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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
北満州と日本列島 02
前稿「北満州と日本列島 01」では、「遼河文明」というテーマを取り上げたが、今回はもう一つのテーマである、「日本列島に流れ込んできた人々」について取り上げてみよう。

ここで、人々、すなわち現生人類が最初に日本列島に来て定住した、4~3万年前から古墳時代に入るあたりまでは、数万年というタイムスパンがあるので、取り敢えずは以下の年代区分に沿って筆を進めたい。

・旧石器時代
・縄文時代
・弥生時代


なを、古墳時代以降も日本列島への人の流入が続いていたことに変わりはない。ただ、古墳時代の応神天皇(在位期間270年1月1日 - 312年2月15日)と、飛鳥時代の天武天皇(在位期間673年3月20日 - 686年10月1日)の御代は、飯山史観の要諦でもあることから、当時の日本列島への人の流入も含め、多岐にわたって筆を進めるつもりなので、古墳時代以降における人の日本列島への流入は割愛する。

■旧石器時代(~紀元前12000年頃)
日本列島に渡ってきた現生人類が定住するようになったのは、4~3万年前と亀さんは前稿で書いたが、ウィキペディアによれば、岩手県遠野市宮守町の金取遺跡で9〜8万年前の人の足跡の他、石器が発掘されたとある。どうやら、最初に〝人々〟が日本列島にやって来たのは、さらに時間を遡る必要があるようだ。だが、これらの〝人々〟は本当に現生人類だったのだろうか?

ここで、「日本人はどこから来たのか」 という、面白そうなサイトを発見した。そして、亀さんが注目したのは同サイトの(9)旧石器時代の日本にあった、以下の結語である。

私個人的には様々な状況をあわせると、ホモ・エレクトスなどの「原人」はアジアに拡散したが、日本列島にまでは到達できなかった。しかし11万年前よりも以前のかなり古い時代からデニソワ人などの「旧人」は日本に到達していて、生活の痕跡を残した。さらに4万年前頃にはもう舟に乗った現生人類、「新人」が海を渡って日本列島に到達し始めたのだろうと考えています。


同サイトは、「人類が地球外からやってきた」、あるいはシッチン説といった、腰が引けるような記事が目に付くものの、なるほどと思わせる記事も多く、上掲の結語に限っては、ほぼ正しいと亀さんは思う。また、現生人類がアフリカを出たのが10万年前、そして日本列島に到達したのが4万年前という点でも一致している。今後の発掘調査でより正確な時期が判明するとは思うが、大筋は変わらないだろう。

ところで、上記ページにあった指摘で見逃せない記述が幾つかあったので、主なものを以下に列記しておこう。

近年の研究で氷河期の最寒期でも津軽海峡、対馬海峡には海が残り、大陸と日本列島(北海道は除く)は陸続きにならなかったことが判明した。
【亀さん】数年前になるが、NHKスペシャルで「日本人 はるかな旅」というシリーズを放送していたことがある。中でも、シベリアからマンモスハンターが、陸続きの北海道まで進出してきたシーンが今でも記憶に残っている。では、彼らは北海道から本州へはどのように渡ったのか…、あるいは本州に渡ることはできなかったのか…、このあたりについては、いずれ解明されることを期待したい。

18120602.jpg

舟を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島で産出されたとみられる黒曜石が、関東地方の後期旧石器時代3万8千年前の遺跡で発見されています。このことから日本人の祖先はこの頃既に意図的な航海が可能だった、つまり舟に乗って日本列島にやってくることが可能だった。
【亀さん】おそらくは丸木舟を使用していたのではないだろうか。これは、人類進化学者の海部陽介氏が現在進めている、「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」を通じて、個人的に思ったことである。
【完結編】国立科学博物館「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」

2008年になってロシア・モンゴル・中国の国境に近いデニソワ洞窟で人骨のかけらや歯が見つかります。2010年DNAの解析によりこれは未知の人類の化石と判明します。
【亀さん】興味深い記述だと思うし、これなら金取遺跡で発見されたという、9~8万年前の足跡も辻褄が合う。参考までに、上掲のサイトにあったイラストと、亀さんが「日本人のDNA」で取り上げたイラストを以下に並べておこう。

18120601.jpg
(9)旧石器時代の日本

17080404.jpg
日本人のDNA


ここで注意しなければならないのは、日本の考古学者だ。以下のウェブ記事を参照されたい。
『神の手』に罪は無かった(1)

上掲の記事を書いたのは、あの『神々の指紋』を和訳した大地舜氏で、「現代文明の発祥は6000年前のメソポタミアの古代シュメールだと私たちは信じている」と書いているあたりで、亀さん的にはもうアウトなのだが、そのあたりには目を瞑るとして、考古学者に限らず、他の日本の学会や会社といった組織の硬直化は、しばしば見受けられるパターンである。それにしても、旧石器考古学の学者らを滅多斬りしているあたり、実に小気味よいし、日本の考古学者の実態は大体において大地氏の言う通りなのだろう。

しかし、ここで改めて栗本慎一郎氏の主張を紹介しないわけにはいかない。それは、「DNA」と「石器」についてだ。最初にDNAから…

DNA研究とはいまだに不十分なもので、たとえば5000年だ10000年だというスパンでは何も決定的なことを言うことはできない。たとえば、前述したバイカル湖近くに住むモンゴル系ブリヤート人が日本人とDNA的に近いというような話は全くのインチキである。遺伝子の一部が(しかもその傾向が)ほんのチョコッと似ているというだけの話なのだ。
『栗本慎一郎の全世界史』p.70


確かに、栗本氏が主張しているようにDNAは万能ではない。第一、現生人類が民族に分かれるようになってから、まだ数万年という僅かな時間しか経っていないことを思えば、今後もDNAが引き合いに出されていたら注意するべきだろう。

次に石器。前稿で文明と文化についての栗本氏の定義を引用したが、その中に重要な指摘がある(下線)。

われわれが文明と呼んでいるのは、各地(各国)や各民族の固有の文化をいくらかの地域的まとまりをもって捉え、かつ時間的にいささかの長さの中において考えられるものである。つまり、一定の時間的継続を持ちいくつかの文化と地域をまとめる諸文化の総合を文明という。

その総合や統合、時には統治のあり方は文明の性格の重要な要素であって、われわれはしばしば建物や美術・工芸にばかり目が行きがちになることを抑えねばならない

『栗本慎一郎の全世界史』p.20


つまり、あまりにも石器だの土器だのといったモノだけに拘っていると、文明や文化の大筋、あるいは本質と言い換えてもよいと思うが、見逃す恐れがある。このあたり、栗本氏の謂う「生命論」を常に頭の片隅に置いておきたいものだ。
栗本慎一郎の生命論

以上の二点を念頭に、今後の発掘調査に注目していきたいと思う。なを、日本列島に現生人類が渡ってきた4~3万年前だが、この年代は、シベリアの現生人類が多くの民族に分かれてツランが誕生する前であり、したがって最初に日本列島にやってきた人たちも、民族に分かれる前の人たちだろう。

蛇足ながら、大阪での〝公演〟でも発表したように、シベリアから日本列島に渡ってきた現生人類に前後して、南方から日本列島に渡ってきた現生人類もいたことを忘れるべきではないと思う。

次稿では「北満州と日本列島 03」として、縄文時代の人の流入について取り上げる予定だ。

【補足】
現在の世界人口は76億人だが、数万年前は一握りの人類しかいなかったし、もう少しで滅亡という危機にも人類は直面した。

18120603.jpg
今日世界人口70億人 生き残る人類と死ぬ人類に分かれていく

滅亡の淵に立たされた人類については、以下のサイトが参考になる。
人類は7万年前に絶滅寸前の状態に追い込まれれていた
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[2018/12/21 23:02] | # [ 編集 ]


貴重なアドバイス、ありがとうございます! 持つべきものは真の道友ですね。後に以下のような文章をブログにアップしたいと、現在考えていますwww

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
海を知る道友から貴重な指摘があった。

それは、古代の人たちも現代の人たちも、心は根本的に不変であることを前提に、「海の民は航海にあたり決してリスクを冒さない」という指摘、および「海の民は潮流や風に逆らわず、むしろ、それを生かして航海する」という指摘、マサニ、マサニ貴重な指摘であった。

よって、正式に『飯山史観』電子出版する際は、大阪の〝公演〟で描いた「日本列島からアメリカ大陸への〝無謀な〟縄文人の航海ルート」は、訂正する。

では、リスクを冒すことなく、かつ自然の力(潮流・風)に逆らうのではなくて寧ろそれらを利用する形で、どのように縄文人が実際に太平洋を渡ったのか、これは今後の宿題だ。

ともあれ、以下の飯山さんの縄文観を念頭に、今後も飯山史観の記事を書いていこう。

__________
縄文人の”環太平洋ネットワーク”
 この「島国根性」の話は江戸時代以降つい最近までの話だ。江戸時代よりも昔のことをいうと、日本列島に住む人間達はもっと広大でもっと雄大な世界を舞台にして活動し、また暮らしていた。最も壮大であったのは我々の先祖、縄文人だ。縄文人は環太平洋をぐるりと舞台にした巨大なネットワークをもっていた。縄文人の一派はアリューシャン列島を渡ってエスキモーになった。アメリカインディアンも縄文人の親戚だ。南米のペルーにインカ帝国を築いたのも縄文人の仲間だ。もちろん、朝鮮人も韓国人も中国人も皆親戚だった。蒙古人だってそうだ。
 ミクロネシア人、ポリネシア人、メラネシア人等の太平洋民族の遺跡を調べると縄文土器によく似た土器が出てくる。おそらく、みんな親戚だったのだろう。そして太平洋の彼方の民族と縄文人とを結ぶネットワークは、『海上の道』(柳田国男)を流れる雄大な黒潮だったのだ。

”島国根性”を蹴飛ばして、”環太平洋ネットワーク”に目を向けよう!
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9090/pcmail/yamataikoku.htm
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

__________
大洋航海を支えた水瓶・縄文土器
 こうして考えてくると、「日本列島は島国である」ということが何の意味もないことが分かってくる。地図でみてみると、日本国が島でできている国であることは間違いないことのように思える。しかし、海を重点において地図をみると、島も大陸も全部つながってしまう。黒潮や親潮などの巨大な海流を大海の上にできた道と考えれば、日本列島はアメリカ大陸ともつながっているし、太平洋からすれば日本海などは小さな池でしかない。事実、縄文人たちはそう考えて、いとも気楽に日本海や黄海を往来していたのだ。
 聞いて驚くなかれ! 大洋を渡る船は全長6~7メートルのカイ付きの丸木船だった。この船は、全国の縄文遺跡から現在も続々と発掘されている。大洋を渡るのに食料は要らない。釣針が7~8本あればいい。魚はいくらでも釣れる。海鳥は手づかみだ。問題は、真水。最低10日に一回はスコールが来るから、水を蓄えるのに縄文土器は格好の容器なのだ。縄文土器は、宗教的な行事用のものだけではなかった。ともかく海を渡るために、土器は必需品だったのである。縄文土器とは、ただ単に縄文時代を象徴する芸術であるということではなくて、縄文人の生活と世界を物語る「縄文の歴史のすべて!」なのである。
文字・国家をもたない縄文人が形成した地球規模の壮大なネットワーク空間のこと
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9090/pcmail/joumon.htm
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
[2018/12/22 03:04] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]

海を渡った「縄文人」
亀さん、

さっそく取り上げていただき、ありがとうございました。
「海の民は航海にあたり決してリスクを冒さない」
「海の民は海流や風に逆らわず、むしろ、それを利用して航海する」
まさに私の言いたかったことはこれです。稚拙な表現をうまくまとめていただいて、さすが!文章を生業にされている方は違うなと感服!

本日の記事では飯山先生の過去記事のオマケまで紹介していただいたわけですが、ツランを源流とする民を「縄文人」というと、日本人は「日本から」とつい考えてしまうので、米大陸へツランの民がどう移動したか(1ルートだけではないと思います)を考える際に、そろそろ「縄文人が」という表現を変えたほうが良いのではと思い至りました。

1990年代前半だったと思いますが、仲代達也が主役のTBSスペシャルかなにかで、三内丸山遺跡から沖縄を通り、ヤップ州離島を通り、ソロモンを通ってついに南米に至る…そこで仲代はシャーマンに亡くなった妻を呼び出してもらって泣く…といった内容でしたが、ヤップ島ならびにヤップ州離島部分の撮影がいかにヤラセだったか知っている身としては、まったく噴飯物の「ドキュメンタリー」に見えました。大金をはたいた番組であることだけは確かでしたが。

海の道を考える(想像する)にあたっては、まず海・航海・自然を体験的に「知る」ことから始まるのではないのでしょうか?そして、何千年、何万年を経ていても、人間の生活はそんなに変わるものではありませんから、現存する航海術は、やはり大きなヒントになると思います。

飯山先生は「大洋を渡る船は全長6~7メートルのカイ付きの丸木船だった」と書いておられますが、発掘で出てきた櫂付の小船は、近海を海岸線づたいに移動するものでしょう。いくらか履修と季節風の助けがあったとはいえ、数十キロ以上ときに何百キロも離れた地点を移動するには、帆走しか考えられません。それに、遠洋航海はそんな気楽なもんではないです。乗船者は誰も「命がけ」は覚悟の上、しかし不安はおくびにも出さず、あっちの世界の加護を信じて祈り、まかせます。

ちなみに皆さん、古代の航海というとすぐに「丸木舟」と言われますが、丸木舟はクラックが入ると終わりです。しかも材料に無駄が多くなります。世界のどんな地域でも、木造船はちゃんとパーツに分けて造る技術が発達しています。ミクロネシアの場合は、チョウナ1丁(鉄のない時代は貝製)でそりを合わせ、水漏れしないように張り合わせ(太平洋の島ではパンノキの樹液がマリングルーでした)、ココヤシ繊維で作ったロープで組んでいきます。アラスカのほうでは毛皮のカヌーもあると聞きます。海岸線沿い、島伝いの短距離なら、櫂で漕ぐという方法も取られたでしょう。

いま私がやんわりと想像している渡りのルートは、
1)やや暖かかった時代に、日本列島、千島列島、アリューシャン列島、アラスカから北米大陸の沿岸伝いに南下。偏西風と北太平洋海流、カリフォルニア海流を利用。千島海流、アリューシャン海流は西へ向かう流れだが、あまり速くないので、列島づたいに風の力で移動は可能。

2)今でいうところのメラネシア~ポリネシア経由で、偏西風、南太平洋海流とぺルー海流に乗って南米大陸太平洋岸沿いに移動。

3)現在では沈んでしまった島嶼、または大陸?の存在

いずれにしても、一気に「行こうぜっ」と遠距離を大移動したのではなく、じわじわと何百年もかけて島伝いに交易しながら伝播したのだと思います。





[2018/12/22 20:55] URL | suyap #- [ 編集 ]


再びの投稿、ありがとうございました。今回も改めて多くを知ることができ、感謝いたします。

今日は、放知技の御一行様を引き連れて高麗神社と巾着田を回り、その後は飯能市で忘年会ですが、落ち着いた明日あたり、改めて今回の貴重なご意見を編集の上、再び記事にさせていただく予定です。

今後ともどうか、よろしくお願いいたします。

亀さん拝
[2018/12/23 06:38] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]


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