕生』(五木寛之 双葉文庫)は、数日前にお江戸両国亭に行った時の車中で半分ほど読み終え、帰宅後に残りを仕事の合間に一気に読了した。ちなみに、お江戸両国亭で高座を務めた落語家とのご苦労さん会でも、亀さんはポケットから通読中の『怨歌の誕生』を取り出し、藤圭子について少し話をしている。

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亀さんが『歌とシャーマン』という本に深い関心を寄せたのは、上掲の拙稿「歌とシャーマン」で紹介した飯山(一郎)さんの言葉、「天皇家と日本民族の根底にあるシャーマニズムの本質にせまる「音楽論」でもある」にもあるように、日本の本質=シャーマニズムを歌という観点から抉り出してみせた本だったからだ。

拙稿「歌とシャーマン」を書いた時点では、同書を未だ入手していなかったのだが、読了した今、簡単な同書の読後感を以下に書いておこう。

■瞽女
ウィキペディアによれば、「瞽女(ごぜ)」とは「日本の女性の盲人芸能者」とある。表層的には確かにそれで間違いはないのだが、そこには「霊性」の視点が欠けている。ウィキペディアはさらに続けて、瞽女とは「三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人」と追記しているのだが、『歌とシャーマン』の著者である福女史の場合、瞽女について以下のように書き表している。

瞽女の歌にはこのように霊力が認められていました。それと同時に瞽女は人気の高い芸能者でもありました。通俗的な歌でありながら非日常的な霊力を発揮する歌、という瞽女の歌のあり方に思いを致す時、藤圭子の歌の哀調、凄み、そして人の魂をゆさぶる激しさを著者は想起します。
『歌とシャーマン』p.53


ここで、五木寛之も魂をゆさぶられた一人だったことを書いておこう。ちなみに、下掲で「私」(五木)が言及しているLPレコードは藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」で、どうやら、「私」である五木の弟が置き忘れたものだったようだ。その弟のLPレコードを偶然手にした五木は、軽い気持ちでプレーヤーにかけた…

そんなわけで、私は深夜、どうしようもない行きづまった気分のままそのLPレコードを聞くまで、藤圭子という歌手に興味もなかったし、特別な印象もなかったと言っていい。ところが、その晩、不思議なことが起こったのだ。私がかけたレコードは、これまでに聞いたどんな流行歌にも似ておらず、その歌い手の声は私の耳ではなく体の奥のほうにまで、深くつき刺さってくるような感じをあたえたのだった。
『怨歌の誕生』p.237~238


五木の云う、「その歌い手の声は私の耳ではなく体の奥のほうにまで、深くつき刺さってくるような感じ」の正体は何か…。すでに『歌とシャーマン』に目を通し、瞽女の歌の本質を知った読者であれば、その正体が分かっていることだろう。

なお、上掲の五木の文章は、「怨歌の誕生」という短編小説の一節であり、同題名の書『怨歌の誕生』には「怨歌の誕生」のほか、三本の短編が一緒におさめられている。

五木が短編小説「怨歌の誕生」を発表したのは1970年8月とある。五木は1932年9月30日生まれだから、五木38歳の時の作品だ。それから49年近い歳月が流れているが、もし、五木が福寛美の『歌とシャーマン』を今読んだとしたら、どのように感じるだろうかと、ふと思った。それは、拙稿「一日一生」にも書いたことだが、半世紀が経った今日の五木は、「見えない世界」へ大きく軸足を移したであろうと、容易に想像できるからだ。五木よりも20歳下の亀さんですら、四十代後半に突入したあたりから、徐々に「見えない世界」へ軸足が移るという体験をしているだけに、なおさら五木の読後感に関心がある。

生まれたばかりの赤ん坊は、見えない世界の感覚で、この世を生きています。それが歳を経るごとに、見える世界の部分が多くなり、もう見えない世界の記憶などまったく忘れてしまう。

それが人生の後半になると、いままで影を潜めていた見えない世界とのかかわりがふたたびはじまり、自分の中の、見える世界と、見えない世界との割合が逆転してくる。そして、軸足が徐々に見えない世界に移っていくのではないでしょうか。

『百歳人生を生きるヒント』p.207~208


■霊力
福女史は「おわりに」で、重要なことを書いている。

霊力はシャーマンでなければ見ることも感じることもできず、捉えがたいものではありますが、この世界に確かに存在しています。また、歌声も霊性や聖性を持つことがあります。歌声は本来、歌い手と聞き手が対面状態にある一時のもので、その状況から離れたら印象だけしか残らず、定義もしににく捉えがたいものです。その捉えがたいもの同士が相似しているのは、シャーマンの力と歌い手の歌の力がよく似ているからだと思います。
『歌とシャーマン』p.120


明らかに、福女史は「見えない世界」を知っている。

■巫女
再びウィキペディアをひも解くと、「巫女」とは「日本の神に仕える女性」という定義が目に飛び込んでくるのだが、果たして、それだけだろうか…。誤解を恐れずに敢えて書けば、瞽女と巫女はコインの裏表のような関係にあり、本質は一だと云えないだろうか…。つまり、瞽女が「歌姫」とすれば、巫女は「舞姫」なのであり、両者とも霊性を有している、といった点で共通しているのだ。

この霊性というか霊能は、血を通じて身内に伝わっていくものであり、そのあたりについて福女史は以下のように書き表した。

母娘二代に天才の遺伝子があると天才が生まれるという遺伝子説があるが、現代の歌姫宇多田ヒカルはまさに天才の母・藤圭子の血と天才の祖母・竹山澄子のDNAを受け継いだのだ。
『歌とシャーマン』p.57~58


亀さんの母も霊性の鋭い持ち主だったが、三人兄弟で母の霊性を受け継いだのは真ん中の弟であり、残念ながら亀さんには霊性はない。しかしながら、母と弟という霊性を受け継いだ者の存在を知るだけに、霊性というものの存在を信じている。

それから、五木がレコード会社で働いたことがあるという行を読んだ時、渡辺正次郎氏の顔が浮かんだものである。その渡辺氏も発売前の数あるレコードの中から、ヒットするであろうレコードを確実に言い当てていたあたり、霊性というよりは霊感の鋭い持ち主であることが分かるのだ。その渡辺氏は自著『芸能人、ヤクザ、政治家は弱い者イジメが大好き』で、藤圭子の自殺を巡って自論を展開しているが、ほぼ真実と思って差し支えないだろう。

以下、拙稿「高麗郷を歩く」でも紹介した藤圭子に関するページを再掲しておく。

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