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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
歌とシャーマン
一年半ぶりに顔を出した土曜日のまほろば会、そして平成最後の天皇誕生日の飯能忘年会と、二日続いた集いに共通していたテーマは音楽であった。ここで、飯山一郎さんは二年前の年末に、以下のようなHP記事を書いている。
志布志の『くにみ書店』で買った本

たとえば、同記事には次のようなことが書いてある。

『細胞分裂の驚異の仕組み』という特集記事は,生命現象の謎に迫っていて,1個の受精卵が数十兆個にまで分裂を繰り返す仕組みこそが「生命」なんだ!ということが良く分かる.


この飯山さんの言葉を理解するには、やはり三木成夫博士や西原克成博士の本を読んでいなければ理解不能だろう。その点、東北は青森から関東のチベット(飯能市)まで足を運んでくれた、両博士の本を数冊読破したという高橋さん、両博士の本を理解している様子がわかり、まだ若いのに大したものだと舌を巻いた次第である。以下は拙稿「松岡正剛×コムアイ」にも載せた図だが、「生命」の本質を炙り出した図なので、本稿にも再掲しておこう。

17041610.jpg

さて、今日の本題は生命観ではなく、シャーマニズムである。ちなみに、今回の本題に選んだ「歌とシャーマン」は、上掲のHP記事にある、飯山さんが熟読したという本の題名だ。その飯山さん、以下のような書評を書いている。

『歌とシャーマン』は,天皇家と日本民族の根底にあるシャーマニズムの本質にせまる「音楽論」でもある.この本はワシの年末年始の熟読本だ.


18122601.jpg  18122602.jpg

書評にあるように、天皇家と日本民族の根底にあるものこそ、シャーマニズムであると飯山さんは喝破している。このシャーマニズム、実は恐山とも関係してくるのであり、その恐山について書いたJinmoさんに、恐山の続きを書いてくれと先週の土曜日、直接本人に亀さんは頼んだ。

そのJinmoさん、「天乃浮石」なる三部作を、最近の『みち』で発表した。ご参考までに、本稿の最後に第一部を転載しておくが、冒頭は以下のような書き出しで始まっている(下線は亀さん)。

●神々を招来する「寄絃乃儀」を天乃浮石に向けて斎行させて頂きたい旨、生石神社の宮司様、禰宜様に御願い申し上げたのは二〇一七年五月一八日。この時代に於いて第二の岩戸開きとでも言うべき、神々の招還儀式の必要を感じ、その舞台としては天乃浮石こそが最も相応しいと確信していた私は、天鈿女達が執り行なわれたという本来的な、つまりは形骸化する前の霊的実効力を有した神事・寄絃乃儀の復活を熱望していた。

その意義については心中確たるものが在ったが、斎行に当たっての諸事企画に於いては漠として具体性を欠いているにも拘らず、ものの二分で御快諾を頂戴し、のみならず、「宮司として断言いたします。その時、必ずや神は此処に降り立ちます。そして私はその時、この生命尽きようとも本懐これに過ぐるもの在りません」との非常なる断言さえ頂戴した。幸甚至極である。


18122604.jpg


多分、未だに物質中心の現代科学に染まっている人たちは、上掲の文章、殊に亀さんが引いた下線の箇所を嘲笑するかもしれない。ところが、今朝、掲示板「放知技」で堺のおっさんが以下のような重要なことを書いた(下線は亀さん)。

國体と政体の明確な分離を意図しているからだ。

大嘗祭の費用の問題が本質ではなく、日本国家の本質に関わるからだ。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16557737/570/


この堺のおっさんの重要なメッセージを理解するには、國体とは何か、政体とは何かについて理解している必要がある。政体に関しては、少なくとも放知技の読者であれば、飯山さんのマキャベリズムに基づく安倍晋三像を、個人として多少の差はあれ、世間一般よりもかなり正確に把握していると思う。

一方、國体の場合はどうか? これは、日本の本質、すなわち皇室が分かっていないことには、何も分かるまい。その本質とは正に飯山さんが仰せのシャーマニズムなのだが、皇室とシャーマニズムの深い関係については、過去の拙稿で幾度か書いてきたので割愛するとして、Jinmoさんの「天乃浮石」の第三部に以下のような記述があるのに注目されたい(下線は亀さん)

そして、これは宮司様、禰宜様と実行委員会の一部の者にしか知らされていなかったのだが……天乃浮石を取り囲む方形トーラス空間には斎行の間中、実は四人の巫女が祈り舞っていた。この様子は方形トーラス空間に行き来できる私以外には誰の目にも触れず、また如何なる映像記録にも残されていない。この四人の巫女は神仕組みとしか言いようの無い巡り合わせで、この夜、此処に集められた者で、その名はそれぞれ、ハルカ、ハルナ、ハルエ、ハルヨという。本名である。文明地政学協会の山浦嘉久氏は徹底して「たまたま」とか「偶然に」という言葉を嫌う。私も同様だ。ケをハレへと転じる神事に於いて、これほど相応しい音「ハル」を持つ巫女が四人、この夜、天乃浮石を取り囲んだ。超越的な何者かの意思による取り計らいであるとしか思えない。また四人の名から共通する「ハル」を取り除いたものは、「カ、ナ、エ、ヨ」となる。……「叶えよ」、布置(Konstellation)されたメッセージがそこにある。


上記の下線を引いた行について少し敷衍しておこう。拙稿「ミヌシンスク文明 02」で紹介した、安西正鷹さんの以下の記述を思い出していただきたい。

・これは空疎な精神論ではない。物質世界と精神世界に跨る半霊半物質的な、新しいジャンルの科学理論に基づく考えである。すなわち、来るべき新しい文明の精神哲学ともいうべき量子力学に基づく真理なのだ。
仮想通貨からお金と経済のあり方を再考する(後編)


続けて、亀さんは以下のように書いた。

量子力学の台頭で従来の科学が崩壊しつつあり、次の文明原理に人類は進みつつあるのだが、それは、精神世界の古代人から、物質世界の現代人を経て、精神世界と物質世界が融合した世界へ向かう過渡期にあるとも言い換えることができ、量子力学をきっかけに世界の精神構造が変わりつつあることを、安西さんは述べている。


これが、山浦さんの言う「第二の天の岩戸開き」に繋がるのである。そのあたりは、上掲のJinmoさんの文章からも窺い知ることができよう。そして、我々の周囲に起きたこと、起きていること、起きることは、すべて、「たまたま」ではなく、「神計らい」なのである。

そのJinmoさん、音楽を通じて「第二の天の岩戸開き」を世の中に伝えようとしている。飯能忘年会でも音楽通が二人(ウォッチャーさん、ちゃきさん)も集結、実に興味深いというか、奥深い音楽論に展開した。そして、上掲の『歌とシャーマン』、二年前に既に同書に目を通していたウォッチャーさんは、貪るように2016年12月30日付の飯山さんのHP記事を読んだのだという。そして、数年前に飛び降り自殺をした藤圭子についての話となったわけである。亀さんは未だに『歌とシャーマン』を読んでいないので、早速注文、届き次第読み、思うところがあったら読後感を書きたいと思っている。それまでに、やはり藤圭子を取り上げた、五木寛之の『怨歌の誕生』(双葉文庫)に取り敢えず目を通しておくとしよう。

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2013年8月、歌手・藤圭子が命を絶った。「これは『演歌』でも『艶歌』でもなく、間違いなく『怨歌』だ」と評した五木寛之が、藤圭子の真実をもとに書いた「怨歌の誕生」ほか、関係の深い「艶歌」「涙の河をふり返れ」「われはうたえど」の3篇を収録した中編集。


Jinmoさんの恐山や天乃浮石といった短シリーズ以外にも、連載中の「寄絃乃儀」で書きたいことが多々あるのだが、そろそろ飯山史観に戻ることにしよう。したがって、次稿ではsuyapさんのコメント『海を渡った「縄文人」』を中心に、筆を進めていく予定である。

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