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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
漫画大いに結構
数日前に紹介した『おれも浮世かいやになったよ』だが、「がんばれストリップ」以外にも色々と面白い記事がある。その内の一本、「漫画大いに結構」を紹介しておこう。漫画はサブカルチャーに過ぎないと言って、漫画を馬鹿にしていた山師がいたが、以下の今東光和尚の文を読めば、漫画というものを見直すはずだ。本ブログに数回アクセスしている読者は既にお見通しだと思うが、亀さんは漫画しか読まなかったバカなので、このブログも文章が短い上に、イラストや春画…、じゃなかった動画ばかりだワイ(爆)。

漫画大いに結構
夜遅く帰宅すると、家内から原稿の催促が来ていると言われ、いっぱいの茶をすすると机にむかった。
風呂からあがった女房殿は、僕に先におやすみを言いに二階の僕の書斎に入ると、僕が仕事にも取りかからず、一心不乱に雑誌に読み耽っているのを発見し、
「何よオ。仕事してるんだと思ったら、漫画なんど見てて」
と、世にも軽蔑すべき親父だという顔付をして寝に行ってしまった。
事実はまさにその通りで僕はマンガを悦に入って見ていたのだ。
ところで、御年六十有五を過ぎた禿げ頭の僕が漫画を愛読している図は滑稽だろうか。それとも不謹慎だろうか。あるいはエッチであろうか。
近頃の教育熱心なママ族はおおむね漫画を軽蔑し、嫌悪し、むしろ憎んでさえいるようだ。僕はこれこそ怪態な現象だと思っているのだが、間違っているだろうか。
僕は昔から清水崑ちゃんのファンだった。河童の毘ちゃんは今日では漫画界の第一人者となっているが、彼の描く河童の世界と芥川龍之介の河童の世界と、果してどれほどの相違があると言えるか。芥川龍之介は河童に人間の理想社会を求め、清水崑ちゃんは河童の世界に人類の望む可能な世界を描いたではないか。
清水崑ちゃんを単なる漫画家と見ない僕は、必ず彼が一流の画家だという確信を抱いていた。それゆえに僕がサンケイ新聞に『東光太平記』を連載するにあたって、社では何人かの画家を選んでその挿絵について相談して来た。僕はその時に言った。日本画家は甲胃等の有職故実に通じてはいるが人間が描けない。洋画家は人間が描けるが甲冑などについては知識が乏しい。それゆえこの際は誰もいけない。僕は清水崑ちゃんに描いてもらいたいと頼んだ。
すると清水崑ちゃんは朝日新聞社嘱託を辞退して、敢て僕のために挿絵を担当してくれた。
僕の「太平記」に現われる楠正成はじめ河内の将卒は、現代の河内人と何等の変りはないのだ。河内入らしい風貌をし、河内の言葉をあやつり、河内人らしい生き方をする点で、南北朝時代に生きた河内人の差別はないのだ。その筈で現代の河内人は、それらの河内人の子孫に違いないからだ。そういう河内人を描ける人は清水崑ちゃんに限る。僕は毎日の自分の小説の挿絵を見てはわが意を得たりと膝を叩いて満悦しているのだ。今では家内も崑ちゃんの挿絵に感心しては、
「小説より好いわよ」
とほめているくらいだ。
僕に会うほどの人々は大抵、崑ちゃんの挿絵に次第に魅せられ、そのとりことなっている。あれほど南北朝時代の世相を写し得た絵はあるまいというのが定評だ。
崑ちゃんで感心したことは甲胃はもとより、当時の衣食住にわたって研究し、足らざるところはわざわざ河内まで来て納得するまで勉強する。たとえば僧界の裹頭という頭巾姿が腑に落ちないと言って来宅されたので、僕は奈良の興福寺に案内し、奈良法師の裹頭を見せてもらった。それは白の五条袈裟で丸い頭を包んだもので、他の布ではいけないのだ。然るにNHKの「義経」に出る弁慶法師裹頭は間違っていた。正式の五条袈裟ではなかった。こういう誤りが平気でテレビなどで全国に伝えられることは歴史と風俗を無視したことで遺憾に堪えない。従って仔細に崑ちゃんの山法師を見るに、巧みに裹頭頭巾をかぶった法師が描かれてあるのでよく注意して見てほしい。
僕の感心している漫画家では杉浦幸雄君だ。彼とは東北地方を一緒に講演旅行した覚えもあってその人柄のよいのに感心したが、それよりも彼の描く女のお色気にはシャッポを脱いだ。此頃の「ジョージ氏の周辺」などという作品は、漫画家としてのキャリアがものを言って、まったく一分の隙もない。あんな色っぽいものが描ける人が、意外なほどの紳士なのにびっくりしたものだ。そう言って感心すると、彼は、そんなこと言えば今さんの小説を見ると随分色っぽいが、実物はお坊さんではありませんかと反撃をくらった。杉浦君はお坊さんというものは枯木のようなもので、心頭を滅却すれば火もまた涼しとか何とかぬかしていると思っているらしいが、豈はからんや、情火を滅却せんとすればいよいよ意馬心猿となりて、到底浮世のことなどすっぱりと諦めて悟れるものではないのだ。
僕は杉浦君の作品から直接ヒントを受けることはないが、大いに示唆されることは間違いない。彼の描く女ほど生きているのはない。そこへいくと文展などに出ている日本画家の描く女の貧弱さ空しさ。まるで絵に描いた餅だ。あんなものを描いて絵描きで候などと言っていられるとは有難い国だ。それに比べると杉浦君の描く女はどれも血が脈打ち、見る者をして悦惚たらしめずにはおかないのだ。まったく天下の珍宝だ。
もう一人、感心している作家は小島功君だ。この人の絵は実に暢達無礙で、着想また奔放自在、まことに稀れに見る才能の豊かな漫画家と言えよう。漫画家などというには惜しい才分だ。
この二人は未だ逢うたことはないので何とも言えないが、実にデッサン力のしっかりした作品で、もし比較を敢えてするならばマンガ界の藤田嗣治というところであろうか。
彼の描くギリシャ風の男女は洋人も恐らく三舎を避ける態であろうと思うが、此頃、歴史に取材する作もまた僕の大いに愛するところなのだ。この人もいつ、勉強したのか武者など描かせても立派なもので、考証などもしっかり勉強している跡が見えて感心させられる。そうかと思うと仙人物では支那風俗と、和漢洋のたしなみはいかに底深いかを想わしめる。
こういう画人達の作晶に眉をひそめるママ族というのは一体何であろう。今日の漫画家の世相に対する辛辣な批評をくみ取ることもできない頭脳で、教育など言えるであろうか。汽車や飛行機に乗っている日本の紳士や淑女方を拝見すると、唯一人として漫画など見ている人に出会わない。僕はそれを思想の貧弱だと解釈しているのだ。
僕はヨーロッパやアメリカでも漫画を探したが、この点になると欧米の漫画家は概して絵が拙劣でお下劣で、まったく見るに堪えなかった。こんなのと比較したらいかに日本のマンガのほうが進歩しているかに気づくだろう。
たとえばアメリカのポパイを見よ。禿げ頭の老水夫で、何が面白いのかわからない。いつも腕力を振うしか能がないのだ。それに比べると富永一朗のポンコツおやじの秀抜さはどうか。同じ年寄りでもポンコツおやじには笑いもあればぺーソスもある。どれほど深い内容を持っているかわからない。こういう点を見落としてマンガとさえいえば下司なお色気のポンチ絵だと思っている日本の馬鹿インテリほど手のつけられない奴はないのだ。僕はマンガの面白味がわからない女には少しも興味がない。ましてマンガを嫌ったり憎んだりする女は、くたばってしまえと思っているのだ。こういう種類の女がなくなったら、もっと明るく面白い世界が来るのではあるまいか。


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